Hannibal

ハンニバル  (2001年2月)

先々週公開した「ハンニバル」は、公開初週に記録的な興行成績を上げてボックス・オフィスのトップに立った。公開している他の映画をまったく寄せつけない圧倒的な人気で、劇場の前はずらりと長い列ができている。先週も、これじゃあもしかしてまた並ぶかもと思ったので、今週まで待つことにした。そしたら、既に見たやつから入ってくる噂ときたら、ネガティヴなものばかり。監督のリドリー・スコットは昨年「グラディエイター」で株を上げたというのに、今回はあまりにグロいのが反感を買ったらしく、そのものずばりのシーンは見せないで、観客の想像力に委ねた前作のジョナサン・デミの方がうまかったという話ばかりが耳に入ってくる。確かに元々スコットは視覚的に訴えるタイプの監督なので、見せないで想像に任せる、というタイプの演出はまるで考えてもいなかっただろう。しかし、そういう監督に演出を任せて、見せないデミの方がうまかった、などと言われては本人もたまったものではないに違いない。そういうことをつらつらと考えながら見に行った。


そしたら面白いじゃないか。このゴージャスな作りは、まさしく「グラディエイター」を作った人間のもの。私はトマス・ハリスの原作は「レッド・ドラゴン」と「羊たちの沈黙」は読んでいるのだが、「ハンニバル」はまだである。しかし原作は前2作とも充分グロかった。その2作の映像化がグロくなかったからといって、今回グロすぎると責めるのは筋違いというものではないか。そういうグロさを自分流の美学をもってきちっと演出できるのは、やはりプロフェッショナルの仕事である。私は堪能しました。


実は私は「レッド・ドラゴン」と「羊たちの沈黙」の映像化は見ていない。86年の「レッド・ドラゴン」の映像化である「刑事グラハム/凍りついた欲望 (Manhunter)」は、元々TV映画であり、見てないのはしょうがないが、マイケル・マン監督、ブライアン・コックス主演と、なかなかに食指をそそる面子ではある。「羊たちの沈黙」も見てなく、じゃあヴィデオででも見るかと思っていたら、劇場でこの映画を見た女房が面白くなかったというので、そうか、それほど面白くないのか、と思ってこちらもこれまで見てなかった。


なんでも冒頭すぐのシーンで、ジョディ・フォスターがジョギングをしていて、振り返るとFBIと書かれたキャップをかぶった男が現れる。登場する人物の身柄を紹介をするのにこんなあからさまに下手な演出をするやつがいるかと憤っていたので、そうか、それもそうだなと思っていた。しかし、今回改めて人の話を聞くと、その「羊たちの沈黙」が「ハンニバル」よりよかったという人の方が多いのだ。しかし「ハンニバル」は面白かった。本当に「羊たちの沈黙」は面白くなかったのか? 女房に訊くと、段々小声になってくる。もしかしたら私はフォスターがそれほど好きじゃないからそのせいもあるかも、と、段々自分の意見に自信が持てなくなってきた模様である。うーむ、やはり見ておくべきだった。


今回の映像化は、この見せまくるスコットの演出と、果たしてフォスターと同じくらいのレヴェルでクラリス・スターリングを体現できたかが疑問視されていた、ジュリアン・ムーアのできに注目が集まっていた。ギャラの問題で? フォスターが役を蹴った後ムーアに決まるまでにも、ケイト・ブランシェット、カリスタ・フロックハート、ジリアン・アンダーソン、アシュリー・ジャッド等、なるほどと思うものから首を傾げざるを得ないものまで、何人もの女優がクラリス候補に上がっている。フォスターだって、実は「羊たちの沈黙」で第1候補のミシェル・ファイファーが降りたために回ってきた役だったのだが、それで人々にクラリスの印象決めちゃったから、とにかく次は誰であろうとやりにくいに違いない。


それはともかくこの手のやつで一番気になるのは、銃を構えた時に様になる女優というのが少ないことだ。ムーアも他のシーンではともかく、冒頭の銃撃戦ではあまり絵になってない。FBIの先頭に立つ女性として同僚と共にバンの後ろから出てくる時に、やっぱり、もうちょっと颯爽としてもらいたいよなと思ってしまう。スコットはもちろんそれをわかっていて、そう見えるように撮っているのもよくわかるのだが、これは演出以前の問題だからな。本人が銃の撃ち方を知らなければ、やはり構えというのは絵にならないのだ。しかし銃撃戦が絡まないそれ以降は、ムーアも別に悪くないと思う。はっきり言ってフォスターだって銃の構えがとれるかというと、私には到底そうは思えない。フォスターはまるで運動音痴に見える。本当に前作はどうだったんだろう。


アンソニー・ホプキンスは、うまいよねえ、やっぱり。コックスを除き、他にどんな役者がハンニバル・レクターをやれるのか考えてみようと思ったのだが、彼のレクターを見てしまうと、ちょっと難しい。一時ホプキンスの代わりとしてティム・ロスが候補に上がったそうだが、非常に違和感を感じてしまう。人々はやはりホプキンスのレクターを記憶するのではないか。このシリーズが成功しているのは、ホプキンスの役の造型に多くを負っていると言っても過言ではあるまい。


ゲイリー・オールドマンは完全に顔が変形しており、最初から知っていなければどこの誰だかまったくわからない。あれだけ特殊メイクしていると、顔の表情がほとんどわからないため演技もくそもないのだが、でもオールドマンと知ってると、それはそれでよくやってるじゃんと思ってしまうのは不思議である。懸賞金のために抜け駆けを試みるジャンカルロ・ジャンニーニは、こないだTVで見た「デューン 砂の惑星」の皇帝役よりも、多少よれよれとした今回の方が断然よかった。ヨーロッパ系の俳優は、こういうちょっと崩れた役というのがよく似合う。


スコットはヴィジュアルを重視する監督としては、最もハリウッドと相性のいい監督のようだ。新しいヴィジュアル系の才能として、昨年の「ザ・セル」のターセムなんかは、面白いけれども、物語というよりは自分の才気に走りがちだったし、「チャーリーズ・エンジェル」のマックGも、どうしてもヴィジュアルの一発ギャグ的な演出をせずにはいられないようだった。他にこの手のグロさを伴ったハリウッド的大きな物語を語りながら、しかも自分のセンスを強烈に刻印することのできる監督としては、なんといってもポール・ヴァーホーヴェンの名が真っ先に思い浮かぶ。しかしヴァーホーヴェンは去年「インビジブル」で自分の趣味に走りすぎて少し失速してしまった。やはりスコットは、今現在のハリウッドには不可欠の存在だ。


クライマックスなんて、下手くそな監督が演出すると、思い切り外してお笑いになってしまうところである。そこを力技で見せてあっと言わせた挙げ句、ブラック・ジョークで口直しする。やはり力があるよなあ。ここ当分はスコットの時代が続きそうな気がする。最後に一言付け加えるならば、あの役をやることにOKを出したレイ・リオッタはいったい何を考えていたんだろうか。まったく、あれは強烈だった (まあ、見ればわかる)。あんた、今後どんな役をやろうとも、人々はあんたを「ハンニバル」でのあれ、としか覚えてないよ。本当によくやる気になったもんだ。







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