近未来。女性は懐胎することができなくなり、世界のほとんどの都市は壊滅的打撃を受けていた。ロンドンは徹底して不安分子を排除することによりなんとかかりそめの秩序を得ていたが、今日、地球上で最年少の青年が死亡し、人類の平均年齢はまた少し上がった。そんな時、しがない勤め人に過ぎないテオ (クライヴ・オーウェン) に、元妻で今では袂を分かったジュリアン (ジュリアン・ムーア) が拉致まがいに連絡をとってくる。彼女の元には妊娠している女性がおり、彼女を安全なところに逃がすためにテオに協力を依頼する‥‥
_______________________________________________________________
ここ数年、ハリウッドに着実に根を下ろした感のある中南米出身の映画監督の中でも、特に「ハリー・ポッター」という世界的ヒットを演出したアルフォンソ・キュアロンは、知名度という点でその筆頭に数えられるだろう。一昨年の「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス、昨年の「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イナリツなんかも既に一般名詞となった感もあるが、しかし「ハリー・ポッター」とセットという点で、キュアロンの優位は動くまい。
そのキュアロンの新作「トゥモロー・ワールド」は、近未来の子供の生まれなくなった世界を描く社会派SFだ。「ハリー・ポッター」を撮ったくらいだからSFにもさほど違和感はなかろうとそのことにはさほど驚かなかったが、原作がP. D. ジェイムズということの方にびっくりした。ジェイムズってSFも書いてたのか。ホラーならまだわかるが。
原作が書かれたのはいつかは知らないが、廃墟となったロンドンという舞台設定でまず連想されるのがダニー・ボイルの「28日後」だ。「28日後」は正体の知れない謎のウィルスが蔓延して人々がゾンビ化するというホラーの体裁をとっていたが、実際に物語が動き始めると主人公たちの道行きをとらえるアドヴェンチャーで、ホラーという感じはほとんどしなかった。
一方、近未来、女性は懐胎することができなくなるというのは、こちらの方が設定としてはよほどホラーだと思う。謎のウィルスが蔓延することも確かに怖いが、一応便宜的にもそのウィルスに感染しないでおくとか、隔絶しておく方法はないではない。しかし理由もわからず、たぶんこのまま行けばあと数十年で人類は確実に滅亡するという真綿でじわじわと絶滅をわからされる方が、たぶんもっと怖い。種の存続という本能は人類の誰でもが持っているはずで、そのことを脅かされるのは、自然学理的に言えば、自分という個体が死ぬことよりももっと重要なことであるはずなのだ。
そのため、赤ん坊の生まれなくなった世界は必然的に荒廃する。結局オレたちみんな死んで人類は滅亡するだけだと皆が考えれば、世界は荒れるしかないだろう。それを食い止めるためには政府が力で上から押さえつけるしかあるまい。しかもそれだって付け焼き刃的な印象を与えるだけで、世界をよりよいものにするのではなく、これ以上悪いものにするのに一時的に待ったをかけているに過ぎない。このままでは遅かれ早かれ世界は滅亡する。
そういう状況で誰かが妊娠したら、それは人々にどういう影響をもたらすだろうか、というのが「トゥモロー・ワールド」だ。主人公のテオは、別れた妻のジュリアンから相談を持ちかけられる。それがこの20年間で初めて妊娠した女性の保護だった。ジュリアンは非合法の活動を続けており、政府を信用していなかった。しかもジュリアンの組織自体もきな臭いものを抱えており、ミッションの途中でジュリアンが撃たれて死亡した後、テオはほとんど独力でその女性を安全なところに避難させなければならなかった。
