Vanilla Sky

バニラ・スカイ  (2001年12月)

この映画、最初に見たスチール写真はトム・クルーズと、共演で現在の私生活のパートナーでもあるペネロペ・クルスがタイムズ・スクエアを肩を並べて歩いているというもので、しかも監督がクルーズのラヴ・ロマンス映画の代表作である「ザ・エージェント」を撮ったキャメロン・クロウということを聞いて、ああ、去年は「M:I=2」なんてアクション映画を撮ったから、今度はまたソフト路線に戻るんだな、そうか、今回はパスだなと思っていた。私は別にクルーズのファンというわけでもないから、まったく「バニラ・スカイ」についての前情報を持っていなかったのだ。


そしたら、12月に入っていきなりTVでがんがんかかりだした予告編を見ると、どうやら「ザ・エージェント」のようなラヴ・ロマンスものではないらしい。なにやらシリアスなサイコ・スリラー系で、しかも結構面白そうに見える。それでちょっと調べてみたら、アレハンドロ・アメナバールがスペイン時代に撮ったカルト・スリラー「オープン・ユア・アイズ」に惚れ込んだクルーズが、リメイク権を買い取って自ら製作したハリウッド版ということだ。この作品は見ていないが、アメナバールがこの間ニコール・キッドマンを起用して作った「アザーズ」は、なかなかよくできたゴシック・スリラーだった。それでいきなり興味が湧いてきた。


マンハッタンに住むデイヴィッド (クルーズ) は、出版界を牛耳る父の遺してくれた遺産によって、何に不自由することもなく裕福に暮らしていた。ガールフレンドのジュリー (キャメロン・ディアス) は少ししつこいのが玉に瑕だが、距離を置いてつきあう分には申し分ない。しかしある日、友人が誕生日のパーティに連れてきたソフィア (クルス) に一目惚れしたデイヴィッドは、ジュリーをそっちのけでソフィアに入れ込むようになる。激しく嫉妬したジュリーはデイヴィッドの後をつきまとうようになり、ついに交通事故を起こしての無理心中を図る。その結果、デイヴィッドには顔に醜い傷痕が残り、そして彼の周りのすべてが変貌していく‥‥


映画は冒頭、夢を見ているデイヴィッドが、早朝、車を流しながらセントラル・パーク・ウエストやタイムズ・スクエアに誰もいないことを発見して、いったい何事が起こったのか驚愕するというシーンから始まる。おいおい、タイムズ・スクエアの人払いかよ。このシーンはどう見てもCGなんかには見えないし、実際に早朝、交通を遮断して撮影したものだと思うが、しかし、1日24時間、いつも人の絶えないタイムズ・スクエアを人っ子一人いなくしてしまうとは、よくやる。


でも、このシーン、実は私はまるで少し前にブリティッシュ・エアウェイがやったコマーシャルにそっくりだと思ってしまった。あのコマーシャルでは、朝、出勤しようとする男が着替えを終えて街に出てみると、誰もいない。人っ子一人いなくなってしまった街で、「Where is everybody?」と叫ぶ男。次の場面でロンドンまで片道250ドル、なんて表示が出て、つまり、飛行機代がすごく安いので、街の人間全部旅行に行ってしまっていたという考えオチなのだが、クルーズが一人誰もいないタイムズ・スクエアで右往左往するのを見て、そのCMを思い出した。あのシーンを見て、頭の中で「Where is everybody?」なんて叫び声が響いたのは、私だけではあるまい。


クロウは、これまでの監督作とはまったく毛色の違う作品に挑んでいるが、わりとよくやっていると思う。しかし、この手の、オリジナルがカルト化するような作品をハリウッドでリメイクすると、どうしてもオリジナルが持っていた、それがカルト化した所以である尖ったテイストをなくす。元々カルトと低予算はほとんど同義語のようなもので、低予算ながらもアイディアを出して手作りの味わいを出すからカルトになる。そういうものを大きな予算をかけてリメイクしても、だいたいが予期していたのとは違ったものができ上がる。


それを強く感じるのが、そもそものこの映画全体の骨子となっている、交通事故によってデイヴィッドの顔が修復不可能なくらい歪んだものになってしまったという設定である。4年前のオリジナル、しかも舞台がスペインというならまだわからないこともない。しかし、現在のアメリカ、ニューヨークに住む億万長者で、金に糸目をつけないというのなら、賭けてもいいが崩れた顔なぞ一見しただけではわからないくらいほとんど完全に修復できる。いざとなれば人工の頭蓋だって作成するはずだ。映画の中ではすごい複雑骨折でボルトを何本も使って云々、なんて理由をつけてこれ以上修復は無理だ、なんて言っていたが、絶対そんなことはない。現代の形成外科の技術で、金の心配がないならできないことなぞほとんどないはずなのだ。マイケル・ジャクソンを見てみろ。黒人が白人になることすら不可能ではないのだ。


