Oldboy


オールドボーイ  (2013年12月)

「オールドボーイ」は、パク・チャヌクの同名映画をスパイク・リーがリメイクしたものだ。韓国映画を筆頭に日本映画やアジア映画は、現在のようにストリーミングで映画配信するネットフリックスが全盛となる前は、基本的にアメリカではケーブルのサンダンス・チャンネルによって紹介されていた。私もパクやキム・ギドクの名は、サンダンスの土曜夜のアジア映画特集枠によって知った。


当時は毎週のように新しい作品を放送していたから、こちらも毎週恒例として週末深夜はTVの前に陣取って、何が放送されているかタイトルをチェックすることもせず、ほとんど機械的に放送される作品を見ていた。だいたい主要な作品はほとんど網羅されていたという印象があり、「オールドボーイ」というタイトルにも覚えがあったから、私はてっきりこの作品はその頃見ているものと思っていた。


そしたら、映画が始まってしばらくしても、なんか知っている展開にならない。最初はかなり話に手を入れてリメイクしているのかなと思っていたが、主人公が囚われの身になって20年間も幽閉されるという話の根幹の部分になっても、やはり覚えがない。どうやら私はカン違いしていたようだ、この話は見ていない、とやっと気づいた。「オールドボーイ」というタイトルに聞き覚えがあり、そのためTVでCMがかかっても、まったく内容に注意を払っていなかった。原作が日本産のマンガであり、それもあってタイトルだけは色んなところで目にしたり耳にしたりしているから、見ているものと思い込んでいたんだろう。いずれにしてもそれはそれでおかげで先がどうなるか話の展開がまったく読めず、逆に非常に楽しめたとは言える。なんか得した気分だった。


以前、よりにもよって御大マーティン・スコセッシが香港映画「インファナル・アフェア (Infernal Affairs)」をリメイクして「ディパーテッド (The Departed)」を撮った時も、あのスコセッシがリメイクかとかなり驚いたものだが、今回も同様にリメイクとはほとんど縁のなさそうなリーが韓国映画のリメイクを撮る。しかし、無論シェイクスピアのような古典の映像化は、作り手はリメイクという意識すら持たずリメイクを作っているわけで、それを考えると、スコセッシもリーも、単によくできた物語を自分なりに解釈し直して再提示したいという希望を持っただけなのだろう。


「オールドボーイ」は、理由も告げられずにある時、気がつけばどことも知らない場所に監禁され、しかもそれが20年も続いたという男を描く話だ。主人公のジョーに扮するのがジョシュ・ブローリンで、身に覚えがない、わけではなく、ちょっとした悪いことを常にしているとはいえ、ほとんど不条理と言える大きなしっぺ返しを食らう。というと思い出すのはやはりコーエン兄弟の「ノー・カントリー (No Country for Old Men)」だ。小悪党で痛い思いをしやすい体質らしい。


ジョーを助けるマリーを演じているのがエリザベス・オルセン。ちょっと幸薄そうな美しさにますます磨きがかかってきた上に、ここでは彼女のヌードまで拝める。謎の男エイドリアンに扮するのがシャールト・コプリーで、「第9地区 (District 9)」から「エリジウム (Elysium)」を経て、たった数作で一級のバイ・プレイヤーになった。今後が最も気になる俳優の一人だ。


それにしてもリーは以前にも「インサイド・マン (Inside Man)」という籠城ものを撮っており、監禁、籠城、隔絶といった辺りの単語が、近年のリーを読み解くキー・ワードのようだ。リーは2006年に「ウェン・ザ・リーヴス・ブロウク: ア・レクイエム・イン・フォー・アクツ (When the Levees Broke: A Requiem in Four Acts)」、2010年に「イフ・ゴッド・イズ・ウィリング・アンド・ダ・クリーク・ドント・ライズ (If God Is Willing and da Creek Don't Rise)」という、2005年にハリケーン・カトリーナによって壊滅的打撃を受けたニュー・オーリンズをとらえたドキュメンタリーを2本撮っている。その経験がなんらかの影響を与えたのかもしれない。


