The Green Hornet


グリーン・ホーネット  (2011年1月)

LAの有力紙ザ・デイリー・センチネルの経営者ジェイムズ・リード (トム・ウィルキンソン) が頓死し、すべての遺産および社の経営権が、不肖の息子ブリット (セス・ローゲン) に譲られる。これまで常に首根っこをジェイムズに押さえられ、穀潰しのように扱われてきたブリットは、これで自由になれるとむしろせいせいする。さらに家に雇われていたケイトー (ジェイ・チョウ) が、機械の扱いに滅法強く、カンフーにも秀でた使い手であることを発見したブリットは、二人が協力することで、今こそ長年思い描いてきた正義のスーパーヒーローになれる機会が来たと考える。グリーン・ホーネットと名づけた二人のタッグが、LAの裏の世界を牛耳るギャングのボス、ブラッドノフスキー (クリストファー・ヴァルツ) に敢然と立ち向かう‥‥


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引きも切らずに公開される3D映画の最新の列に連なる「ザ・グリーン・ホーネット」、地元紙のメトロが3D版を見る価値はないと評していたので、安心して通常の2D版を見に行く。ガジェット好きの演出のミシェル・ゴンドリーはたぶん3D製作にも積極的だったろうというのは想像がつくが、しかし予告編では特に3Dだからという興味を喚起しなかった。実際見た後も、3Dで見て面白そうだったのは、ケイトーに扮するジェイ・チョウが手刀で開けたビールの王冠が部屋の中を飛ぶというシーンくらいで、いくらガジェット好きのゴンドリーといえども、3Dを使いこなせていたわけではなさそうだ。


実は「グリーン・ホーネット」がどういうスーパーヒーローなのか、よく知らない。アメコミで、かつて実写版のTV番組があったということくらいは知っているが、そもそもはラジオ番組がオリジナルだというのは、今回初めて知った。歴史としてはその他のスーパーヒーローものに決して引けをとらないのだが、現在では正直言って特に活躍しているという印象はない。バットマンやスパイダーマンほど人気があるわけではないが、名前だけは充分知られているという存在だ。


現代はスーパーヒーローには生きにくい時代だ。正義を代表するスーパーヒーローが活躍するためには、まず悪がないといけないためで、すべての者がそのことを自覚してしまうと、スーパーヒーローを誕生させるためにはまず悪いことをしなければいけない、それでは本末転倒だということに気づいてしまう。まず悪を生み出さないといけないくらいならスーパーヒーローなんか要らないということになってしまい、スーパーヒーローの立つ瀬がない。


そのため近年のスーパーヒーローは各々が自己の存在理由に悩み、それぞれが独自の解決を模索してきた。出奔してしまったスーパーマン、(「スーパーマン・リターンズ (Superman Returns)」)、貧窮に喘ぐスパイダーマン (「スパイダーマン (Spider-Man)」)、沈思黙考するバットマン (「The Dark Knight (ダーク・ナイト)」) 等だ。


「グリーン・ホーネット」の場合、主人公グリーン・ホーネット=ブリットは金持ちの新聞経営者の一人息子なのだが、ガキの頃から父にお前はできの悪い息子だと罵られながら成長する。そしてある時その父が蜂に刺され急性ショックで死亡、全財産はブリットに残される。しかも使用人のケイトーはガジェットに強いカンフーの達人とくれば、反動でブリットがこれまで夢見ていた念願のヒーローに今こそなる時が来たと思っても不思議はない。それを実現できる金と時間と人材がすぐそばにあるのだ。


かといって時代はスーパーヒーローには懐疑的だ。しかしヒーローにはなりたい。そこでブリットがとった手段とは、まず自分が正体の知れない悪者として認知され、それを正すヒーローとして出現するというものだ。一発逆転の発想というか、本末転倒を本当に体現する。ここに至って正邪の境界は限りなく曖昧になってしまう。


さらに「グリーン・ホーネット」の特色は、そのヒーローのグリーン・ホーネットをコメディ俳優のセス・グリーンが演じていることにある。つまり、「グリーン・ホーネット」はかなりコミカルな要素が多い。絶対的なスーパーヒーローとは言い難い点がある。多少笑いの入ったキャラなのだ。サイド・キックのチョウ演じるケイトーはともかく、紅一点的立場のレノアに扮するのもキャメロン・ディアスとくれば、自ずからだいたいのノリは知れる。


そのグリーン・ホーネットこと主人公ブリットが大新聞社の御曹司というと、似たような境遇ですぐに思い出すのは、やはり大金持ちのバットマンことブルース・ウエインだ。バットマンは金に糸目をつけずバット・モービルやその他のガジェトを自力で開発した。同じことがグリーン・ホーネットにも可能だ。というわけで生まれたのが、ガジェット満載の「グリーン・ホーネット」だ。


「グリーン・ホーネット」は、命名の点でもバットマンを連想させる。バットマンは、子供の頃怖い思いをさせられたコウモリから来るショック命名であり、グリーン・ホーネットの場合はハチだ。ただし微妙に異なるのは、コウモリに襲われたのはバットマン自身なのだが、グリーン・ホーネットの場合は、ハチに襲われたのはグリーン・ホーネット=ブリット自身ではなく、父だ。長年畏れていた厳格な父がハチに刺されてショック死し、自分とはまったく関係ないのに、そのハチを自分の別の自我に堂々と命名してしまう。このお気楽さ。どこまでも他力本願、牽強付会的なキャラクターが、グリーン・ホーネットだ。こう見ると、グリーン・ホーネットが多少コメディ的要素が強いのはほとんど当然という気がする。


そしてさらに、「ダーク・ナイト」でヒーローと悪役の垣根が曖昧になってしまったことを想起すると、「グリーン・ホーネット」と「バットマン」の相似は明らかだろう。スーパーシリアスとコメディという陰陽の違いこそあれ、両者が描いていることはほとんど同じだ。違いはスーパーヒーローの是非という命題に対し、まじめに悩むかお茶らかすかという態度の差にある。


ところでチョウ扮するグリーン・ホーネットのサイド・キック、ケイトーは、むろん本当なら日系のカトーであり、そう発音されるべきだが、もちろんガイジンのブリットはそう呼ばない。ケイトーと呼ぶ。どうしてもアメリカ風にKatoのaをエイと発音してしまうためだ。近年、アメリカでもオリジナルの発音を尊重しようという動きはあり、実際、つい最近までほぼ100%カラオキやサキと発音されてきたのが、カラオケ、サケと正しく発音するアメリカ人が現れてきて、おっ、と思わされたりする。ところがいまだにカトーはケイトーだ。


とはいえ、これだけ歴史的に間違ったままここまで来てしまうと、なんだかケイトーはカトーではなく、最初からケイトーだったような気がしてくる。もしかしたらケイトーを演じるのが日本人ではない、チョウだからというのもあるかもしれない。映画の中では、アメリカ人ではなくヨーロッパ出身で、数か国語を操るというヴァルツ演じるチュドノフスキーが、やはり自分の存在に自信がなくなってブラッドノフスキーと名前を変える。他力本願命名のグリーン・ホーネットといい、明らかに間違って呼ばれるケイトーといい、名前が途中から変わってしまう敵役のブラッドノフスキーといい、主要人物はどこかしらその存在が揺らいでいる。その揺れ方というかずれ方が、なんともゴンドリーらしいと思わせる。








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