Repo Men


レポゼッション・メン  (2010年3月)

近未来、臓器移植技術の発達のおかげで人々の寿命は延びていたが、一方、臓器移植にかかる費用は莫大で、手術が成功して退院しても手術費用が払えない人もいた。レポゼッション・メンはそういう人々から移植した臓器を払い戻してもらうという仕事をしていた。ガキの頃からの悪友同士であるレミー (ジュード・ロウ) とジェイク (フォレスト・ウィテカー) は、腕のいいレポ・メンとして巨大臓器移植企業に勤務していた。ある時、臓器回収に向かった先でレミーは罠に引っかかって心臓発作を起こしてしまう。目覚めたレミーは自分に心臓移植が施されたことを知るが、しかしレミーにはその代価を支払える能力はなかった。支払いは滞り、そしてその回収にジェイクが差し向けられる‥‥


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「レポゼッション・メン」-- 略して「レポ・メン」というタイトルには非常に懐かしいものがある。私が学生時代、とにかく手当たり次第に映画を見ていた時代の一本に、「レポ・メン」ならぬ「レポ・マン (Repo Man)」があった。

まだインターネットも登場していない当時、多くの人々にとってたぶんまだ映画が最大の娯楽であった時代、ほとんど活字中毒者が本を求めてふらふらと書店に足を運ぶように映画館に通った時期があった。何を見るか決めてから映画館に行くのではなく、とにかく暇があれば映画館に通い、その時に上映している映画を見ていた。映画であればなんでもよかった。そういうことのできる時間があったというのが一番大きな理由だったと思う。名画座専門だったから懐もあまり痛まずに済んだし、特集をやっているとほとんど日替わりで別の作品を上映するから、見る作品にも困らなかった。というか、名画座は山のようにあった。

「レポ・マン」もそういう時に見た一本で、もちろんタイトルが意味することも知らなかったし、正直言って誰が撮って誰が出ているかすらあまり気にかけていなかったと思う。しかし特にできのよかった作品というわけでもないその作品を今でもかなり鮮明に覚えているのは、その意外性にあった。

エミリオ・エステヴェス扮する主人公はレポ・マンとして、とある車を回収するという仕事に就く。その辺の子細はさすがに忘れたが、その車を実はエイリアンも追っていて、話はどんどん突拍子もなくSF化していくという、奇妙奇天烈な映画だった。作品としてのまとまりはともかく、まったく内容を知らずに見始めた時のインパクトは強烈で、この作品を撮ったアレックス・コックスという名が頭に刻み込まれた。その時にレポ・マンというのが車を回収する仕事屋ということを知った、というか、そう思い込んだ。レポというのがレポゼッションの略だということを知るのはそれからさらに10何年後、アメリカに来てからの話だ。

そして今、「レポ・メン」だ。レポ・マンではなくレポ・メンと複数形になっているからには、主人公は二人以上だ。ポスターを見ると、ジュード・ロウとフォレスト・ウィテカーの二人が写っている。なるほど、今回はこの二人が主人公でエイリアンとわたり合うわけか。

要するに、私は「レポゼッション・メン」を「レポ・マン」のリメイクだとばかり思い込んでいた。これだけのカルト・クラシック、まがりなりにも映画を撮ろうと思う者が知らないわけはなく、であるからには、このタイトルをつけたことによってリメイクだと早合点される可能性は非常に高い。

私の場合このカン違いは、映画が始まってもかなり長く続いた。今回は車の回収の代わりに、レポ・メンたちは臓器を回収する。移植手術を受けた者たちが、月賦を払えなくなった時に、その臓器を回収するのだ。もちろん相手に有無を言わせず、いきなり力づくで回収する。それで相手が死んでしまおうがそれはこっちの知ったこっちゃない。これまで我々の提供した臓器で生きてこられたことを感謝してもらいたいくらいだ。どうせ支払いは未納なのだ。

