パリを舞台に18本の小品で繋いだオムニバス。もちろん40年前の「パリところどころ」を思い出すが、あれは6人の監督による作品で、一人当たりの持ち時間は15分くらいあった。今回は2時間を18本、単純計算で一人当たりの持ち時間は6、7分である。色々な人間による色々なパリの姿が見られて得と言うべきか、それとも突っ込みが足りなくて不満に思うか。


この6、7分という持ち時間は、実はすごく難しいと思う。本当に言いたいことだけをずばりポイントだけを押さえて撮るなら、むしろコマーシャルみたいに2、3分が適当という気がするし、それなりにストーリーを入れて起承転結を図るなら、やはり最低でも15分は欲しいと思う。逆に言えば、6、7分というのはごまかしが利きにくく、演出家のセンスがもろに露呈しやすい。


因みに第1話の「モンマルトル」と第2話の「セーヌ河岸」は、共にいかにもパリらしく恋愛もので「モンマルトル」が中年、「セーヌ河岸」がティーンエイジャーが主人公だ。しかもそれぞれシチュエイションは異なるとはいえ、女性が倒れることが主人公の男女が言葉を交わすきっかけとなっている。そのため、私はここまでを見た時点で、全編で女性が倒れることがモティーフとして使われているのか、同じシチュエイションをどうさばくのかが腕の見せ所となっているのかとカン違いしていた。もちろんそんなことはなかったわけだが。


いずれにしてもそうやってでき上がったものは、実際に短編でありながらそれぞれに面白いくらい撮った人間の特長が出ている。つまりこの18本の中のどれが好きでどれが嫌いかというのは、逆に見た人が自分の本質をさらけ出すことに等しい。と前書きした上で私が気に入った作品を記すと、第2話「セーヌ河岸」(グリンダ・チャーダ)、第4話「チュイルリー」(コーエン兄弟)、第5話「16区から遠く離れて」(ウォルター・サレス)、第7話「バスティーユ」(イサベル・コイシェ) の4本。


「セーヌ河岸」は単純に主演のレイラ・ベクティの圧倒的な可愛さに惚れた。「チュイルリー」はコーエン兄弟らしい緻密に計算されたずれ具合がいい。なんとなく誰でも撮れそうだが、きっと誰が撮ってもああいう風にうまくは撮れまい。「16区から遠く離れて」はパリ郊外から市内に通勤してくるベイビーシッターの移民女性の話で、これも主演のカタリーナ・サンディノ・モレノ (「そして、ひと粒のひかり (Maria, Full of Grace」) がいいだけでなく、自分の赤ん坊で始まり、勤め先の赤ん坊で呼応して終わるまでの全体に流れるリズムが秀逸。「バスティーユ」は、要するに、私が考えるパリ、パリの人間、エスプリというものはこういうものなのだ。


もちろんこれらだけでなく、他にも印象に残ったエピソードはある。「トゥモロー・ワールド (Children of Men)」に続いてやはり1シーン1ショットを、今回はそれだけでほぼ1本を撮ってしまったアルフォンソ・キュアロンの「モンソー公園」だとかも印象に残ったのだが、実際に1シーン1ショットに適した長さを本当に1シーン1ショットで撮ってしまうのはインチキという意識も働くので、ちょっと減点。というか、「トゥモロー・ワールド」の力強さには及ばなかったと思うし、同じパリを舞台にした1シーン1ショットという点でも、ミハエル・ハネケの「コード・アンノウン」の印象の方が強い。もちろん、肩の力を抜いてテクニックだけで撮ったこの一編もできが悪いわけではまったくない。ニック・ノルティとリュディヴィーヌ・サニエの、いったいどういう関係かわからない二人の会話がどう続くのかと思わせといて落とす技は、これまたコーエン兄弟みたいな職人芸という感じだった。


