The Visitor


扉をたたく人 (ザ・ヴィジター)  (2008年5月)

コネティカットの大学で教鞭をとるウォルター (リチャード・ジェンキンス) は、要請されて嫌々ながらもニューヨークの学会に出席せざるを得なくなり、久しぶりに長い間使用していなかったヴィレッジに所有している自分のアパートに帰ってくる。しかしウォルターが鍵を開けて部屋に入ると、そこには見たことも会ったこともないタレク (ハーズ・スリーマン) とザイナブ (ダナイ・グリラ) のカップルがそこで暮らしていた。彼らは違法にアメリカに住んでいる者たちで、仲介者に騙されてそこに住むことになったことが判明するが‥‥


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当然ここはロバート・ダウニーJr.主演の「アイアンマン」を見に行くつもりだった。そしたら土曜の昼過ぎに行きつけのマルチプレックスに車で乗りつけると、4館を使ってほぼ30分毎に上映しているのにチケットは売り切れ、2時前に劇場に着いて目当ての回は売り切れどころか、次の次の次の3時半の回のチケットしかないという。


「アイアンマン」が今年最初の家族揃って楽しめる大型作品ということはもちろん承知していたが、しかし、ここまで話題になっていたという感触はまったくなかったのだが。時々こういう作品があって、以前「X-メン」をこの劇場に見に来た時も、ロビーが観客で埋まって身動きできないほど混雑で見るのを諦めたことがあるが、この日も以前ならすぐ停められる駐車場がいっぱいで、後ろのトイザラスのところまで車を回さないと停められなかった挙げ句、1時間半待ちだ。そこでただいたずらに時間を潰す気にもなれず、ここは諦めていったんアパートに帰り、「アイアンマン」は来週に回すことにして、地元インディ映画の「ザ・ヴィジター」を見に行くことにする。


「ザ・ヴィジター」は、アメリカに違法滞在しているカップルと、老年にさしかかったアメリカ人大学教授との交流を描く物語だ。コネチカットのとある大学で教鞭をとっているウォルターはピアニストだった妻を亡くし、それ以来惰性のように生きてきた。思い立って自分もピアノを習ってみようと思ったものの、人に批判されることに慣れていないウォルターはそれも長続きしない。


そのウォルターと共同で本を執筆していた同僚女性が妊娠のためにNYの学会に出席できなくなり、そのお鉢がウォルターに回ってくる。嫌々ながらも久しぶりにNYに所有しているアパートに帰ってきたウォルターは、そこでまったく見知らぬ赤の他人が自分の部屋に住んでいることを発見する。シリア人のタレクとセネガル人のザイナブのそのカップルは違法でアメリカに滞在しており、人の住んでいない部屋を見つけては勝手に他人に貸してしまう悪質な斡旋業者に引っかかったのだ。


二人の窮状を見かねたウォルターは、しばしの部屋の提供を申し出る。タレクはパーカッションのジャズ・ミュージシャンで、影響されたウォルターはタレクの指導で自分もパーカッションを嗜むようになる。しかしある時、サブウェイで無賃乗車と誤解されたタレクは警察に逮捕され、違法在住のタレクはそのままその手の施設に収容されてしまう。弁護士に連絡をとってなんとかしようと奔走するウォルターだったが、融通の利かない法相手にのれんに腕押しで、最悪の場合タレクはいつ何時自国に強制送還されるか知れなかった。そんな時、タレクの窮状を知らず、ミシガンに住んでいたタレクの母モウナがタレクを訪れてくる‥‥


こういう、ある国における違法滞在者というのは、先進国にはよくある話だ。アメリカだけでなく、パリやロンドン、最近ではもちろん日本でもその手の話はよく聞く。人は富と自由のあるところに引き寄せられるから、それはもうほとんど当然の話と言える。そしてそれがドラマになるのも当然だ。そういう場合、だいたい主人公は違法滞在、密入国をする者かそれを手助けする者になりやすいから、だいたいにおいて政府は悪役になる。ほとんどの政府役人は真面目に職務を遂行しているだけに過ぎないから単純に彼らを悪役と黒白決めつけるのもなんだと思うが、彼らを悪役にした方がドラマを作りやすいのは確かだろう。それに実際、なんて役人ってのはこう融通利かないんだと思わされるのは洋の東西を問わない。