土屋ガロン/嶺岸信明のマンガでは主人公が拉致されて監禁されていた期間は10年間だが、パク版映画では15年になり、今回のリー作品では20年になっている。なんか、だんだん血が濃くなるというか、肉食ならこのくらい耐えられるのか。草食の日本人では無理だろうと思い、ふと一人でジャングルで30年近く生き続けた横井庄一を思い出し、もしかしたら日本人でもできないことはないかもしれないと考え直し、いや、横井の場合は監禁されていたのではなく、少なくとも自由に陽の光は浴びれる立場にいた、その差は大きいだろうとまたまた考えを改める。


今年クリーヴランドで発覚したアリエル・カストロの事件では、誘拐された3人の女性たちが地下室に監禁されていた期間は10年前後だった。「それでも夜は明ける (12 Years a Slave)」では、主人公が奴隷の立場を抜け出したのは、拉致されてから12年後だ。「モンテ・クリスト伯 (The Count of Monte Cristo)」では、主人公ダンテスが投獄されていたのは14年間だった。とはいえダンテスには生涯の師と言えるファリア神父がおり、一人きりで幽閉されていたわけではない。また、投獄期間がそれ以上に及ぶと、肉体的に衰えてきてしまう。人が一か所に閉じ込められて気を狂わせずにいられたり、なんらかの事態の転換が起こるまでの時間は、10年から15年くらいと言えるのではないか。しかし、やはり自由を奪われた状態でのネルソン・マンデラの27年間という期間は突出している。





(注) 以下、話の結末に触れてます。


オリジナルはメイド・イン・ジャパンであり、パクの映画も日本でも話題になったようだから話自体はほとんど知られているものと思うが、微妙に違う可能性もあるので括弧つきで結末に触れさせてもらうと、最後の衝撃的な真実は、実は監禁時にジョーが見せられていたTV映像はまったくの作り物で、本当のジョーの娘は、監禁を解かれたジョーを助け、いい仲になってセックスしたマリーだったというものだ。すべてはジョーにこの世の地獄を見せようと二重三重の罠を張り巡らせたエイドリアンの策略だった。エイドリアンはすべてをジョーに明かすと自殺、もはや復讐する相手すらいなくなったジョーは、虚無の闇の中に沈んでいくしかない。


しかし、私は惜しいと思った。そこで止めるのではなく、マリーが妊娠し、子供を産ませ、その時にエイドリアンが真実をジョーに明かせば、その時こそ復讐の完結、あるいは永遠に継続する完全なる復讐になったろうにと思ってしまった。こういう考えになるのは最近肉をよく食っているから?










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広告代理店勤務のジョー (ジョシュ・ブローリン) は自分勝手な行動から有望な仕事をふいにしてしまう。やけ酒を飲んで往来で酔いつぶれたジョーが次に目覚めたのは、どことも知れないホテルのような部屋の中だった。何者かによって最低限の食事や衛生用品はドアの下の差し入れ口を通して供給され、TVもあったが、外部との連絡は一切とれず、部屋の外に逃げ出すことは不可能で、絶望しても自殺することもかなわなかった。そして20年が経ち、その途中でジョーはTVによって、自分の妻はレイプされて殺されるが、娘は養子に出され、若いチェリストとしてすくすくと成長していることを知る。今やジョーが願うことは、娘に会い、そして自分をこんな目に遭わせた者に復讐することだけだった。ある時薬によって強制的に眠らされていたジョーが目覚めると、そこは屋外の原っぱだった。ついに外の世界に復帰したジョーは、ボランティアで医療活動に従事しているマリー (エリザベス・オルセン) と旧友のチャッキー (マイケル・インペリオリ) の力を借りて、復讐する相手を探し始める‥‥


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