28 Weeks Later   28週後...  (2007年5月)

人をゾンビ化させる謎の寄生ウィルスが発生してから28週間後、その寄生する人間があらかたいなくなったことで逆に事態は沈静化に向かい、ロンドンでは一応厳戒体勢ながら束の間の平和が戻り、徹底した軍管理下で人々は少しずつ避難先からロンドンに帰り始めていた。そこにはタミー (イモジェン・プーツ) とアンディ (マッキントッシュ・マグルトン) の姉弟の父ドン (ロバート・カーライル) もいたが、しかしドンは郊外の家に立てこもっている時に、妻のアリス (キャサリン・マコーマック) を見捨てて逃げてきたのだった‥‥


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ダニー・ボイル演出の前作「28日後 (28 Days Later)」は、原因不明の疫病によって人々がゾンビ化するという状態を描くホラー・アクションだった。その前作、エンディングが2ヴァージョンあり、長い方は「29日後 (29 Days Later)」として公開されている (DVD発売された方だけ「29日後」と言っていたかもしれない。もう忘れてしまった。) 今回の「28週間後」がどちらを元にしているのかよくわからない。というか、たぶんどっちでもいいんだろう。正直言って、自分が見た方の「28日後」がどう終わったかだって、実はもうよく覚えていない。


実際、今回の基本的な設定は、疫病が発生して28週間後には罹患する相手となる人間がほとんどいなくなったために、自然に事態は沈静化し、各地に疎開していた人々が徐々に絶対監視体制を敷く出島のような場所に帰ってくるというもので、これなら前作がどう終わってても関係なくこの設定で始められるだろう。今回の演出はフアン・カルロス・フレスナディージョで、前作のダニー・ボイルは今回は製作の方だけに回っている。


とはいえ事態は沈静化したといっても、完全に終結したわけではない。まだまだ郊外では疫病に冒されずにゾンビから逃げ回っている人間もいた。そのうちの一人ドンは、結局ゾンビに襲われた妻のアリスを見捨て、一人逃げる。無事隔離地帯に辿り着いたドンは、疎開していた息子アンディと娘タミーがロンドンに帰ってくるのを待ち受ける。


ホラーというのは、かなりお笑いに似ている。どちらも感情のたかぶりであり、ホラーの怖いシーンできゃーっとなった後、だいたいにおいて笑いが続くのは誰もが経験している通りである。ホラーがパロディの対象となりやすいのも当然だ。今回、その笑いを誘いやすいのが、主演のドンを演じているのがロバート・カーライルであるということに因る。彼は最初、妻を愛していると言いながら、その妻がゾンビにとり囲まれると、彼女を見捨てて逃げる。


もうそれだけで実はこのシチュエイション、怖いというよりかなりおかしい。実際、ドンが妻を見捨てて逃げ出すと、まったくシリアスなシーンであるのにもかかわらず、場内からかすかに笑いが漏れた。カーライルといえば、「ヒットラー」は意外に頑張ってはいたけれども、やはり印象に残っているのは「アンジェラの灰」、「トレインスポッティング」、「リフ・ラフ」、「フル・モンティ」系の、職なしやる気なしすぐ切れる系のどうしようもない役柄の方だ。うちの女房はホラーはダメなので「28週間後」は私一人で見たのだが、帰ってきて「28週間後」の筋を説明しようとして、冒頭の、カーライルが女房見捨てて逃げるんだ、というところで既にげたげた笑い出した。実際そのシーンを想像すると、確かにそれだけでいかにもという感じで笑える。場内でも笑いが漏れてたくらいだし。



(注) ここから先、大いにネタバレです。


しかもその後、見捨てて逃げたはずの妻が稀な免疫機能を持っていて、ゾンビ化しないということがわかる。もしかしたら彼女は人類の最後の希望の星かもしれない。九死に一生を得て助けられた女房を前に許しを請うカーライル。気持ちは伝わり、ベッドに横たわる妻と熱い口づけを交わす。と、こちらは免疫を持っていないカーライルの方は、発病はしてなくても既に感染していた妻と口づけしたことでゾンビ化してしまう。なんてバカ。ここまでででうちの女房はうはうはと受けまくっていた。