特にアメリカでは、「ヴィジター」を見てもわかる通り、そういう役人側が圧倒的に有利、というか権力を振り回せる立場にいる、INS (Immigration and Naturalization Service: 移民局) 関係の窓口の人間の態度の悪さは、時に言語道断とも言えるものがあったりする。だいたいINSに用があるのは、人生ここが正念場という切羽詰まっている者が多い。ここで書類かなんかで引っかかってしまうとヴィザが切れて強制送還とか、既にヴィザが切れていて本国に帰るかやはり強制送還、なんて苦しい立場に置かれている者が多いのだ。そういう者は本当に必死だから、不備な書類を突き返されてもなんとかしてくれと泣きついたり上の者を出せと要求したり、ごねたり泣いたり、窓口でかなり悲喜こもごもの人間の縮図が展開する。


私もアメリカに居住するための、一般的にグリーン・カードと呼ばれる永住ヴィザを取得する際に一通りそういう修羅場、というか経験を経ているわけだが、ダウンタウンのINSにはもう二度と行きたくないと思う。あの殺伐とした雰囲気、人を人と思わない態度、古いビル、徹底したセキュリティ、ロビーにたむろする人々、そしていつ名前を呼ばれるかわからないというのは、本当に精神衛生上よくない。私がそこにいた時にも、あれは中国人と思える女性が窓口で邪険にされて、なんであんたはそんなに意地悪なの、私はただわからないことを質問しているだけじゃないと言って声を上げて泣いていた。周りの者も同様に立場の弱い者たちだけだから手助けすることもできず、ただじっと見守ることだけしかできない。あの殺伐とした空気を思い出すと、今でも気が滅入る。


「ヴィジター」でも、連行されて収監されたタレクに面会するためにウォルターが訪れる施設で、ウォルターの前に並んでいた男はけんもほろろという感じで追い返されるし、後にウォルター自身もそういう扱いを受ける。むろん毎日そういう者を相手にしていたら、窓口の人間だっていい加減うんざりして多少は横暴になるのは避けられないかもと思うが、しかしやはり、私としては心証はどうしてもタレクやウォルター寄りにならざるを得ない。当然作り手の気持ちもそこにある。


「ヴィジター」は初監督作の「ザ・ステーション・エージェント (The Station Agent)」が高く評価されたトム・マッカーシーの第2作目に当たる。「ステーション・エージェント」は侏儒の主人公の生活を描くドラマで、主人公を演じたピーター・ディンクレイジを一躍有名にした。「ヴィジター」は肌触りとしてはほぼ同じヒューマン・ドラマであり、マッカーシーは人情派として定着しつつある。元々は俳優であり、最近では「フィクサー (Michael Clayton)」にも出ている。俳優出身で人間ドラマを得意としているインディ系演出家というと、すぐに思い出すのは「リトル・チルドレン」のトッド・フィールドだが、マッカーシーの方が肌触りが暖かい。


主人公のウォルターを演じているのがリチャード・ジェンキンスで、かなり色んなところで見ているという印象のあるヴェテランのバイ・プレイヤーだが、たぶん人が最も覚えているのは、HBOの「シックス・フィート・アンダー」だろう。死んだ後ですら家族になんやかやと影響を与える家長という、冷酷という印象すら与えるキャラクターだったが、そういう印象が定着している。むろん、だからこそそのジェンキンスがここで人との触れ合いに目覚めていくという過程が効果的に描かれる。こないだABCのTV映画「ア・レーズン・イン・ザ・サン」を見た時に、白人を代表して登場する弁護士役をジョン・ステイモスが演じていたが、この役はジェンキンスなら完璧だったのになと思ったのを思い出す。







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