Superman Returns   スーパーマン・リターンズ   (2006年7月)

自分探しの旅を終えて、スーパーマンことクラーク・ケント (ブランドン・ラウス) が帰ってくる。無事デイリー・プラネットに復職できたのはよかったが、かつてのラヴ・インテレストのロイス・レイン (ケイト・ボスワース) は既に同僚のリチャード (ジェイムズ・マースデン) と結婚していて、息子も設けていた。しかしクラークの胸の内の想いとは関係なく世の中には事件が起こり、そして天敵レックス・ルーサー (ケヴィン・スペイシー) もまた、虎視眈々とスーパーマンに報復する機会を窺っていた‥‥


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(注) 重要なプロットに触れています。


「スパイダーマン」「バットマン」と、かつてのスーパーヒーローが続々と復活して人気を博している近年の映画界、やはり本命のこのスーパーヒーローがいなければ片手落ちというものだろう。「バットマン」の場合はそれまでの作品の前日譚ということで話を展開させていたが、今回はクリストファー・リーヴがスーパーマンを演じていた前シリーズから話は続いているということになっている。


とはいえ、「スーパーマン」の前シリーズがどういう風に終わったのかなんてまるっきり覚えてなく、調べてみたらなんと「スーパーマン4」まで製作されていたことを知って驚いてしまった。「3」ならまだなんとなく覚えていたんだが「4」のことをまったく覚えていないというのは、どうやら見ていないようだ。この手のシリーズもんってなんか3部作であることが普通だったりするため、「スーパーマン」も3作製作されたものだとばかり思っていた。第4話があったのか。


いずれにしてもその後の話になる今回の設定によると、無事レックス・ルーサーを捕まえて刑務所にぶち込んだ後、クラーク・ケントは誰にも何も告げずに自分探しの旅に出かけてしまう。そして5年後帰ってきた時には、ロイス・レインは既に別の男と結婚していただけでなく、二人の間には既に息子がいた。


ここでのポイントは、もちろんクラークが5年間行方の知れなかった間に、ロイスに5歳になる息子ジェイソンができていたということにある。まさかなとは思っていたが、結局最後に明らかになるが、ジェイソンはクラークとロイスとの間にできた子供だった。つまりエイリアンであるスーパーマンはDNAが異なる人類の女性とHした挙げ句、子孫を残していたのだ。


この設定は、正直言ってかなり難しい。人間と猿 (じゃなくてももちろんいいが) の間に子供ができていたというのにほとんど等しいからだ。一応見かけ上、人類となんら異なるところのないスーパーマンであるからして、もしかしたら子供ができてしまったという設定も、あり得ないことではないかもしれない。できた子が人間の子としてなんら違和感がないことにも文句はない。その子が喘息持ちのアレルギー体質ということにも目をつむってしまってもいいと思うが、しかし、妊娠中のロイスの定期検診の時に、医者はなんの不都合も見出せなかったのだろうか。


それよりも問題は、異生命体同士のクラークとロイスがセックスをしていたに違いないという事実で、「スーパーマン」がこれまで長い人気を保ってきた理由の一つでもあった、つかず離れずの半恋愛ものとしてのプロットがついに一歩前に踏み出した。そして今回の「スーパーマン・リターンズ」がうまいのは、そういう展開を特に違和感なく観客に納得させているところにある。私が見るところ、この最も重要な舞台設定について、違和感を唱えてたり、文句を言っていたりする媒体や観客はほとんどいない。それどころか、だいたい一致して「スーパーマン・リターンズ」を誉めていたりする。みんな知らず知らずのうちに乗せられているのだ。


たぶん、この設定が特に違和感を催させるものではないというのは、時代にも関係があるだろう。人間が馬とHしていたり羊とHしていたりするシーンを見ても別になんとも感じなくなってしまった現代では、一応見かけ上はまったく同じ生き物であるクラークとロイスがHしていたといっても、別にそれに反対する筋合いはない。「エイリアン3」ではシガーニー・ウィーヴァーが既にエイリアンの子を身ごもってしまっているわけだし、そういうのも今回の展開にほとんど違和感を覚えない理由の一つにはなっているかもしれない。


