Let Me In


レット・ミー・イン (モールス)  (2010年10月)

オーウェン (コディ・スミット-マクフィ) は別れた両親の母元に引き取られ、アパートでは共に遊ぶ者もなく、学校ではいじめっ子の格好の標的だった。そのオーウェンの住むアパートの隣りの部屋に父娘の家族が引っ越して来る。中庭で二言三言話を交わしたことからオーウェンはその子アビー (クロイ・モレッツ) と仲よくなる。しかしアビーは学校にも行かず、謎めいた点が多かった。実はアビーは何百歳にもなるヴァンパイアで、定期的に人の血を飲まないことには生きていけなかった。父だとばかり思っていた男は保護者というよりも元恋人で、人間の彼だけ歳をとったため、親子のように見えるだけだった。その父がアビーのための犠牲者を求め歩いていて拉致に失敗して怪我をし、病院の窓から身を投げる。アビーはこれからは一人で人間の血を調達しなければならなくなかった。一方、学校でもオーウェンに対するいじめは段々その度合いを増していく‥‥


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「レット・ミー・イン」は、スウェーデン製ホラー「ぼくのエリ 200歳の少女 (Let the Right One In)」のハリウッド・リメイクだ。「ぼくのエリ」はホラーらしからぬホラーとしてアメリカでも評価は高く、ロング・ランしていたのは知っていたが、単館上映で、ついに私が住んでいる近所の劇場には来ないまま終わった。そして間髪を入れずにそのハリウッド・リメイクが公開される。「ぼくのエリ」の評がすごくよいので、DVDででも見るつもりでいたのに、結局オリジナルを見る前にリメイクを先に見ることになってしまった。なんか、以前、「オープン・ユア・アイズ (Open Your Eyes)」のリメイクである「バニラ・スカイ (Vanilla Sky)」を先に見たような展開だ。


近年、アメリカではヴァンパイアものが大流行りだが、「レット・ミー・イン」がそれらのヴァンパイアものの潮流からちょっと距離を置いているように見えるのは、メイド・イン・アメリカではなく、スウェーデン産の「ぼくのエリ」をオリジナルとしているからというのもあろう。


特にアメリカの場合、アン・ライス原作のレスタトもの、そして今HBOが放送している「トゥルー・ブラッド (True Blood)」等によって、ヴァンパイアは南部、端的に言ってニュー・オーリンズと切っても切り離せない。音楽と文化とバイユーと湿気と退廃の場所に棲息するのがヴァンパイアなのだ。このヴァンパイアから連想する筆頭は、エロティシズムだ。


ニュー・オーリンズを舞台としないCWの「ザ・ヴァンパイア・ダイアリーズ (The Vampire Diaries)」や、近年最大のヒット「トワイライト (Twilight)」シリーズでも、前面に出てこないまでも、エロティシズムとは切っても切り離せない。単純にヴァンパイアものがティーンエイジャーにアピールするのは、このエロティシズム、およびロマンティシズム、自分は他者とは違うというナルシシズムといったところに拠っている。


一方ヴァンパイアものは、構造的にはヴァンパイアという種族の中で話が展開するものと、彼らと人間とが交わる二つのタイプがある。前者が「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア (Interview with the Vampire)」であり、後者が「トワイライト」、「トゥルー・ブラッド」、「ザ・ヴァンパイア・ダイアリーズ」になる。最近は後者の方が主流だ。エロティシズムだけではなく恋愛も絡ませないと、女の子がついてこない。「トゥルー・ブラッド」の場合、主人公のヴァンパイアと恋仲になる人間の女の子スーキー (アナ・パクイン) が人の心を読めるという異能の持ち主だったりするので、ヴァンパイアと普通の人間が関係するという構造から逸脱しており、範疇分けも微妙だ。


いずれにしてもこの時、ほとんどの場合において、ヴァンパイアは男性、人間側は女性となる。この点においても、「レット・ミー・イン」は異彩を放っている。いじめられている主人公の男の子を助ける、あるいは少なくとも彼に向かって手を伸ばすのは、一見少女のヴァンパイアなのだ。また、男の子が恋愛ものの主人公というにはまだ年端が行かない年齢なので、異種族同士の恋愛ものとは言い難い。