しかし、この設定を動かすと物語が成り立たなくなるので、これは変えようがない。そのため、どんなへ理屈をつけてもデイヴィッドの顔は修復できないことになるわけだが、ううん、これはやっぱり無理があるよ。しかし、その崩れたデイヴィッドの顔そのものは実によくできていた。あれ以上崩れるといくらなんでも人前には出られないが、鏡を見て悩む分には充分の崩れ方をしており、この辺りのメイキャップ技術はさすがハリウッドである。とはいっても、オリジナルではこれが完全に人前に出られないひどい崩れ方をしているそうで、確かに、だからこそ作品に説得力があったんだろうなあと思わせる。しかしクルーズの顔を完全に変形させるわけには行かないし、このあたり痛し痒し。


いずれにしても、こういった印象が作品全体を覆っているのは如何ともしがたい。つまり、この作品は、設定からしてやはり低予算のインディ系のスタイルでこそ最も面白くなるだろうとなという匂いがぷんぷんする。修正不可能な顔の怪我等だけにかかわらず、そこここの小さなプロットが、こういう金をかけてやるにはちっとつましいという感じがするのだ。映画なんか生まれてから1本も見ていなさそうなデイヴィッドの部屋に特大の「ジュールとジム」のポスターがかかっているところはまったく違和感を感じさせるし (マンハッタンの金持ちの住む家に入ったものならわかるだろうが、金持ちで部屋にポスターなど貼っているものなど一人もいないと断言できる)、趣味のいい音楽の使い方に定評のあったクロウにしては、今回は、選曲が何かずれているような気がした。


その上、最後のオチはいただけない。もしかしたらやりそうだなと思っていたら、やっぱりやった。観客全員がそう思っていたようで、あそこで笑っていた観客が結構いたのは、もう、こういう話じゃ観客は騙せないんだよということを如実に証明するものだろう。でも、ああしないと、まとまりに欠けるというか、最後の締めが欲しかったという製作サイドの気持ちもわかる。そういうところが、やはりハリウッド映画向きではないということなのだが。


しかし、金をかけて撮る醍醐味があるのも事実で、クライマックスの特撮なんて、あれはインディ映画じゃ撮れないだろう。現実か想像かわからない光の加減をとらえた撮影も見事なものだ。関係ないが、よく見ると遠景に今はない世界貿易センタービルがちゃんと映っており、こんなところで作品に意図しなかった綻びが出る。あり得ないはずのあの貿易センタービルが、何か、私にはこの作品の暗喩になっているような気がした。


それにしてもクルーズは、ちゃんと自分の魅力というか、セールス・ポイントをちゃんと理解している。崩れた顔も、崩れているとはいってもエレファントマンほどじゃなく、逆に元々のハンサムな顔を強調するのに一役買っているし、目にかかる前髪のふわっとした感じや絶妙な長さなんて見事なもんだ。不精髭なんて、不精じゃなくて毎日ちゃんとあの長さに刈り揃えてるんだろう。あの笑い顔も、もうちょっとわざとくさいと結構鼻につくはずなのだが、ちゃんと凛々しいハンサムな青年という範疇に収まっている (青年といっても、彼は実は私と同じ39歳なんだが)。


あ、そうそう、クルーズがアクション・スターとして最もいいのは、走っている時である。アメリカ人としては元々それほど身長も高くなく、足だって長いわけではないクルーズがアクション・スターとして映えるのは、運動神経がいいからではなく、逆に小さいためか、彼が走ると本当に全力で疾走している感じが強く出て、スクリーンに躍動感が漲るからである。一生懸命走っているというふうには全然見えないクリント・イーストウッドが、そのとろく見える走り方で逆に見るものに緊張感を抱かせるのとはまったく正反対のアクション・スターがクルーズなのだ。ハリウッドの映画監督はもちろんそれを知っているから、これまで彼が主演してきた映画を見ると、ストーリーに関係なく彼がいきなり全力で疾走するというシーンが結構あることに気づく。クロウだって例外ではなく、ちゃんと冒頭のタイムズ・スクエアで走らせようとする。誰もいないタイムズ・スクエアで一人全力疾走するトム・クルーズは、やはり絵になります。