また、印象に残ったエピソードがどちらかというと前半に固まっているのは、こういう短い作品を切れ目なく見させられるのは、後半になってくると見る方の集中力が続かなくなってくるからということも言えると思う。例えば短編小説集を読んでいて面白い作品を読み終えると、だいたいはそこでいったんは本を置き、しばし余韻に浸って作品を反芻すると思う。映像作品だって本来そうだと思うが、「パリ、ジュテーム」では面白いと思うエピソードに当たっても、それを反芻する暇なくすぐ次のエピソードが始まってしまう。これが何度も続くと、後半はそれぞれの作品に浸りにくくなる。この辺も6、7分の作品18本という体裁は難しいんじゃないかと思う所以だ。むしろいつでも進行を止められるヴィデオかDVD向きと言える。あるいは当然その辺を睨んでのオムニバス製作でもあるだろう。


一方、これは好きじゃなかったというのは、クリストファー・ドイルのチャイナタウンのヘア・サロンを描いた「ジョワジー門」、オリヴァー・シュミッツの一人の黒人の死ぬ前の一瞬を描いた「お祭り広場」、ヴィンチェンゾ・ナタリのヴァンパイアもの「マドレーヌ界隈」の3本。「ジョワジー門」はよくわけがわからなかったし、「お祭り広場」と「マドレーヌ界隈」は単純に力不足と感じた。シルヴァン・ショメの「エッフェル塔」は、それこそ全編アニメーションで撮ってもよかったのに。


当然見る者によってどのエピソードが好きかということは分かれると思う。例えば一緒に見たうちの女房は、ガス・ヴァン・サントの「マレ」がよかった言っていたが、その理由はというと、就業中に何かと理由をつけてワインを開けるというのがいかにもパリという感じでよかったというのと、主演のギャスパー・ウリエルのハンサムな顔、それとあの落とし方が印象に残ったからだそうだ。まったく頷ける理由であり、やはり見る人によってそれぞれ好きなエピソードが違って当然、むしろそうあるべきものだろう。


ところで、私は「ハンニバル・ライジング」を結構最近見たばかりだというのに、この「マレ」のウリエルに見ている間中気がつかなかった。ほとんど顔の輪郭が隠れるほどの長髪だったことが最大の理由だが、帰ってきて出演者をチェックしていて初めて気がついた。実は、げっ、この役者は彼/彼女だったのかと後で気づいたのはウリエルだけではない。「モンソー広場」のサニエも、ほとんど暗がりのロング・ショットばかりだったからとはいえ、これが「スイミング・プール」の彼女とはまったく気がつかなかった。一方のノルティにすぐ気がついたのは、顔よりもあの特徴のある声のせいだ。サニエの場合は特に出演作を見ているわけではないのと、フランス語だとやはり何言っているかわからないというのも大きい。


また、初めて見る顔だとばかり思っていた「バスティーユ」の愛人役が、「トーク・トゥ・ハー」で眠れるマドンナを演じたレオノール・ワトリングだとは夢にも思わなかった。ついでに言うとこのエピソードで主人公のセルジオ・カステリットも、ダメだ、どこかで見たことあるのは間違いないが思い出せないと思っていたら、「マーサの幸せレシピ (Mostly Martha)」の彼だった。フレンチ映画かアメリカ映画だとばかり思ってその辺の記憶を探ってばかりいたからな、まさかドイツ映画だったとは。


見知っている俳優でも、こうして見るとまた意外な側面発見という感じなのが、ウェス・クレイヴンの「ペール・ラシェーズ墓地」のルーファス・シーウェルで、よく考えたら彼は昨年の「ジ・イリュージョニスト」といい「ヘレン・オブ・トロイ」といい「アラビアン・ナイト」といい、これまでに見た作品のほとんど全部がコスチューム・プレイで、現代を舞台にする作品で見たことがなかったのだった。確かにこてこての衣装を着させると映えそうな濃い面構えである。また、アレクサンダー・ペインの「14区」に登場するマーゴ・マーティンデイルは、「ミリオン・ダラー・ベイビー」や現在FXで放送中の「ザ・リッチズ」でのごうつくばばあ的役柄に慣れていると、役柄の広いことに感心させられる。 







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Paris, Je T'aime   パリ、ジュテーム  (2007年6月)

 
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