しかし、それでも、今回の主人公二人の無責任ぶりは、これはひどい。クラークは、知らなかったとはいえロイスを孕ませてそのまま勝手に行く先も告げずに出奔してしまう人非人 (もちろん彼は人間ではないが) だし、捨てられたと気づいたロイスは、そこへうまい具合に声をかけてきたリチャードを騙してすぐに乗り換え、クラークの子をあんたの子よと言って偽り、これまで育ててきたのだ。クラークもクラークだがロイスもロイスだ。せめてシングル・マザーとして誇りを持って一人でジェイソンを育てて欲しかったと思う。手に職を持っていたあんたならできたはずだ。


ここで最もわりを食ったのは、当然他人の子を自分の子だと思って育てていたリチャードであり、そのリチャードを、「X-メン3」のジェイムズ・マースデンが演じているということがまた涙を誘う。「X-メン」でも最愛の人ジーンによって殺されてしまったサイクロップスを演じたマースデンは、「スーパーマン」でも妻から裏切られるのだ。しかもリチャードは最後にそれを潔く受け入れ、クラークの元に走るロイスを激励すらしている。こういういい奴っぽい野郎だから、こういうわりを食う役ばかり回されるんだろう。


今回悪役のレックス・ルーサーを演じるのはケヴィン・スペイシーで、そのスペイシーが、「ビヨンド the シー」で妻を演じたケイト・ボスワースを、別の男の妻になっているため (というわけでもないだろうが) 今回は痛めつけるという転倒がなにやら面白かった。スペイシーにねちねちいたぶられると、本当にドツボにはまりそうだ。そのスペイシーの情婦キティとなるパーカー・ポージーを、私はまた途中までコートニー・コックスと勘違いしていた。最近こういう間違いが多くて困る。


演出のブライアン・シンガーは、「X-メン3」を見た時、なんで彼が監督していないのか不思議に思っていたのだが、「スーパーマン」の監督が決まっていたからか。あんなにヒットしたシリーズをなんで途中で降りたのかと思っていたが、こちらの方がやりたかったのだろう。ま、「スーパーマン」はスーパーヒーローもののルーツと言える作品だし、わからないではない。おかげでマースデンは、「X-メン」の最初の2作に今回を併せ、シンガーのヒット3部作どころか近年のアメリカ映画界で最もヒットしている作品に連続して出ているということになった。役の上ではわりを食っても、顔は売れたからしょうがあるまい。


「スーパーマン・リターンズ」が成功しているのは、シンガーをはじめとする作り手の思い入れがうまい具合に表面に出ているからだろう。特に前半部の最初の大がかりなアクションで、迷走する飛行機の中で機内で振り回されるロイスから、スーパーマンが試合中のボール・パークに機を不時着させるまでというシークエンスが、手に汗握らせると共になにやら目頭さえ熱くなるのは、もちろんそれがいかにもアメリカ万歳的な国家称揚的意味合いになっているからなどではなく、スーパーヒーローがスーパーヒーローたりうる所以のところをまざまざと感じさせてくれるからに他ならない。


近年のスーパーヒーローものは、それまでのあまりにもリアリティがないほど活躍しすぎた反動のために、今度は人間的悩みを持たせて、観客の身近に感じさせるという方向で進化してきた。貧乏人の「スパイダーマン」、沈思黙考的な「バットマン」というわけだ。もちろんそれは「スーパーマン」とて例外ではなく、だからこそ自分の存在理由に疑問を持って自分探しの旅なんかしているわけだが、しかし落ちて来る飛行機を受け止めるスーパーマンというシークエンスは、なぜ人はスーパーヒーローものを見たいのかという疑問の見事な答えになっている。いったい、スーパーマン以外の誰が落ちてくる飛行機を受け止められるというのか?


こういう、スーパーヒーローとしてのスーパーマンと、人間的弱さも併せ持つスーパーマンとしてのバランスを、完全にとは言わないまでもうまくまとめたのが今回の「スーパーマン・リターンズ」だったと言えよう。今後、たぶん自分の力に目覚め始めるはずのスーパーマンJr.がどう話に絡んでくるのか、あるいは彼は成長しないままこのつかず離れずの状態でまた話は進んでいくのか、レックス・ルーサーはどうなるのか。「乞うご期待」というキャッチ・フレイズがこれだけはまるシリーズものも久しぶりだ。






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