The Rite


ザ・ライト -エクソシストの真実-  (2011年1月)

葬儀屋の一人息子として生まれたマイケル (コリン・オドノギュー) は、幼い頃から死と隣り合った生活を送ってきたからか、信仰に深い関心を持つようになり、長じて聖職者となるために神学校に進学する。しかし信仰のためというよりもビジネスのために籍を置いている者の多い学校生活は失望させるものでしかなく、マイケルは中退を決心する。マイケルに目をかけていたマシュウ神父 (トビー・ジョーンズ) は、マイケルをローマに送る。そこでマイケルはゼイヴィア神父 (キアラン・ハインズ) によってトレヴァント神父 (アンソニー・ホプキンス) に引き合わされる。神父は、世界でも類を見ないエクソシズムの専門家として知られていた。マイケルは半信半疑のままトレヴァント神父のエクソシズムに同席する‥‥


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特に興味を惹かれる新作の公開がない週末、ジェイソン・ステイサム主演のアクション「ザ・メカニック (The Mechanic)」とアンソニー・ホプキンス主演のホラー「ザ・ライト」を秤にかけ、「ライト」にする。「メカニック」のアクションもそこそこ面白そうではあるが、予告編で見るホプキンスはさすがに上手で怖そうで、「ハンニバル (Hannibal)」以来の不気味さを見せてくれそうだ。


マイケルは葬儀屋に生まれ、幼い時に母を亡くしたこと等もあって、小さな頃から死が身近な環境で内省的な子として育った。信仰に関心を持ったマイケルは神学校に進むが、いたずらに俗化した学校はマイケルを失望させるものでしかなかった。マイケルは退学を決心するが、彼に目をかけていたマシュウ神父は説得に転じる。雨の日にマイケルを追いかけた神父は転倒し、偶然の積み重ねでそばを自転車で走っていた女性が車に撥ねられ死亡、マイケルは図らずも女性に死出の祈りを捧げる羽目になる。


結局マイケルはマシュウ神父の願いを聞き入れ、ローマに旅立つ。そこで講義を行っているゼイヴィア神父は、マイケルにエクソシズムに関心はあるかと持ちかけ、癖のある人物だが、最も経験豊富なトレヴァント神父を紹介する。信仰に揺らいでいるマイケルには、直にその目で最も極端な正邪の相克を見せる方が効果的だと判断したのだ。


トレヴァント神父は彼自身が半分教会から逸脱したような人間だった。神父がエクソシズムを行うと、悪魔憑きの女性が口から釘を吐くなど説明のしようのない現象が起きるが、やはりマイケルはすべてを信じることはできなかった。そうこうしているうちに、トレヴァント神父自身、そしてマイケルの身の回りにも不思議なことが起こり始める‥‥


主人公マイケルを演じるコリン・オドノギューは、NBCの「ヒーローズ (Heroes)」のマイロ・ヴェンティミリア似で、実際に何度もピーターと錯覚しそうになった。角度によっては瓜二つだ。そのマイケルの父にルトガー・ハウアー、学校付きのマシュウ神父にトビー・ジョーンズ、ゼイヴィア神父にキアラン・ハインズ、マイケルが知り合いになる女子学生にアリシー・ブラガが扮している。特にブラガって、覚えているのは「アイ・アム・レジェンド (I Am Legend)」「ブラインドネス (Blindness)」「レポゼッション・メン (Repo Men)」なんて、文明が崩壊したり疫病が蔓延した後の作品ばかりで、なんかアルマゲドン女優とでも呼びたくなるようなキャリアだ。別に特に一見してSFホラー系の顔をしているようにも見えないんだが。


しかしもちろん、「ライト」はホプキンスの映画だ。予告編で見た小さな女の子相手に手をぷるぷる震えさせるシーンはとても印象的なのだが、実はそのシーンは本筋から離れているというか、捨てエピソード的に使用されている。ほとんどそのシーンに釣られて見に行ったような身としては、なんかはぐらかされたような気分。演出は「1408号室 (1408)」のミカエル・ハフストロム。


この映画、一応ホラーとジャンル分けされているが、特に怖いかというと、そうでもない。ドラマ部分が結構比重が高いというのもあるし、エクソシズムを正面切って描くとなると、どうしても「エクソシスト (The Exorcist)」と比較せざるを得ないが、あれだけ印象強烈な作品が既にあると、どうしても劣勢は免れ得ない。実際に作品の中でホプキンス演じるトレヴァント神父自身が、別に変身するわけでもない悪魔憑きの女性にエクソシズムを施した後で、マイケルに向かって、「何を想像していたんだ、頭が回転してグリーン・ピー・スープを口から吐き出すことか?」と詰問する。本職ですら「エクソシスト」見てその影響受けているのだ。それよりも、ホプキンスや、悪魔憑きになる女の子、うまいなあ、みたいな評価になってしまう。


全体的な雰囲気作りとしては悪くないし、そこそこいい線行っていると思うのだが、詰めが甘いという印象を受けるのは否めない。それは、やはり悪魔との対決がちゃんと白黒着いたようには描かれていないからだろう。それどころか、見終わった後、で、本当に悪魔はいたの? という疑問すら頭をもたげる。あれらはもしかして登場人物の妄想ではなかったか。


聞くところによると、バチカンはこれまでにエクソシズムを正式な教会の儀式としては認めてなかったらしい。しかしエクソシズムという単語が示すように、そのこと自体は昔からあり、実際にたびたび行われてきた。近年は隠す必要もないということでか教会の態度も軟化して、既成事実としてエクソシズムを認めるようになっているということだ。


先週「ザ・グリーン・ホーネット (The Green Hornet)」を見た影響かもしれないが、ヒーロー vs 悪の図式の変化が、「ライト」にも現れているという風に感じる。近年のヒーローものは、正義を構築するためにまず悪を生み出さなければならないというニワトリ-卵問題に悩まされているが、「ライト」でも神/天使の存在を決定づけるためには悪魔が必要だという、背反した命題にどのように決着をつけるかで頭を悩ませているようだ。昨年の「デヴィル (Devil)」がラストに述べたように、「悪魔がいるなら、それは神がいることの証明でもある」のだ。どうやら、人間には悪/悪魔が必要らしい。








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