ウィルスに侵され、ゾンビと化す者たちで満たされたラクーン・シティは、アンブレラ社の手により封鎖され、もはやこれ以外に道はないとする判断により、核が撃ち込まれるのも時間の問題となっていた。そういう状況下で、病院に隔離されていたアリス (ミラ・ジョヴォビッチ) が目覚める。シティの外から遠隔操作カメラで内部を確認していたアシュフォード博士は、アリスを見つけ、シティに取り残されている娘のアンジーを助け出してくれれば、シティから脱出する機会を与えようと提案する。アリスと、シティに残ったジル (シエナ・ギロリー) を筆頭とする特殊部隊の精鋭たちは生き残りを賭け、アンジー救出に乗り出す‥‥


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さて、今週は何を見ようかな、今回はハリウッド・アクションにしようかな、久し振りにSFっぽいアクションなんていいなと作品をチェックしてて、はたと困ってしまった。特に強力とも思えない、B級の匂いがぷんぷんとするアクションがなぜだかやたらと多い。「エイリアン vs プレデター」、「アナコンダス」、「エクソシスト: ザ・ビギニング」なんて、どれもこれもリメイクか二番煎じか焼き直しという作品ばかりで、新しいアイディアなんてないんだなあというものばかりだ。当然、批評家からもクソミソに言われている。


エイリアンとプレデターを戦わせるなんてアイディアが、一部では面白そうだと思われるのもわからないではなく、もし他に本当に何も見るのがないのなら見てもいいかなとは思うのだが、だからといって積極的に見ようという気にもならない。普通なら、やはりこういうアイディアを本当に映画にしてしまったことに対して失笑を禁じえないというのが、正常な観客の反応というものだろう。「アナコンダス」は、一昔前にタイトルが複数でなく単数形のほとんど同名の映画があったし、「エクソシスト」も、また今頃続編かという印象を拭いがたい。


実は「バイオハザード: アポカリプス」だって決して誉められてるわけではない。第一、このシリーズだってヴィデオ・ゲームからの派生作品であって、オリジナルのアイディアなんかじゃない。ついでに言うとそのオリジナルのゲームだって、特に斬新なアイディアが詰まっていたというわけでもない。その上今年は既に、ゾンビものでは「ドーン・オブ・ザ・デッド」が封切られているし、つまり、特に「アポカリプス」が必見の映画というわけでもないのだが、実は、私はかなり主演のミラ・ジョヴォヴィッチのファンなのだ。


ジョヴォヴィッチの魅力は、彼女がいつもどうしてもオーヴァーアクティングしてしまうアクション女優だからという点に尽きる。ともすればやり過ぎて見る者を食傷させてしまう嫌いが濃厚なオーヴァーアクティング系の俳優、特に女優は、常に失敗の可能性と隣り合わせだ。この際、はっきり正直に言うと、ジョヴォヴィッチがこれまでに主演してきた作品は、「フィフス・エレメント」、「ジャンヌ・ダルク」「バイオハザード」と、すべて失敗作と断言してしまって差し支えなかろうと思う。彼女のオーヴァーな演技がどうしても作品を破綻させずにおかないのだ。ましてや主演ばりばりの「ジャンヌ・ダルク」のような作品になるとなおさらだ。


しかし作品全体としてのまとまりという点を無視してジョヴォヴィッチだけを見るならば、上記作品はすべて鑑賞に堪える。というか、積極的に見ていて楽しい。つまり、ジョヴォヴィッチは見飽きない。それにしてもジョヴォヴィッチが演じると、なんで「ジャンヌ・ダルク」がSFのように見えてしまうのだろう。結局、彼女が出演する映画にほとんど現代が舞台の作品がないのは、ジョヴォヴィッチの存在が現代の枠にはまりきれないところから来ている。あと数年してこういう彼女のとんがり具合が多少おとなしくなってきたら、その時こそ現代ドラマにも重宝されそうな気がする。往年のローレン・バコールみたいな感じになるんじゃないかと勝手に思ったりしているのだが。


