放送局: HBO
プレミア放送日: 6/3/2001 (Sun) 22:00-23:00
製作: アクチュアル・サイズ・プロダクションズ、グリーンブラット・ジェノラリ・スタジオ
製作総指揮: アラン・ボール、ロバート・グリーンブラット、デイヴィッド・ジャノラリ
製作: ローレンス・アンドリース
脚本/監督: アラン・ボール (プレミアのみ)
監督: アラン・コールター、マイケル・マクブライド、ロドリゴ・ガルシア、キャシー・ベイツ、他
撮影: アラン・カーソ
音楽: トーマス・ニューマン、リチャード・マーヴィン
編集: クリストファー・ネルソン
美術: マーシャ・ハインズ-ジョンソン
出演: ピーター・クラウス (ネイト・フィッシャー)、マイケル・ホール (デイヴィッド・フィッシャー)、フランセス・コンロイ (ルース・フィッシャー)、ローレン・アンブローズ (クレア・フィッシャー)、フレディ・ロドリゲス (フェデリコ・ディアス)、マシュー・セント・パトリック (キース・チャールズ)、レイチェル・グリフィス (ブレンダ・チェノウィス)、リチャード・ジェンキンス (ナサニエル・フィッシャー)
物語: フィッシャー家はロサンジェルスで葬儀屋を営んでいる。クリスマス・イヴの今日、長男のネイサンもシアトルから一時的に里帰りし、家族揃ってクリスマスを過ごすことになっていた。家長のナサニエルは、新車の霊柩車を駆ってネイサンを迎えに空港に赴くが、途中事故に巻き込まれ、帰らぬ人となってしまう。その時、何も知らないネイサンは、飛行機の中で一緒になった女性ブレンダと空港の倉庫の中で行きずりのセックスを楽しんでいた。
ナサニエルの死は一家に大きな動揺を巻き起こすが、しかし基本的にフィッシャー家には家族の団欒というものは欠けており、ナサニエルの死は自分勝手な家族の銘々の身勝手さをそれぞれに思い知らせただけだった。ナサニエルが死んだ時、長女のクレアは仲間とドラッグをたしなんでトリップしており、葬式の席で母のルースは自分の浮気を告白し、ゲイの次男のデイヴィッドも本当に心休まるのはパートナーのキースと一緒にいる時だけだった。ネイサンはいつの間にやら完全に心が通わなくなった家族のあり方に愕然とする‥‥
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一昨年、「アメリカン・ビューティ」はまったく新しいタイプの映画として大きな話題と新風をハリウッドに送り込んだ。基本的に悲劇で終わる内容を喜劇として製作したところに、この映画の毒も風刺の利いた笑いもあったが、一方でなぜこれが喜劇なのかわからないと反感も買うなど、とかく話題となった。
普通、映画はその作品を演出した監督とセットで記憶されるが、「アメリカン・ビューティ」に限っては、監督のサム・メンデスよりも、脚本を書いたアラン・ボールの方にスポットライトが当たることが多かった。あれだけオリジナリティ溢れる作品だと、やはり誰が脚本を書いたかという方に注目が向かったようだ。
元々ボールは、「シビル (Cybill)」や、「グレイス・アンダー・ファイア (Grace Under Fire)」等のシットコムの脚本を書いていた。しかし、万人に受ける、毒にも薬にもならない笑いをとることを旨とするネットワークのシットコムの脚本書きは、ボールにとって苦痛以外の何ものでもなかったようだ。とかく鬱々として楽しめない、砂を噛むような毎日だったとインタヴュウで答えている。
それが「アメリカン・ビューティ」の成功により、一挙に自分の好きなように好きなものが書ける自由が与えられた。それが「シックス・フィート・アンダー」である。やはり「アメリカン・ビューティ」同様の、シニカルでダークなコメディ/ドラマで、葬儀屋が舞台というところからして、いかにもという感じがする。これを放送するところが、ネットワークと違って基本的にヌードやヴァイオレンス、放送禁止用語に制限のないペイTVのHBOというところも納得だ。HBOは「ザ・ソプラノズ」、「Sex and the City」等、とんがった番組の製作で定評がある。