車ではなく臓器を回収するというアイディアは、いかにも近未来に起こりそうな設定で、なかなか目のつけどころはいい。しかし、これでいったいどこでエイリアンが絡んでくるんだ? そのための近未来という舞台でもあるんだろ? と、私は、ほとんど映画が終わり近くになるまでエイリアンの死体、もしくは臓器移植をしたエイリアンがどう話に絡んでくるのかと思っていた。昨年、難民化したエイリアンを描く「第9地区 (District 9)」なんて作品を見ているものだから、人がエイリアンに臓器移植するなんて設定だとしても、ほとんど不思議に感じなかった。これはどうやら「レポ・マン」のリメイクでもなんでもなく、まったく別種の「レポ・メン」を描く話であったことにようやく気づいたのは、もうほとんど映画も終わる寸前だった。別の話だったのか。

つまり「レポゼッション・メン」は「レポ・マン」ではなく、設定として最も近いのは「アドレナリン: ハイ・ボルテージ (Crank: High Voltage)」の方だ。心臓を盗まれたり勝手に心臓を移植されたり、自分の心臓をとり戻すためにタイム・リミットを横目で見ながら時間との戦いで相手を追いつめる。あるいは、追っ手から逃げる。設定が突飛とは言えるので、現代が舞台の「アドレナリン」ではどちらかというと乗りはデフォルメを利かしたコメディだ。「レポゼッション・メン」では、さすがにこれをコメディではなく、設定を嘘くさくなくシリアスなドラマにするために、舞台は近未来になっている。近未来、いや、今でも既に闇の臓器販売や臓器移植は大きな商売であり、自分の臓器を売ろうとする発展途上国の人間は後を絶たない。やがて臓器移植が大きなビジネスになるのは必至だ。


ガキの頃からの悪友同士レミーとジェイクは、腕利きのレポ・メンだった。彼らは対象者から人工移植した臓器や手足等を回収するのが仕事だ。しかし、それが手足等ならともかく、心臓や腎臓等の臓器となると、回収されたら対象者は死んでしまう。それで相手も必至で懇願したり逃げる。そういう者を追い詰めて臓器を回収できるからこそ、彼らはプロのレポ・メンだ。


それでも腕利きのレポ・メンでも時に失敗したり相手のかけた罠に陥る時がある。レミーがその計略に引っかかり、気づいた時には自分の心臓が奪われていた。なんとか生き長らえることができたのは、それこそ自分が勤めている企業の人工心臓を移植されていたからだ。レミーは自分の心臓を奪った男を探し出して心臓を奪い返すしかない。それができなければ心臓移植にかかった費用を払わざるを得ず、もしそれもできなければ、レミーの心臓を回収しに別のレポ・マンが差し向けられてくるだろう。追う者が追われる方に回り、レミーは途中で遭遇したバーの歌姫ベスと共に逃避行に転じる。


主人公レミーを演じるのがジュード・ロウで、相棒のジェイクをフォレスト・ウィテカーが演じている。彼等が勤める企業のボスを演じているのがリーヴ・シュライヴァーで、ベスを演じるのがアリス・ブラガ。ブラガはどこかで見ているが思い出せないなあと思っていたら、「アイ・アム・レジェンド (I Am Legend)」で主人公のウィル・スミスを助けた彼女だった。ついでに言うと、調べていてデビューはフェルナンド・メイレレスの「シティ・オブ・ゴッド (City of God)」で、男女が浜辺に座っているその印象的なポスターで、隣りに座っている褐色の肌の男にキスしようとしている女性こそブラガということを知った。そうだったのか。


意図していたものとは勝手の違う作品を見てしまったわけだが、それでも「レポゼッション・メン」は結構面白い。SF好きなら間違いなく楽しめるだろう。それでもこの映画、興行的にはどう見てもぽしゃってしまったのは、私のようにオリジナル (では実際ないのだが) を見ている者にとっては、特にリメイクを見る必要を感じなかったこと、逆に新作ということを知っている者にとっては、それこそ「アドレナリン」があるために興味を惹かれなかったというのもあるかもしれない。演出はこれが長編第1作となるミゲル・サポクニック。ストーリーボード・アーティスト出身だそうだ。日本でいうとアニメ上がりという感じだろうか。ヴィジュアル重視の演出はいかにもという感じがする。








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