今回、そのジョヴォヴィッチの対極に、同様に男性顔負けの派手なアクションで活躍するジルというキャラクターがいるのだが、それを演じるのがシエナ・ギロリーだ。と、ここでは言っているが、実は私は、彼女がギロリーだということには、上映が終わってクレジットが流れるまでまったく気づかなかった。これまでギロリーがこなしてきた役と今回では、まったく印象が違う。特に「タイムマシン」の貞節な婚約者、「ヘレン・オブ・トロイ (Hellen of Troy)」での絶世の美女へレンなんてのを演じているのしか知らなかったから、ギロリーだと知った時にはかなり驚いた。


わざわざ髪を黒く染めてアクション全開で、私は最初、レナ・ソファーがまたずいぶん痩せたなと思っていた。あるいは角度によってはジェイミ・ガーツにも似ている。いずれにしても、アクション女優としてのギロリーもなかなか楽しめる。実際、アリスが目覚めるまでは彼女がほとんど一人で活躍しているし、スクリーンに映る時間も大差なく見える。ジョヴォヴィッチ目当てでこの映画を見に行って、ギロリー・ファンになって帰る観客も多いのではないか。既にババくさくなってしまったケイト・ベッキンセイルの後釜に座るやつがもう現れたかという感じだ。


ところで「バイオハザード」は、元々はシューティング・ゲームとはいえ、ホラーの要素が大きかったはずだが、今回はその要素はかなり希薄である。これだけゾンビが大量に現れても、あまり怖くない。ゾンビはシューティング・ゲームの対象としてしか存在しないようだ。実際、映画の中でアリスがアンジーに向かって、こいつらは速く動けないから大丈夫だよ、みたいなことを囁くシーンがあり、私は、違う違う、だからこそこいつらは怖いんだということを描かないとしょうがないじゃないかと思ってしまった。しかもゾンビが怖いのは、死んでいるのに、殺しても殺しても立ち上がって迫ってくるところにあるはずなのに、脳天に銃弾を一発撃ち込めばそれで終わりになってしまうと、本当にただのシューティング・ゲームになってしまい、これではまったく怖くない。その後、従来のゾンビにはない速さと強さを兼ね備えた、最強の親玉格のネメシスの登場に至っては、なにをかいわんやである。おまえはエイリアンか。


もちろん作り手の立場から言えば、ホラーとアクションの融合を目指しただけのことであって、別に怖さという点にはあまり重点を置いていなかったのかもしれない。 実際、作品の中にはかなり笑えるシーンも多く、覚醒したアリスがバイクにまたがってステンド・グラスを突き破ってジルたちの救出に登場するシーンでは、あまりもの演出過多に観客から失笑が漏れたし、もしかしたら逆受けを狙ってすらいたかもしれない。堂々とコメディ・リリーフの役を受け持たされた黒人も登場するなど、「アポカリプス」においては、ホラー色はかなり薄まっている。


「ドーン・オブ・ザ・デッド」では、ただ一匹、ゾンビ化しない犬が登場して、なぜ人間以外の生物はゾンビ化しないのかという問題点を提起していたが、「アポカリプス」では生物はウィルスによってゾンビ化するため、感染すれば犬もゾンビになる。しかしこうなると、ゾンビ猫、ゾンビ鳥、ゾンビネズミらも当然登場させるべきだと思うし、ゾンビゴキブリが発生した場合、人間がどう抵抗しようとも、地球がそいつらに乗っとられることになるのはほとんど確実だと思う。それともDNAが違うため、ゾンビ化するのはホ乳類に限られる、みたいな理由づけもありうるか。しかし、そう言えば、鳥インフルエンザに感染した人間もいるんだった。やっぱりゾンビ化するのは人間だけに留めておいた方がまだ利口かもしれない。 。 






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