「シックス・フィート・アンダー」の主人公一家となるフィッシャー家は、葬儀屋を経営する両親と、二人の息子、それに娘がいる。当然のことながら、「アメリカン・ビューティ」同様この家族は見かけはともかく事実上崩壊しており、それぞれがばらばらにものを考え、行動している。それがクリスマス・イヴの事故で父親が死亡してしまったために、どうしても家族というものに目を向けなければならなくなる。番組は家族のそういった状態をコメディとして描くわけだが、本当にボールの斜に構えた視線が横溢しており、「アメリカン・ビューティ」同様、よくこの設定がブラックとはいえコメディになるよなと思わせる。因みにタイトルの「シックス・フィート・アンダー」とは、地面の6フィート下ということで、もちろん棺桶が埋められる場所のことだ。
ボールはティーンエイジャーの時、姉が運転する車に同乗して事故に遭い、姉は死亡したが、自分だけ助かったという体験をしている。また、家族も彼がよく描く、家族として機能しないばらばらの家族だったらしく、父は精神をおかしくし、母も新興宗教に走ってしまったそうだ。その上、ゲイであるボールの周りには、若くしてAIDSで死亡する者が多かった。今でこそAIDSは様々な治療薬ができて、AIDSにかかることが必ずしも死を意味するものではなくなったが、10年前にはAIDSは死の宣告に他ならなかった。ボールが書く作品に横溢する死の香りや世界に対するひねくれた視点は、多分に彼のそういう体験が大きくものを言っているのだろう。
ボールはゲイが多いハリウッドでも早くからゲイとしてカミング・アウトしており、彼の書くものを見ると、いかにもゲイ特有の神経の細やかさが行き届いていることがわかる。ゲイの男性と話をしているとよく感じることだが、彼 (女) らがジョークを飛ばす時や言葉で攻撃をする時、こちらが一番触れてもらいたくないと思うようなところをずばりつかみ、その上でその回りを遠回りにちくちくと刺すような、実に嫌らしい攻撃を仕掛けてくることが多い。私がボールが書くものから受ける印象も、まさにそれだ。ポイントをわざとずらしながら話を展開させた挙げ句、最後には言いたいことを納得させている‥‥「アメリカン・ビューティ」にも「シックス・フィート・アンダー」にも、この種の嫌らしさは枚挙に暇がない。
番組では長男のネイサンが、亡くなった父を回想するというシーンがある。 幼い頃に、仕事中の、つまり死体に防腐処理を施している最中の父を見ているという設定なのだが、その死体は知り合いのミスタ・ブルーンバーグということになっている。実はこの名前が楽屋落ちネタになっているのだが、ブルーンバーグとはボールが2年前にABCで製作していたシットコムの「オー・グロウ・アップ (Oh Grow Up)」を、面白くないと言ってキャンセルした当時の編成責任者の名である。そのブルーンバーグを死体にして解剖なんかしちゃったりしているのだ。つまり、ちょっとした意趣返しなのだが、何年も前の恨みをまだ忘れていないこのしつこさ、このへんがいかにもゲイなんだよねえ。
ゲイということから思い出したが、番組では次男のデイヴィッドがゲイという設定になっている。彼はまだ自分がゲイということを隠しているのだが、まあ、周りの者は薄々と感づいている。番組内でそのデイヴィッドがボーイ・フレンドとキスをするシーンがあるのだが、近年のアメリカのTV/映画に登場するゲイのからみのシーンは、加速度的に過激、というかリアルになっている。ショウタイムの「バーバリー・レーン28番地 (Tales of the City)」で男性同士のキスが史上初めてブラウン管に登場したとして話題になったのは、たった数年前のことなのだ。それが昨年、若者に圧倒的人気の「ドーソンズ・クリーク (Dawson's Creek)」で、ついにネットワークがプライムタイムに放送する番組でも男性同士のキス・シーンが現れ、深夜のペイTV番組ではあるが、「クイアー・アズ・フォーク (Queer as Folk)」では、もう男同士のセックス・シーンやフェラチオ・シーンが現れた。今回の男同士のキス・シーンは、もうゲイがメイン・ストリームとなったかのような自然さで、しかもそれが番組の前半部にあるネイサンとブレンダとのセックス・シーンよりももっと濃厚、かつエロチックに撮られている。ディープ・キスなのだよ。