ゾンビ化したカーライルはその場で妻を虐殺し、子供たちもその手にかけようとする。作品の後半はどんどんゾンビ化していく群衆と、逃げる子供たち、彼らを守ろうとする者たちが描かれるのだが、最後、カーライルは襲おうとした自分の娘に撃たれて殺される。この情けなさを体現できるのはカーライルしかいない。ここで私の女房はほとんど爆笑して涙を流さんばかりだった。うーん、実際私も自分自身で筋を話していて、これではまったくギャグだとしか思えなかった。キャスティングの勝利? だな。


おかげで別に見ている途中、見終わってすぐは特にそういう印象を持っていたわけではないのだが、今では「28週間後」はかなりブラックな笑いが全編を覆っていたような気がしてしょうがない。これにはまた別の理由もあって、最近、IFCが放送していた「ザ・ブリッジ」を見たのだが、自殺を扱ったこのドキュメンタリーで、大マジで橋の上からジャンプして自殺しようとしている人間に向かって、観光客が写真を撮ってくださいと頼んできたり、その後ジャンプした直後に後悔して、着水の時の衝撃を少しでもやわらげようと空中であれこれともがいた結果、なんとか生き延びた自殺未遂者の話が出てくる。もちろんまったく笑える話ではないのにもかかわらず、思わず笑ってしまうのだ。この感覚と、「28週間後」の乗りがかなり近い。要するにぎりぎりのところで死と戯れているが故の笑いとでもいうか、結局人間、追い込まれるだけ追い込まれると笑うしかないというか。


今回ももちろんかなりの数の人間がゾンビの餌食となるのだが、途中、ゾンビ化した者を鎮圧するために、まだゾンビ化していない人間も含め、全員射殺しろという命令が下る。つまり、一見したところゾンビにやられる人間より、軍人に射殺される人間の方が多い。そういう点でも、「28週間後」は皮肉の利いたブラックな笑いを提供する。もちろんこれだって見ている時は決して笑えるシーンではないのだが、見終わって帰ってきてカーライルの顔が頭の中で反芻されて明滅してからだと、あらゆるシーンが笑いのオブラートをまとってしまう。後半はどちらかというと子供たちの逃避行に焦点が当たるため、カーライルの出番は激減するというのにである。それでもちゃんと最後にまた現れて、おいしいところを持っていく。一人で作品をまったく別ものにしてしまうとは、カーライル恐るべし。


実は恐ろしいと言えば、本当にヤバかったというのは映画を見る前に入ったトイレで起こった。私が小用を足していたその3つばかり横の便器で、3つか4つくらいのまだ幼い小さな黒人の男の子が一人でおしっこをしていた。たぶん一人でパンツを降ろして一人でおしっこして一人で手が洗えるというのができるようになったので、ママと二人できて自分一人でおしっこすると言いはったんじゃないかと思う。さもなければ男親が一緒ならやはり一緒に入ってくるだろう。


それはいいのだが、その子はおしっこの後でパンツを降ろしたまま、何度も何度もレヴァーを引いて水を流していた。どうやら楽しいらしい。あまり何度も水ばかり流しているのでなんだろうと私も気づいてその子を見ていたのだが、そのうち便器に入っているプラスティック容器の消臭剤に痛く気をとられたようで、いきなり手を伸ばすと便器の中からその容器をつかみ出して臭いをかぎ出した。げっと思いながらなおも見ていたら、さらに容器を顔に近づけ、舌を出してなめようとするので、私もいくらなんでもこれはまずいと思って、思わず「ドント・ドゥ・イット!」と叫んでしまった。


さすがにこれ以上はまずい、このガキをなんとかしなければとその子の襟首をつかみかけたのだが、しかしこんな時に限って、トイレの中にいるのは私とこのガキだけだ。パンツを降ろしたままおチンチン丸出しのガキを後ろから得体の知れない中年のアジア系がつかんで引っ張っているなんて時に誰かが入ってきてそのシーンを見られたら、私がなんと言い張ろうとどこからどう見てもあまりうまくないことの現行犯以外の何ものでもない。誰も私の言うことなぞ信用しないだろう。よくて前科一犯、アメリカのことだ、どこの誰が銃持っていて撃たれるかもわかったもんじゃない。実際この辺ではこないだも銃撃戦があった。たとえ日中だろうと100%安心はできない。私は僅か1秒の間にそれだけのことを頭脳全開で考えると、あとはもうその子を見ないようにして、ほとんど3秒で手を洗うと、そそくさとトイレを後にしたのだった。その後のことは知らない。映画なんかよりその瞬間の方が300倍はヤバいという意識が強烈に働き、私はアドレナリン全開で逃げたのだった。ああ、怖かった。  







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