Doomsday

ドゥームズデイ  (2008年3月)

2008年英国スコットランド。グラスゴーで勃発した治癒不能の強力な感染力を持つ疫病は瞬く間に蔓延する。なす術を持たない英国政府は、スコットランドを完全に隔離し、英国を分断する壁を建設する。25年後。いったんは沈潜したかに見えた疫病の感染者がついにロンドンに現れる。一方、一人も生存者がいないかと思われたスコットランドに生きている人間がいることが衛星写真によって確認される。人類生存の鍵はそこにあるのかもしれない。政府はイーデン (ローナ・ミトラ) を筆頭とする精鋭から成る調査隊を結成し、48時間の期限つきで彼らを壁の向こう側に送り込む‥‥


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実は人類の生存や滅亡や死者の復活に最も関心を持っているのは英国人らしい。もちろんアメリカにだってそもそもの大元であるホラー映画の「ゾンビ」を生み出したジョージ・A・ロメロはいまだに健在で新作を撮り続けているし、そのリメイクもあったし、「アイ・アム・レジェンド」も公開したばかりだ。日本で「ドラゴンヘッド」がヒットしたのも記憶に新しい。


しかし、それでも人類滅亡や死人が生き返るゾンビ・ホラー等の作品を角度を変えて何度でもしつこく撮り続けるという点で、英国ほどこの主題に固執している国はないように思える。ここ数年をざっと見渡しただけでも、「トゥモロー・ワールド」 (Children of Men)」、「ショーン・オブ・ザ・デッド (Shaun of the Dead)」、「28日後」「28週後」「サンシャイン2057 (Sunshine)」と、シリアスからパロディ、政治的なものからSFまで、執拗にこのテーマをとり上げているという印象が強い。


こないだTVを見ていたら、ロンドンが洪水に巻き込まれて水の中に沈むというミニシリーズ「フラッド (Flood)」をやっていて、なんとロバート・カーライルが主演していた。ニュー・オーリーンズや東南アジアでもあるまいし、なにもわざわざロンドンで水害までと思わないでもなかったが、とにかくロンドンっ子は自分たちが破滅的な災害に巻き込まれることに自虐的な快感を抱いているとしか思えない。


そういうテーマの集大成、というか、その手の作品の面白いパートを寄せ集めてでき上がったのが、この「ドゥームズデイ」と言える。冒頭、原因不明の疫病のせいでスコットランドの大半の人間が死に絶える。疫病の蔓延を防ぐ術はないと見た政府は囲い込みに入り、英国の北と南を分断する壁を建設し、北の人間が南に入って来れないようにする。


いったんは少なくとも南では事態は沈静したかに見えたが、25年後、ついにロンドンで疫病の発症者が発見される。ロンドンはパニックに陥るが、しかしその一方で、衛星写真によって北で道路を歩いている人間が発見される。北では人は死に絶えたわけではなかったのだ。そこではなんらかの理由で疫病に対する免疫を持つ人間が現れたのかもしれない。それらの人々を調べれば、疫病に対するワクチンを開発できる。


至急調査隊が組織され、そのリーダーとしてイーデン (ローナ・ミトラ) が任命される。イーデンの母はかつて北で発症し、命を落としていた。調査隊に与えられた時間は48時間。もしそれまでに調査を完遂できないなら戻ってくる必要なしという通告を受け、イーデンたちは25年ぶりに開く壁のドアを通り、北へと出発する‥‥


むろん最初に受ける印象は「28日後」や「アイ・アム・レジェンド」等の人類滅亡アルマゲドンものと言えるが、一方、主人公イーデンを見て人が連想するのは、「アンダーワールド」のケイト・ベッキンセイル以外あり得ない。それくらい両者の印象は酷似している。なにもここまで似せなくてもと思うくらいだ。


その後調査隊が北へ入って、独自のワイルドな文明を築き上げている者たちに遭遇するところから連想するのは「マッド・マックス」だ。そいつらがステージ・ショウで盛り上がるのは「ストリート・オブ・ファイヤー」や「ウォリアーズ」時代のウォルター・ヒル作品を想起させる。さらにもっと北の山奥の古城に舞台が移ると、ほとんど「ハイランダー」みたいな展開になる。山の中には弓を担いだロビン・フッドみたいなやつまでいるのだ。とにかく、いろんなその手の話のごった煮的な印象が強い。あるいはその種のロール・プレイング・ゲームのようだと言うべきか。


そのため作品の全体的な印象はというと、とりとめのない、というのが最もしっくり来るかと思う。むろんだから面白くないかというとそういうことはなく、その種のギミック満載でアクション・シーンはそれなりに見せる。だからといって特に積極的に貶す理由もないのだ。批評家は絶対に誉めないと思うけど。


それにしても最近のアクション・ヒーローは、お手本にしている「アンダーワールド」のベッキンセイルを筆頭に女性ヒーローの数が格段に増えた。一方男性ヒーローだととたんにスーパーマンがスパイダーマン、バットマン等の変態したり変装したり人間じゃなかったりというヒーローになって、生身の男は既にヒーローたり得ない。結局あんなにお前を守ってみせるといきがっていた「クローバーフィールド」の男の主人公だって、愛する者を守れなかったではないか。むろんいまだにジェット・リーや「ボーン」シリーズのジェイソン・ボーンのような、生身でありながら不死身的なヒーローもいないではないが、少数派になりつつあるという印象を受ける。007は生身の人間の弱さを獲得することでまたヒーローとして復活している。


一方、近年の女性ヒーローは生身の鍛え上げられた身体で勝負する。ヴァンパイアという設定とはいえ、「アンダーワールド」のベッキンセイルがアクションを演じる時はスーパーパワーというよりも生身のアクションという印象が強いし、「イーオン・フラックス」のシャーリーズ・セロン、「バイオハザード」のミラ・ジョヴォヴィッチ等、スーパーアクションを展開しはするが、スーパーパワーに頼るわけではない。それはここでのイーデンも同じだ。


元々変身するスーパーヒーローはワンダーウーマンくらいしかいなかったとはいえ、彼女らにはスーパーパワーは付加されていない。一見して肉体的に男性より劣っているように見える女性が、男性顔負けの活躍をするところがポイントだ。いつの間にか強い女性は、「エイリアン」のリプリーことシガーニー・ウィーヴァーだけじゃなくなっている。実はそのことはこういうアクションものだけではなく、普通のドラマでも最近は女性の方が強いジェンダーだったりする場合が多くなっているのだが、そのことを述べ出すときりがないのでここでは控える。


主人公イーデンの上司として彼女を補佐するネルソンに扮するのがボブ・ホスキンスで、苦悩の選択を迫られる首相ハッチャーを演じるのがアレグザンダー・シディグ。「シリアナ」でも国王ここでは首相と、人の上に立つ顔をしているらしい。人情派の首相に対して強硬派の側近カナリスに扮するのが、「ディパーティド」に出ていたデイヴィッド・オヘア。スコットランドの古城で暮らす謎の王にマルコム・マクドウェルが扮しており、いくつになっても何を考えているのかよくわからない不気味な役をやらせるとはまる。実際NBCの「ヒーローズ」でもやはりまたそういう役を演じていた。たぶん死ぬまで「時計じかけのオレンジ」の印象を引きずるんだろう。演出は「ディセント」のニール・マーシャル。







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