The Exorcist

エクソシスト/ディレクターズ・カット  (2000年10月)

日本に2週間帰省して、帰ってきたら時差ボケで起きられない。ラース・フォン・トリアーとビョークの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見るつもりでいたのだが、週末、2日続けて起きたら既に昼を過ぎており、時間に間に合わない。入場料が半額になることや、午後からは掃除、洗濯とやることがたまっているため、映画を見る時は週末の初回と決めており、仕方なく「ダンサー」は諦めて時間の合った「エクソシスト」完全版を見ることにする。ベン・スティラーとロバート・デニーロが共演するコメディ「ミート・ザ・ペアレンツ (Meet the Parents)」にも惹かれたのだが、まだ身体が本調子でなく、思い切り笑おうという気分じゃなかったため、パスする。この間発見したマイク・ホッジスのカルト・ヒットをシルヴェスタ・スタローン主演でリメイクした「ゲット・カーター (Get Carter)」にも食指をそそられたのだが、評が悪すぎたためこちらも断念。スタローンは最近、何やってもうまくいかないみたいだなあ。


この「エクソシスト」、今回は「The Exorcist: Version You've Never Seen (あなたがこれまでに見たことのないエクソシスト)」という大仰なタイトルがついているのだが、このタイトル、やはりマスコミからは無視されたみたいだ。どの雑誌を見てもタイトルはただの「The Exorcist」になっていた。あんまり奇をてらい過ぎるのはやっぱりね。無視されるだけだよ。


私が「エクソシスト」を見にいこうと思ったのは、変な話だがこの映画、よく深夜のTVにかかっており、そのたんびに、へえ、結構よくできているなあと感心していたからだ。しかしただ点けているだけのTVだと、ちょっとだけ見て感心してまた別のことをやるという具合で、最初から最後まで通しで見たことはない。通しで見たのは25年前、中学生の時に映画館で見た時だけだ。その記憶も今は薄らいでおり、新たに11分のフッテージも足されたというし、ここらでもう1回見ておくのも悪くはないだろうと思ったわけだ。


しかし足された11分というのも、話題になったリーガンの逆さ蜘蛛歩きだけは流石にぎょっとしたが、それ以外はどこが足されたのかさっぱりわからない。元々の記憶が薄れているからなあ。段々素行がおかしくなってくるリーガンを診断するのに、当時の様々な先端医療機器で治療するのだが、咽喉に注射器を突き差して血がぴゅーというのも前のヴァージョンではなかったような気がする。今回は、そういうリーガンが徐々に悪魔化してくるという点の描写にいくらかシーンが足されているようだ。


しかし前回と今回で何が一番違ったかというと、これは紛れもなく観客の反応だね。前回見たのが日本の片田舎、今回がニューヨークということで、場所の違いから来る観客の映画に対する反応が実は一番面白かった。多分ニューヨークでも25年前と今回では観客の反応は異なっていると思うのだが、少なくとも今回は観客はただ怖がるわけではない。映画では、悪魔化していくリーガンの言葉が段々汚くなっていくのが、結構重要なポイントとなっている。母親が映画スターで上流の暮らしをしているリーガンがは、まず絶対に使わない汚い言葉を使うようになっていくというのが、リーガンが変わっていくということの証左になっているわけだ。


そのため、12歳のリーガンが「Shit」だの「Fuck」という言葉を使うと、場内が一瞬息をのむ。これはアメリカに住むとよくわかるが、このくらいの歳の子は親の前では絶対にこういう言葉は使わないのだ。これはもう絶対である。たとえ天地が逆様になろうとも、こういうことは絶対に起こらない。だから観客は今もやっぱりショックを受けて息をのむのだが、しかしその直後に、場内に爆笑が巻き起こるのだ。この辺が2000年だね。多分25年前は観客は本当にショックを受けたと思うよ。その当時に「エクソシスト」を見て場内に笑いが起こったら白けるか頭に来ただろうと思うのだが、時代は変わる。今回は実は私も一緒になって笑ってしまった。あの可愛い顔であんな言葉を使われて、場内シーン、次の瞬間、いや、これはやっぱり思わず笑っちゃうんだよ。これ、どうなんだろ、日本で上映しても笑うかなあ。実に興味ある。とにかく、このあたりの微妙なセリフ回しは大昔に字幕を見ただけでは納得していなかったなあ。


しかし話自体は丁寧にエピソードを積み重ねながら撮っており、少しずつ何度も見ているとはいえ、まったく退屈しなかった。特にカラス神父の書き込みがいい。ところでカラス神父を演じるジェイソン・ミラーは本業は役者というよりも劇作家であり、昨年ショウタイムで放送された「ダット・チャンピオンシップ・シーズン」の作者として、ピュリッツァ賞もとっている。私は昨年これを知って驚いた。今でも舞台にはよく立っているらしい。「ヒマラヤ杉に降る雪」で、指がぶるぶる震えていたマックス・フォン・シドウが、ここでもやっぱり指をぶるぶる震わせていたのには笑ってしまった。なんだ、彼は昔からこういう演技をしていたのか。全然覚えてなかったよ。私は「ヒマラヤ杉」でのシドウがあまりにもはまっていたので、演技でなくて本当に老齢かアル中で指が震えているのかと思っていたのに。でも、シドウは「エクソシスト」も「ヒマラヤ杉」も同じ顔に見える。25年前から映画界の重鎮という役どころを演じ続けていたのか‥‥


それと懐かしかったのが、マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」。私は一時期、このアルバムにはまって幾度となく繰り返して聴いたことがある。「エクソシスト」では刺し身のツマみたいな使われ方をして、しかもまるで画面とマッチしてなくて違和感があったという記憶があったが、それは今回見ても変わらなかった。映画がヒットしたためオールドフィールドも知名度は上がったようだが、あんな使われ方じゃあ本人も納得行かなかっただろう。あれでアルバムが変にホラー映画のサントラみたいな知られ方しちゃったからなあ。でもあれはいいアルバムである。ちょっと聴く方に精神力を要請するが。


あと気になったのが、この作品、こんなにズームを多用していたのかってこと。至るところでズーム・イン、ズーム・アウトを行う。キッチンで話し込んでいる二人をとらえたままズーム・アウトしていったら、当然手前から誰かが画面に入ってくるか、ホラーなんだから何か脅かせてくれると思うのだが、そんなことはない。肩透かしである。カラス神父が初めて登場する、大学で歩いているシーンでは手前で映画の撮影が行われており、それを舐めていってズーム・インというのは結構うまいと思ったのだが、感心しないズーム使用も多かった。やっぱり、あれですかね、ホラーだから意味シンなシーンを挿入したくてズームが多くなるのだろうか。私はやり過ぎだと思ったな。


監督のウィリアム・フリードキンは、「エクソシスト」の2年前には「フレンチ・コネクション」を撮っているし、この時代のハリウッドを代表する監督だったんだなという気がする。それがいきなり70年代後半からつまらなくなった。私は「エクソシスト」のフリードキンだからと思って「ガーディアン」というホラーも見たことがあるのだが、「超」がつくくらい下らない映画だった。なぜ同じ監督が演出してここまで差が出るのか不思議である。脚本のせいだけではないとしか思えないのだが。それが今年、「英雄の条件」がヒットし、今また「エクソシスト」と、いきなりフリードキン復活の兆しが見えている。完全復活だとよろしいのですが。さあて、「エクソシスト」で肩慣ししたし、私も来週は寝坊しないで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見に行くぞ。






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