このような事情のため、「レット・ミー・イン」はヴァンパイアものとはいえ、最も印象が似ているのは上記のヴァンパイア作品ではなく、内向的な少女の内面世界のファンタジーを描いた、ギレルモ・デル・トロの「パンズ・ラビリンス (Pan’s Labyrinth)」だ。異なった世界への脱出を求める少年を描くファンタジーが、「レット・ミー・イン」なのだ。


主人公の少年オーウェンは一人っ子で、親は離婚したばかりか調停の真っ最中で、母親と一緒に暮らしている。アパートの周りには同年代の子供はいず、学校でもいじめの対象で友達はいない。その小型団地のようなアパートの隣りに、ある日父と娘の親子が引っ越して来る。自分と歳がそれほど変わらなそうなのに大人びているアビーと、オーウェンは段々近しくなる。初めての友達と呼べるような存在の出現に心ときめかすオーウェンだったが、一方で学校でのオーウェンに対するいじめはどんどんエスカレートしてくる。アビーにいいとこ見せたさにいじめっ子に対して反撃してみたりもするオーウェンだったが、そのことは逆にいじめっ子たちをより過激にするだけに過ぎなかった‥‥


「レット・ミー・イン」のオーウェンも多かれ少なかれそのように追い詰められており、反撃できなければ、逃げるしかない。そんな時目の前に現れたアビーは、オーウェンの眼にはヴァンパイアというよりも、まず唯一の友達であり、救世主に近いとすら言える。もうちょっとしたら淡い恋愛の対象にもなるだろう。


オーウェンを演じているコディ・スミット-マクフィも、アビーを演じるクロイ・モレッツも好演しているが、特にモレッツは、つい最近アクション・コメディの「キック・アス (Kick-Ass)」のコマーシャルで何度も目にしたアクション志向の可愛いおてんば娘とは、まったく異なる別の顔を見せる。「(500) 日のサマー((500) Days of Summer)」にも出ていた。角度によって丸顔になったり顎が鋭角になったりする不思議顔の可愛い子で、気になる将来の有望株だ。


そのアビーの一見して父、実はたぶん数十年前には恋人だったはずの男を演じているのが、「扉をたたく人 (The Visitor)」のリチャード・ジェンキンスだ。彼はアビーのために、常にどこからか人間の血を手に入れなければならない。獲物を探し、殺して血を手に入れるという行為をたぶん半世紀くらい、居場所を転々としながら繰り返してきたのだろう。昔は若く、生気に満ち溢れていた男も、今では動きが緩慢になりつつあるただの怒りっぽい初老の男だ。その男が、新しい生け贄の捕獲に失敗し、病院に収容され、逃げられないと悟り、病院の窓から身を投げるのが、「レット・ミー・イン」の発端となっている。ジェンキンスや、この事件を追う刑事を演じるイライアス・コティーズ辺りの渋い人選ににやりとさせられる。演出はマット・リーヴスで、「クローバーフィールド (Cloverfield)」の時とは異なる、ギミックに頼らない繊細とも言える演出を見せる。


アメリカでも今、いじめが大きな問題となっている。ちょうど「レット・ミー・イン」公開と時期を同じくして、私の住むニュージャージーでも、わりと近くのラトガース大で、ゲイの男の子が寮で同性とセックスしているのを隠しカメラで撮られてネットで流されてしまい、悲観したその子はハドソン川にかかるジョージ・ワシントン・ブリッジから投身自殺するという事件があった。


その後、所用でジョージ・ワシントン・ブリッジを渡ったのだが、改めて運転しながら外に視線を送ると、この橋、かなり高い。自殺の名所として知られるサンフランシスコのゴールデン・ゲイト・ブリッジと比較しても遜色ない高さなのではないか。高所恐怖症の気がある私としては、車で走りながら垣間見える水面を目にしただけでもちょっと背筋に寒気が走った。こんなところから飛び降りたのか。そこまで追いつめられていたのかと思うと、なにやらやり切れない気分になった。


ちょうどそういう気分の時に「レット・ミー・イン」を見たので、なおさら印象に残ったというのは言えるが、こないだエンタテインメント・ウィークリーをぱらぱらとめくっていたら、雑誌に度々寄稿しているスティーヴン・キングが早くも今年の映画ベストテンを選んでいて、堂々1位が「レット・ミー・イン」だった。なるほど、確かにこの作品はセンチメンタルな方のキング作品に通じるものがある。いずれにしても、これもやはりオリジナルを見る必要があるようだ。








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