テオを演じるのが「インサイド・マン」のクライヴ・オーウェン、ジュリアンをジュリアン・ムーアが演じている。ムーアは徹底してリアリスティックな役こそを演じるのが最もうまいという印象があるが、そのために逆にこういうSFやファンタジー的な設定にリアリティをもたらすためにも起用されたりする。「フォーガットン」なんてのもあった。この二人を食う働きを見せているのが、ほとんど映画界の生き字引的なスーパーヴェテランのマイケル・ケインで、存命中の役者で、彼より出演作が多い役者というのはいったい存在するのだろうか。
設定として面白いのは、妊娠した女性キーの父親が誰かということがまったく言及されない点で、つまり、重要なのは実際に胎児を自分の子宮の中に抱える母親だけで、既にこの世界では父親が誰かということは問題にされない。生まれてくる子は全人類の子だからだ。さらに父親が視野の中に入って来ないために、キーはほとんど処女懐胎でもしたような印象を与えるものとなっており、そのため、キーと胎児の関係ははほとんどマリアとイエスの関係にも比すべきものとなっている。彼らが人類の将来の唯一の希望であるわけだから、それも当然だろう。
とはいえ現代科学という観点から見ると、そういうことは現実にあり得るかとふと考えてしまう。むろんそこでそういう疑義を差し挟むのはSFとしては邪道なんだろうが、しかし、試験管ベイビーが現実のものであり、その気になれば人間のクローンもできないことではないだろうという時、人類が懐胎できなくなってから20年間もただ手をこまねいたまま傍観しているだろうとは到底思えない。たとえたった今、人類が懐胎することができなくなったとしても、科学は人類を存続させるなんらかの道を見つけ出すに違いない。
むしろ人が懐胎しなくなるという設定よりも、人類から性欲がなくなり人がセックスしなくなる、男性が勃起しなくなる、射精しなくなる、あるいは精子や卵子そのものを作らなくなる、といった設定にした方がまだ私としては説得力があるように感じる。とはいえもちろんほとんど目に見えない精子や卵子ができなくなったということよりも、この20年で最初の妊娠した女性のお腹が膨れてくるということが視覚的にインパクトがあり、映画としてはその方が絵になることは確かではある。
結局私としては、人類が子孫を作れなくなるというのは怖いことではあるが、それよりも今現在、子育てを放棄する若い親の存在の方をより身近な恐怖として感じる。それは科学がどうこうできる問題ではないからだ。だから「トゥモロー・ワールド」は確かに恐怖感を煽る話ではあるが、それはただ怖い話を聞いている以上のものではなく、むしろ話はある種の神話的な比喩として機能しているという印象の方が強い。主人公が各地を転々と移動しながら話が進むという神話的な展開になっていることも、そういう印象を強めることに貢献している。
そして主人公が転々と各地を移動するとなると、キュアロンの出世作となった「天国の口、終りの楽園」を連想するのは当然というものだろう。また、「トゥモロー・ワールド」では、「天国の口、終りの楽園」同様、車等の移動体で移動中の登場人物や車外の移動する風景が何度も登場する。今回は特に、それを1シーン1ショットの長回しで撮って緊張感を高めているところが特色で、常にテオは誰かに追われているという展開であるわけだから、その撮り方が非常に効果を上げている。特にこの撮り方が最初に効果を上げるジュリアンが撃たれるというシーンで、私はこれが最後までずっと1ショットで続くとは考えていなかっただけに、車上に据えつけられているとばかり思っていたカメラがいつの間にか車を降りた人物に寄り添い、そしてまた車に乗って走り去るまでを撮ったこの1シーン1ショットに驚かされた。
そしてもちろん1シーン1ショットを例に出すなら、最後のクライマックスでの市街戦における1シーン1ショットに言及しないわけにはいくまい。やはりこういう大技を見せられると、見る方も握った拳に力が入る。いったいどれくらいリハーサルに時間を費やしたのか、一発でOKが出たのだろうか。思わずストーリー展開よりも、作り手の姿勢、あるいはスクリーンに漲る緊張感の方に意識が向いてしまう。キュアロンとイナリツでは力強さという点ではイナリツの方が上かなと思っていたが、キュアロンもなかなかどうしてどうして。中米の血は熱い。