The Illusionist   幻影師アイゼンハイム (ジ・イリュージョニスト)   (2006年9月)

20世紀初頭オーストリア。マジックに魅せられた青年は彼を慕う少女ソフィーを相手にいつもマジックを披露してみせていた。しかし貧しい指物大工の息子と支配階級の家の娘とでは身分が違い過ぎ、二人は親たちの手によって強引に引き離される。時が経ち、その若者アイゼンハイム (エドワード・ノートン) は謎のイリュージョニストとしてウィーンの街に現れ、その舞台は人気を博していた。ある日、それとは知らずに彼の舞台を見に、今では皇太子の婚約者となっていたソフィー (ジェシカ・ビール) が劇場に姿を現す‥‥


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毎年毎年、メイジャーのスタジオが配給しているわけでもなく、大きな宣伝合戦を繰り広げているわけでもないのに、口コミで噂が広がり、ロング・ランとなる作品が必ず一つは現れる。今年、現段階でのその手の作品の筆頭に挙げられるのが、この「ジ・イリュージョニスト」だろう。


主演のエドワード・ノートン以外は、一応ポール・ジアマッティという曲者俳優がいることはいるが、この二人以外の知名度は、例えばノートンと対を成すジェシカ・ビールは、アメリカのネットワーク、WBが放送しているTV番組「セヴンス・ヘヴン」を見てなければほとんど知らないだろうと思うし、皇太子を演じるルーファス・シーウェルも、特に名が売れているわけではない。もちろん「インタヴュウ・ウィズ・ジ・アサシン (Interview with the Assassin)」に次いでこれが2本目の演出作となる監督のニール・バーガーもほとんど知られていない。


その「イリュージョニスト」の内容は、イリュージョニストのアイゼンハイムが舞台でかつての恋人ソフィーと再会してかつての感情を再燃させるも、ソフィーは今ではオーストリアの皇太子の婚約者となっており、しかも嫉妬深い皇太子のレオポルドは、アイゼンハイムとソフィーに対し、暗い嫉妬の炎を燃やすというものだ。もちろんアイゼンハイムを演じるのがノートン、ソフィーを演じるのがビールで、シーウェルが皇太子を演じている。ジアマッティが演じているのが皇太子と懇意にしている警察官僚ウールで、物語は彼の目から見た話として語られる。


私は近年のCGを多用したファンタジー映画とかアクション映画にはほとんどそそられないのだが、「イリュージョニスト」は巧いと思った。要するに主人公がイリュージョニストであるためそこにCGを使う必然があり、CGを見せられてもそれがまがい物であり錯覚だという前提が既にでき上がっているため、これ、またCGでごまかしてんだろうと苦々しく思わないで済む。嘘んこだと念を押された上で、しかももしかしたらデイヴィッド・ブレインくらいのイリュージョニストならこれくらい実際にやってしまうんではと思わせられる微妙な現実と虚構の揺れ具合がいい。


しかしこの映画を最も成功させているのは、その上で作品をドライヴさせている、主人公のアイゼンハイムに扮するノートンの、CGとは縁もゆかりもない現実の演技に他ならない。アイゼンハイムは舞台上でかつての恋人ソフィーと再会し、二人の間に愛情を再燃させるのだが、婚約者を失うくらいなら殺した方がましと考える嫉妬深い皇太子の執拗な妨害により、ついにソフィーは命を失ってしまう。


愛する者を失って絶望したアイゼンハイムは、持てる力を最大限に発揮して、死せる者の魂をこの世に呼び戻すという出し物を舞台にかける。もはや彼の舞台はマジックやイリュージョンというよりも、降霊会という体裁を帯びてくる。しかし彼の舞台は本当に死者の霊を呼び戻しているのか、それともやはりトリックか、アイゼンハイムの本当の意図はどこにあるのか、死んだソフィーの霊に殺人者を弾劾させることにあるのか。人々はそこに超自然の不思議を見、アイゼンハイムは彼を崇める者たちによってもはや教祖のように崇拝され始める。人心は乱れ、情勢は不穏になり、ウールは社会の秩序を紊乱したかどでアイゼンハイムを逮捕せざるを得なくなる‥‥


この後半の、ソフィーを失ったアイゼンハイムが、どんどん内にこもり、死者を甦らせ対話しようと試みるという鬼気迫る暗い情熱をノートンが怪演しており、ぞくぞくさせられる。一方、作品は果たして彼の本当の目的はどこにあるのかという謎解きものとしての面白さも含有しており、実は最後に種明かしが終わってからの「イリュージョニスト」に最も印象が近い作品を挙げるとするならば、それはM. ナイト・シャマランの諸作品である。私が「イリュージョニスト」を見て連想した作品は「シックス・センス」であり、一方、私の女房は「ヴィレッジ」を思い出したと言っていた。


その最近のシャマラン作品の「レディ・イン・ザ・ウォーター」で、実は今一つしっくり来なかったジアマッティが、ここではぴたりとはまる狂言回しを好演している。作品の語り手としてだけではなく、文字通り狂言回しとしか言いようがない重要な役を振り当てられているのだが、それが何を意味しているかは見てのお楽しみだ。ソフィーを演じるビールもかなりできはよく、シーウェルも悪くない。ノートンの若い頃を演じる青年がノートンに較べハンサムすぎるんじゃないかとは思ったが。


原作はスティーヴン・ミルハウザーの同名短編で、延々と描き込んで圧巻というピュリツァ賞受賞の「マーティン・ドレスラーの夢」で知られている。邦訳はほとんどを柴田元幸が訳しているから、日本でもかなり知っている者は多いだろう。「イリュージョニスト」も「幻影師、アイゼンハイム」という邦題で柴田が訳している。私は実は読書は最近ほとんどミステリばかりで、ミルハウザーという名前は知ってはいても読んだことはなかったのだが、この作品を見てちょっと興味がわいてきた。まずは原書でも読めそうかどうか、ちょっとバーンズ&ノーブルでチェック入れるのが先だな。






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