キャメロン・ディアスは、最初、ストーカーまがいのガールフレンド役ということを聞いた時、本当かあと思ったが、別に悪くなかった。彼女は既に可愛いという形容詞のつく時代を過ぎており、おばさん面になってきている。きっとだからだろう。一方のペネロペ・クルスはオリジナルとまったく同じ役をやっているそうだが、これは是非オリジナルも見てみたい。いったいどこがどう違っているだろうか。比較するのが楽しみだ。ティルダ・スウィントンがほとんどカメオ的に出演しているのも嬉しい驚きだった。


しかし、この作品でクルーズの次に印象的だったのは、クルスでもディアスでもなく、不気味な男として現れ、最後にすべての謎を説明してくれる人間を演じたノア・テイラーでしょう。どこかで見たことあるなあと思っていたら、なんと「シャイン」で、ジョフリー・ラッシュが演じてオスカーを獲得した主人公デイヴィッドの若い頃を演じた俳優であった。「トゥーム・レイダー」にも出ていたようだが、そこでは気づかなかった。癖のあるいい顔になったなあ。はまっているという点では、クルーズよりも彼の方が役にぴたりとはまっていたと言えるかも知れない。



追記:

先日業界誌を読んでいたら、私がすげえなあと思った冒頭のタイムズ・スクエアの人払いの苦労話が載っていて、非常に面白かった。もちろんあれは特撮ではなく実写で、昨年11月の日曜日の早朝に撮影されたものだそうだ。これは金をかけるハリウッド大作の基準から見てもほとんど非常識な規模で、最初、プロデューサーがニューヨークのこの種の話を司る市長オフィスにタイムズ・スクエアの人払いをする許可をもらいに現れた時は、ほとんど冗談だと思われたらしい。当然だ。なんてったって天下のタイムズ・スクエアである。1日24時間、一時たりとも人並みの絶えることのない場所から、すべての生きとし生けるものを消してしまおうという言語道断のシチュエイションを撮影できるとは、誰も考えないに違いない。


それが実現したのは、とにかく製作陣の飽くなき努力と忍耐のたまものである。最終的に撮影のために降りた許可はたったの90分のみ、それ以上の時間人や車の交通を遮断するのは、いくらなんでも無理とのことになった。それでも、その間、何も知らない観光客やその他もろもろのニューヨーカーはタイムズ・スクエアを取り囲むホテルやサブウェイから外に出させてもらえず、何十人もの非番警官がその整理に当たった。その間、タクシーやバスを含むすべての車両はタイムズ・スクエアを迂回させられた。もちろんこの間、タイムズ・スクエアにあるすべてのレストランは営業を停止させられるわけだから、プロデューサーは補償金を支払わなければならない。一等地にある有名レストラン、ハワード・ジョンソンなんて法外な値段をふっかけてきたらしい。


しかし、プロデューサーはこうした交渉にも地道に当たり、当初絶対不可能と見えた、タイムズ・スクエアの人払いがついに実現した。多分、ほとんどのショットは一発勝負であったであろう。約束した90分が過ぎ、最後のショットを撮り終えた時、クルーの前に足止めをくらっていたもろもろの人間が周りのビルや地下から出てきて拍手喝采が起こったというが、関係者は感無量だったであろう。 誰一人いないタイムズ・スクエアに立つという、世界で彼一人しか経験できなかったであろう体験をしたトム・クルーズの心中は、いかばかりであっただろうか。



追記:

どうしても見たくなって、ついにレンタル・ヴィデオ・ショップに行って「オープン・ユア・アイズ」を借りてきた。そしたら「バニラ・スカイ」が「オープン・ユア・アイズ」をほぼ完全になぞっている、本当のリメイクだったということを知って驚いた。役者と、マドリッドとニューヨークという場所の違いがあるだけで、あとはもう、本当に何から何まで同じなのだ。ここまで同じ作品をもう一度撮る意味なぞどこにあったのか、理解に苦しむ。


要するに、「バニラ・スカイ」はクルーズが自分の顔を歪めてみて、それからまた美しい自分の顔を見て自分に酔うという、究極のナルシズム映画であったのだ。最初「バニラ・スカイ」を見た時は結構面白いと思ったが、オリジナルを先に見ていて「バニラ・スカイ」をその後で見たやつが怒るのもわかる。クロウも、なんでこの作品の演出をOKしてしまったのかよくわからない。クルスもオリジナルの方がよかった。ディアスのやった役と、最後のテイラーだけはもしかしたら「バニラ・スカイ」の方がよかったかもと思ったが、それにしてもクルーズ君、あんた、自分に溺れすぎだよ。







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