I Am Legend   アイ・アム・レジェンド   (2007年12月)

ガンの特効薬が開発され、ついに人類はガンに脅かされることはなくなったと思ったのも束の間、その反動は、全人類をほぼ死滅させるウイルスの猛威となって蔓延する。死亡しなかった者はほとんどゾンビ化して暗黒の中に生きていた。その中でウイルスに感染しなかった科学者のロバート (ウィル・スミス) は、今日もただ一人、ウイルスに対する特効薬の開発のために、愛犬のサムとともにマンハッタンの住居で研究に余念がなかった‥‥


_____________________________________________________________________


近い将来に蔓延した疫病の中でただ一人免疫を持ち、生き残った男。どこかに自分同様まだ生き残っている者がいることを信じ、絶望と戦いながらワクチンの開発というほとんど勝てる見込みのない戦いに挑み続ける科学者。扮するはウィル・スミス。確かチャールトン・ヘストンの「オメガマン」ってそういう話じゃなかったっけと思っていたら、やはりそのリメイクだった。


というか、今回調べてみて、その「オメガマン」自体が既にリメイクで、リチャード・マシスンの原作「地球最後の男 (I Am Legend)」が、64年に「ザ・ラスト・マン・オン・アース (The Last Man on Earth)」として映像化されていることを知った。どうやら日本公開はされてないようで、こちらの方はまったく知らなかった。とはいえ見てからの感想を言うと、「アイ・アム・レジェンド」が想起させるのは「オメガマン」ではなく、「28日後 (28 Days Later)」「28週後 (28 Weeks Later)」の、ダニー・ボイルのホラー連作、特に「28日後」の方だ。


「28日後」は最初、廃墟となったロンドンにただ一人取り残された男というほとんど「レジェンド」そっくりのシチュエイションで始まる上、さらに両者で共通する、主人公を取り巻くゾンビの集団の印象が強烈だ。「レジェンド」はかなりホラーが入っているのだ。どちらかというとやはりSFの「オメガマン」より、「28日後」の方に印象が似通ってくるのも当然と言える。とはいえ、「28日後」はその後、生き残った人間を求めて主人公が旅するロード・ムーヴィ化していくが、「レジェンド」では主人公がニューヨークに留まり、愛犬のサムと共に事態の打開策を求めて日々研究を続けていくという大きな違いはある。


近年、ゾンビの描き方というものは年々変化している。最近のホラーではゾンビが走って登場人物を追い込んで恐怖に陥れるというのはほとんどお約束みたいなもので、ジョージ・A・ロメロがゾンビを用いて描いたゆるゆると恐怖を醸成するというタイプのホラーは、現在ではほとんど見かけない、というか機能しない。いったんゾンビが走り始めたら、もう元には戻れないのだ。たとえ作り手が大時代的なスロウな恐怖の醸成を描きたくても、ほとんど時代がそれを許さなくなっている。それはホラーというよりはショッカーなのだが、人々がそちらの方を求めているというのは確かにある。今ではゆっくりとゆっくりとこちらに迫ってくるゾンビというものは、「ショーン・オブ・ザ・デッド (Shaun of the Dead)」のように、パロディの世界にしか存在しない。ゾンビにとっても、世界は住みにくくなっている。


今回はさらに、そのゾンビが知恵を使い始めた。これまではただ食欲という唯一の本能のみに従って生きていた (という言い方もヘンだが) はずのゾンビが、今回は食欲というよりも、たぶんに報復といういかにも人間的な感情によって、ウィル・スミス演じる主人公のロバートを罠にかける。それにしても、ほとんど死んでいるはずのゾンビを撃つと今度こそ死んだように見えるのは、彼らがゾンビではないからか。しかし、そもそもの最初から、死んでいるはずのゾンビを撃つと今度こそ本当に死んでしまうというのは、ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」で描かれていた。要するに彼らはまだ死人ではないということか。だから食欲があるのか。なんてこった、今初めて気づいた。