この辺りはまったくボールの趣味が出ているよなと苦笑せざるを得ないのだが、彼は男と女のセックスには本当に興味がないようだ。ネイサン役のピーター・クラウスがレイチェル・グリフィスという色っぽい女優を相手に空港の倉庫で一時のアヴァンチュールを楽しむなんてなかなかそそる舞台設定をしておきながら、このセックス・シーンはまるで色気がなく、まったく投げ遣りの演出である。なんというか、撮っている者が対象にまるで興味を持っていないことがはっきりとわかるのだ。他のシーンが細心の注意を払って完璧を期しているのがよくわかるために、このセックス・シーンのぞんざいさは、まるで別物で違和感が残る。おかげで別の意味で非常に印象に残った。
冒頭、ナサニエルが巻き込まれる事故は、最近流行り? の巻き込まれ型の衝突事故で、「エリン・ブロコビッチ」、「アモーレス・ぺロス」でもあった、車の横っ面に別の車が頭から突っ込んでくるというタイプの事故である。最近スクリーン、TV画面を問わず、本当にこの手の衝突シーンを見る機会が多い。今回はナサニエルの運転する霊柩車にバスが突っ込んでくるという設定になっており、それはそれで強烈である。しかしバスというと、思い出すのはやはり「ファイナル・デスティネーション」の、あのバスのシーンだな (見てない人の楽しみのために詳述は省く)。ま、この手の事故シーン描写の流行はもう当分続きそうだ。
私は「アメリカン・ビューティ」でも、発想の転換というか、尋常の神経ではコメディにはなりそうもない題材を料理したその手腕にいたく感銘を受けたのだが、今回もまったく同様の印象を受けた。一言で言って、うまいのである。よくこういう題材をこういう風に切り取って味付けすることができる。まったく感心する。脱帽だ。ただし「アメリカン・ビューティ」同様、この番組に対して嫌悪感を抱く者も少なくないだろう。それもわからないではない。登場人物の気持ちが通う合うことがなく、人が死んだり騙しあったり憎んだり、通常の感性ではお笑いの対象とはならないようなものを皮肉に笑って見せるこの番組は、受け入れられない者は徹底して嫌いになると思われる。それも時代の先端を行く番組の宿命だ。その点、番組が視聴率に影響されないペイTVのHBOで放送されているのは幸運だ。おかげで誰が見ていようと見ていまいと、とにかくこの番組は今シーズン13本の放送が決まっており、さらに来春、もう13本の放送も決まっている。いかにボールの才能が高く評価されているかがわかる。
その最初の13本のエピソードのうち、実際にボールが脚本を書いて演出もしているのは、プレミアのエピソードだけである。一応内容はすべてのエピソードをボールがスーパーヴァイズしているので、最終的な番組の内容の責任はボールにあるのだが、やはり演出する人間によって、そこはかと違いが出てくるのはしょうがないところだろう。ボールが作った話ということがこれだけ注目を集めていると、他の話を書いたり演出したりする人間はやりにくいだろうと思う。見る方にとっても気がかりだ。特にプレミアのできがこれだけ印象的だと、2回目以降このレヴェルを維持できるのか気になる。
しかしボールの後に演出を担当する者たちの名を見てみると、「彼女を見ればわかること」で印象を残したロドリゴ・ガルシアや、最近は演出業にも進出しているキャシー・ベイツといった名前も見える。ベイツは私は一昨年の「ハメット&ヘルマン (Dash and Lilly)」で大層がっかりした記憶があるだけにそれほど期待しているわけではないが、「彼女を見ればわかること」で細やかな演出を見せたガルシアは、なるほどと思える人選だ。でもガルシアもゲイなのかな。「彼女を見ればわかること」を見る限り、そうだったとしても驚かないけど。いずれにしても今現在、「シックス・フィート・アンダー」がアメリカで放送されている全TV番組の中で最もレヴェルの高い番組の一つであるということは疑いようがない。今後が大いに気になるところである。
