The Count of Monte Cristo

モンテ・クリスト伯  (2002年2月)

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」は、これまでに何度も映像化された、古典の中の古典である。試しにIMDBで「The Count of Monte Cristo」で検索してみたら、映画13件、TV映画3件、TVシリーズ3件もあった。翻案してそのタイトルを使用してないものを含めたら、何作くらい製作されているのか見当もつかない。その中で誰でも最高作品として挙げるのが、34年のロバート・ドーナットが主演した「巌窟王」だということだ。デュマは昨年も「三銃士」が「ヤング・ブラッド (The Musketeer)」として映画化されていたが、たとえ古典といえども、こちらの方はほとんど狙いを外して失敗していた。さて、今回はどうなったか。


今回主人公のエドモン・ダンテスに扮するのは、ジム・カヴィーゼル。裏切り者となる無二の親友フェルナン・モンデゴににガイ・ピアース。ダンテスの恋人メルセデスにダグマラ・ドミンチェク。その他ダンテスの忠実な部下ジャコポにルイ・ガズマン、モンデゴと組んでダンテスを陥れるヴィルフォールにジェイムス・フレイン、牢獄での師にリチャード・ハリスという布陣。


基本的にこういう古典は、既に筋をわかっていて見に行ってる。モンデゴが嫉妬と野心からダンテスを奸計に陥れ、孤島の牢獄に幽閉されたダンテスが、そこで師を得、勉学や武術を修め、10年以上もの月日をかけて脱獄に成功、隠されていた金銀の財宝を探し当て、それを基にモンテ・クリスト伯を名乗る大金持ちとなり、復讐を果たす。とまあ、ストーリーだけなら誰でも知っている物語なんだが、それでも何度も映像化され、人々も何度も見に行くというのは、やはり物語として完成していて、何度でも飽きずに見れるからだろう。こないだ、シェイクスピアの「オセロ」の映像化である「O」を見た時も、こちらもストーリーは熟知しているにもかかわらず、えらく興奮した。何度見ても楽しめる。古典の古典たる所以である。


それでもハリウッド映画だから、大筋はともかく、細部は大分オリジナルとは異なっている。特にクライマックスは、もちょっとでご都合主義的に過ぎると叩かれそうな展開を見せるが、しかし、それはそれで話としてはまとまっているので、あまり文句はない。こういう話であってもいいではないかとは充分思わせてくれる。しかし映画が始まって数分経ってから、いきなり大したアクション・シーンでもないのにディズニー (タッチストーン・ピクチャーズ) お得意の大仰な音楽が大音響で被さって来た時は、辟易してしまった。


おいおい、ここにこんな大袈裟な音楽なんかいらないだろ、逆に興醒めだからやめてくれないか、と思ったが、その後はそれほど気になる音楽の使い方もなく、ほっとする。タッチストーンやハリウッド・ピクチャーズのディズニー映画って、これだから安心できない。大したことのない映画に限って、とにかく音楽を使いまくって強引に盛り上げようとする。最近ではアクション映画を見に行って最初にタッチストーンやハリウッド・ピクチャーズのロゴが出ると、いきなり身構える癖がついてしまった。ディズニーは頼むから音楽の使い方を考え直してくれないだろうか。


「モンテ・クリスト伯」は、「巌窟王」としても知られている。私はガキの頃に確かポプラ社の少年少女向けシリーズで「巌窟王」を読んだ記憶がある。実はそれで一番よく覚えているのは、ダンテスが牢獄に閉じ込められて、その後脱出に成功し、隠された財宝を発見するという件りで、それ以外はあまりよく覚えていない。幼かった私の中では、ダンテスが脱出して金持ちとなったところで話は完結してしまったらしい。しかし物語としてみると、まあ、苦悩の十何年間を送る岩窟編も面白いは面白いのだが、やはりダンテスが奸計に落ちて牢獄行きになるそもそもの発端と、彼が脱出に成功してじわじわと復讐の輪を縮めていくところが醍醐味なのではないだろうか。


それなのに、そのあたりはまったく覚えていないのである。これは、私がまだガキだったために、ダンテスを罠に嵌めたあたりの細かい当時の政情や、嫉妬や野心という感情をあまり理解していなかったことがまず一つ、そして子供向けの本ということで、ダンテスの復讐譚というよりも、逆境下で希望を捨てないで生き延びたという、いかにも子供向けの岩窟編の方が重点的に書かれていたせいではないかと今になっては思うのだが、本当はどうだったんだろう。その後何年かして全編を読み直そうと思ったら、岩波の文庫は7冊もあり、字が小さい上に知らない単語ばかりで諦めたという情けない記憶もある。 女房はクライマックスのダンテスとモンデゴの決闘シーンをまだ覚えていると言っていたが、やはり子供向けのダイジェスト版で読んだだけだそうだ。これまたシェイクスピアと同じで、ストーリーは知っていても実はオリジナルを通しで読んだ者は少ない。ま、それも古典の古典たる所以だろう。


今回の映像化の監督はケヴィン・レイノルズで、多分起用されたのは、「ロビン・フッド」で時代物のアクションが撮れることを証明しているからに違いない。その期待にツボを押さえた演出で充分応えている。ピアースの悪者役もいかにもという感じでいいし、メルセデス役のドミンチェクも清楚さと可憐さを併せ持ってて将来有望株。ダンテスの部下ジャコポに扮したガズマンもなかなかはまっていたし、牢獄での師ファリア神父に扮するハリスも貫録だ。牢獄の看守に扮したマイケル・ウィンコットもいい味出していた。特に、ピアース、ガズマン、ウィンコットあたりがそこはかとないユーモアを感じさせていたのが印象に残った。ピアースなんて、役の上では別におかしいところなんてまるでないのだが、所々にやりとさせられるのは、意識してやっているのか、それとも監督の演出か。


しかし、やはり映画としてまとまったのは、主人公ダンテスを演じたカヴィーゼルがなり切っていたことが一番のポイントだろう。最初出てきた時はまだ青臭い純真な青年という感じで、それが牢獄での十何年間の苦渋を受けてモンテ・クリスト伯としてパリの社交界に姿を現すところなんぞは、ちゃんと酸いも甘いも噛み分けたゴージャスな伯爵になりきっていて (なんとなく「料理の鉄人」の鹿賀丈史みたいだ)、若い頃とは顔が違う。それでもモンデゴもメルセデスも最初は気づかないが、そう言われると確かにダンテスだとわかる、その微妙な違いをうまく出していた。メイクだけじゃなく、ちゃんと顔の表情が違うのだ。この点をちゃんと抑えているかそうでないかは作品の成否にかかわる大きなポイントなのだが、そのあたりのそつの無さは見事なもんである。


メルセデスだけは成長した息子がいてもほとんど歳をとっていないように見えるが、ま、それは愛嬌ということにしておこう。とにかく最初の音楽でどきりとした以外は、あとは途中でだれることもなく最後まで楽しませてもらった。岩窟編も長過ぎもせず短すぎもせず、復讐編に入ってもいたずらに引き延ばすこともなく、要所要所を抑えての2時間10分、オリジナルを読んでいる人にとってはもしかしたら復讐編が物足りないかも知れないが、私は堪能した。いかにもハリウッド的な上質の娯楽作品である。







< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system