さて、「レジェンド」ではなんといっても廃墟化したニューヨークの描写が話題を呼んだが、実際にCGをどこで利用しているのかよくわからないくらいよく撮れている。本当によくこんなのが撮れるなと思う。ニューヨークを廃墟化するというのは基本的にSF系映像作家の最終目的と言っても差し支えないものであり、近年だけでも「キング・コング」や「ゴジラ」のリメイク、「A.I.」「宇宙戦争」「デイ・アフター・トゥモロー」といった作品がすぐに思い浮かぶ。来春公開の「クローヴァーフィールド (Cloverfield)」の予告編でも、ニューヨークが破壊されようとしていた。ニューヨークの摩天楼を破壊するというのは、パニック映画の製作者の見果てぬ夢だ。街を破壊せずに廃墟化する捻った欲望を具現化した「バニラ・スカイ」という作品もあった。「レジェンド」は、それらの作品と比較しても決してひけをとらない。というか、これまで見たどの作品にも増してよく撮れている。


さらに気に入ったのは、実際にマンハッタンの地理をないがしろにしていないことで、冒頭、パーク・アヴェニュウを北上してきたスミス演じる主人公のロバートが、グランド・セントラル・ステーションを正面に見て左折してタイムズ・スクエアに到達する。これは実際に地理的にその通りであり、頭の中でマンハッタンの地図を描きながらスクリーンを見ている身としては、こういう風に景色が見えてくるのが当然というところをちゃんと押さえてくれるのは非常に嬉しい。この角を曲がればどういうビル、ストリート、景色が見えるはずというのは、ニューヨークを舞台とする映画では多くの者が頭に思い浮かべながら見ているはずなのだ。


さらに「レジェンド」で最も重要な舞台の一つとなるのは、ゾンビがロバートを罠にかける、高架になったグランド・セントラルの南側の入り口 (とはいえ現在では利用されていない) だ。この道は車専用であり、ミッド・マンハッタンを南下あるいは北上する時はここ、および映画の中でスミスが走ったトンネル (この辺の描写もちゃんと本物の地理通り) を走るというのが、信号をいくつも飛ばせて効率がいいため、私もマンハッタンの中を走る時はだいたいここを利用する。そういうよく利用する場所が、作品の最も印象的なプロットとして登場するのだ。どんなに廃墟化していようと、「MIB」のニューヨークより、「レジェンド」のニューヨークの方を身近に感じる。


そのロバートの住んでいる場所は、ワシントン・スクエア・パークの近くだ。感じでいうと、「再会の街で (Reign Over Me)」でアダム・サンドラーが住んでいたのがまさしくこの辺りだった。9/11で精神的に内向した男が住む場所と、疫病発生後、地球にただ一人生き残った男が住み、夜は窓のシャッターを閉め下ろして閉じこもる家がほとんど同じ場所だ。もしかしたらあの辺に人類のその後を占う鍵が潜んでいるのかもしれない。あるいは新しいパワー・スポットか。


ロバートの娘の名はマーリーであり、愛犬サムもメスだ (ということは本当の名はサマンサだろう。) しかしマーリーという名は、ボブ・マーリーに心酔しているロバートがその名をとったと言っている。名字をファースト・ネイムに利用していることもあり、名前だけではまず性別はわからない。そのため私はマーリーもサムも作品のかなり後の方になるまで男の子だと思い込んでいた。一見しただけで性別がわかりにくいイヌはともかく、マーリーが女の子だったとは。もちろん「幸せのちから (The Pursuit of Happyness)」で息子のジェイデンと共演したように、今回は実の娘のウィロウがマーリーを演じている。いずれにしても芸達者な家族だ。


監督は「コンスタンティン」のフランシス・ローレンスで、ミュージック・ヴィデオ出身の演出家らしく、ヴィジュアルに凝った絵作り。しかも近未来SFということもあり、それが効果を上げている。それだけでなく、いかにもハリウッドらしいオチまでちゃんとつけている。問題はそのオチのつけ方があまりにも唐突すぎる嫌いがあることだが、しかしその、どうしてもオチをつけなきゃ気が済まないというところが、英国製の「28日後」と比較すると面白い。たぶん日本製の「ドラゴンヘッド」は「28日後」に近いはずという確信を持っているのだが、それを調べてみるのも今後の課題だな。


いずれにしても物語の語り方はさすがハリウッドという感じで、一線級に仕事をさせたらやはりSFものでハリウッドにかなう者はいまい。上映後、面白かったあと思って隣りを見たら、完全に乗せられた女房は目をうるうるさせていた。話は変わるが、これは翌週の劇場の予告編で見たのだが、主演のスミスは次はSFコメディもので超スーパーマン化する。こちらも予告編だけで非常に感心させてくれ、めちゃ面白そうだった。彼が黒人スターで最も稼ぐのも当然という気がする。







< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system