28 Days Later


28日後  (2003年7月)

このところハリウッド産大作アクションが続いているので、この辺でちょっと小型のインディっぽい作品が見たいなと思って探していたのだが、結局、イギリス産とはいえ、それなりに製作費はかかっているように見える「28日後」にする。「ザ・ビーチ」でいかにもハリウッド・ハリウッドした作品を撮って散々貶された後のダニー・ボイルの新作ホラーで、このところいきなり暑くなったニューヨークを乗りきる納涼という意味でも面白そうだ。


病院で昏睡状態に陥っていたジム (キリアン・マーフィ) が目を覚ますと、周りには誰もおらず、病院のみならず、ロンドンは人っ子一人いない無人の廃虚と化していた。実はジムが昏睡中に、人間の「憤怒 (Rage)」を研究していた研究所から、環境破壊に反対する暴徒の手によってそのウィルスが市中にばらまかれてしまったのだ。この即効性のウィルスに冒された者は、たちまちゾンビのようになってしまう。ジムは教会でゾンビに襲われたところを、まだウィルスに冒されていない者によって救われるが‥‥


ホラーと聞いて見に行ったのだが、「28日後」はホラーではない。実は「28日後」の展開は、まったく「ドラゴンヘッド」のそれと同じであって、はっきり言って両者は同一のものである。つまり、「ドラゴンヘッド」が必ずしもホラーとは言い難いように、「28日後」もホラーではない。「28日後」では、ウィルスのためにゾンビと化した者が大挙して町を徘徊しているところがホラーと呼ばれる所以だろうが、それでも「28日後」は「ゾンビ」ではないし、「バイオハザード」ですらない。「ドラゴンヘッド」同様の末世サヴァイヴァルものというのがその骨子であり、ホラーを期待して劇場に行くと肩透かしを食らう。


その、一概にホラーとは言えない「28日後」で怖いと言える部分は、やはりゾンビと化した民衆が、ジムやその他の、まだウィルスに感染していない人々に向かって全力で走ってくるところだろう。あれは確かに怖い。ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」では、ゾンビはまだ走るものではなく、ゆっくりと、じわじわとではあるが、何をされようともゆるゆると対象に向かって前進してくるというところがとにかく怖かった。「ターミネーター」ですら、最初は、スロウな動きが逆にターミネーターの怖さを強調していたものだ。それがいつの頃からかゾンビが全力で走って獲物に襲いかかるようになり、それも最初は逆ウケしていたところが、現在では堂々と全力疾走ゾンビが怖いものとして認識されるようになっている。怖さという、普遍のように見える感情も、時代と共に移り変わる。


「ドラゴンヘッド」でもそうだったが、こういう設定で最も気になるのは、日本が、あるいはロンドンがそういう無法の町と化した時に、では、諸外国はどうしているのかということである。「28日後」では、レイジ・ウィルスが世界中に蔓延してしまったために、どこの国も自分のことで手一杯で、外国に救援物資を送るとか、応援部隊を派遣するとかいうことができなかったということはあるかもしれない。しかし「ドラゴンヘッド」では、富士が噴火したということなら、そこに国外から兵が派遣されてこないということはひたすら納得しにくい。自衛隊だけが日本に駐屯している軍隊ではないだろうに。


いずれにしても、そういう末世の展開になった時に、最後に軍隊的規律で人々を支配する機構ができてくるというのは、誰もが考えることであるようだ。ほっとけば皆パニックに陥って右往左往するだけだろうし、これは当然とも言える。そういう時に情報や人々を律するリーダーシップというのは是非とも必要であり、非常事態においては、規則を犯した人間を裁いてなんかいるより、鶴の一声で抹殺した方が手っとり早い。民主主義だとか何とか言ってる場合じゃないのだ。敵にはゾンビだっているし。


とはいえそういう状態においても、人の気持ちを慮り、弱気を助け強きをくじく的な気概を持つ者が出てくるからこそ、そこにドラマが生まれるのであり、そういう人間が当然ドラマの主人公となる。誰もが世界の終焉を予期していなかった「28日後」や「ドラゴンヘッド」においては、それは最初から高い志を持つ高貴なる人物ではなく、そういう場所に否応なく放り込まれた人間が段々そういう意志を持つようになる成長譚としても機能するようになっている。


それにしても今夏、日本では「ドラゴンヘッド」が公開され、欧米では「28日後」という、異名同一の作品が公開された。私はマンガの「ドラゴンヘッド」を読んでいるので、その映像化にも興味があったのだが、既に「28日後」が公開されてしまった現在、多分アメリカで「ドラゴンヘッド」を配給しようとする配給会社はないだろう。「28日後」脚本のアレックス・ガーランドが「ドラゴンヘッド」を読んでいてパクったんじゃないかという気までしてくる。


ところで物語は、始まってすぐ、病院で目覚めたジムが誰もいない廃虚と化したロンドンを一人病院のガウンをまとったまま彷徨い歩くというシーンになるのだが、このシーン、実はまるでブリティッシュ・エアウェイのTVコマーシャルと同じだ。それと同じ感想を「バニラ・スカイ」を見た時にも思ったのだが、今回はロンドンという場所まで同じ、さらに病院で主人公が目覚めるというシチュエイションまで一緒で、ホラーという設定ながらまったくパロディになっていておかしかった。


実は「28日後」は、私が劇場に見に行ってしばらくして、もう一つのエンディングが足された別ヴァージョンが公開された。なんでも「28日後」公開28日後に合わせてのギミックというか、マーケティングの新手法で、一度見た者をもう一度また劇場に来させる手段のようだが、しかし、なんだ、それ。最後にエンド・クレジット・ロールが終わった後に、もう一つのエンディングが足されているそうで、ついでにまだ劇場公開中だというのに、その新エンディングを足したDVDも既に発売されている。それはなあ。そんなの、ないんじゃないの。このあざとさ、この映画、20世紀FOX配給なんだが、思わず、これってミラマックス配給だったのかと思ってしまった。


いくらなんでも最後の数分のために、一度この作品を見た者がまた劇場に足を運ぶとは私には到底思えないし、はっきり言って、面白くはあったが、ただそれだけのためにこの作品をもう一度見ようとは私はまったく思わない。それならば他に見たい作品はたくさんあるのだ。そういえば昔、日本でも同じ作品が異なった二種類のヴァージョンとして公開されたこともあった。結局、どこが違うのかよくわからない、ただのエゴの張り合いでしかなかったようだが、今回も結局似たようなもんだろう。しかし、それでも、なにか釈然としないものを感じるなあと思うのであった。







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