Little Children   リトル・チルドレン   (2006年12月)

郊外の裕福な者たちが住む町で、サラ (ケイト・ウィンスレット) は美しい娘のルーシーと夫のリチャードと共に暮らしていた。リチャードはインターネットの仮想セックスの世界に入り浸りで、サラの生活はほとんどルーシーと一緒にいるためだけに費やされていた。そういう子供を持つ主婦たちの間で、息子を公園に遊ばせに来る見場のいい男ブラッド (パトリック・ウィルソン) が何かと話題に上っていた。一方、幼い子供たちにいたずらをして服役していたロナルド (ジャッキー・アール・ヘイリー) が出所して町に戻ってきていた‥‥


_____________________________________________________________________


「イン・ザ・ベッドルーム」以来5年ぶりとなるトッド・フィールドの新作は、トム・パーロッタの同名原作の映像化。私はパーロッタという名前は初耳だったので調べてみたら、99年のアレクサンダー・ペインの「ハイスクール白書」の原作者だった。


話題となった前作から時間をかけての新作ということで連想するのは、「レクイエム・フォー・ア・ドリーム」以来6年ぶりで新作の「ファウンテン」が公開されたダーレン・アロノフスキーや、同様に5年ぶりの「トウェルヴ・アンド・ホールディング」が公開された「L.I.E.」のマイケル・クエスタ等だ。特にフィールドは家庭が主要な舞台となるという点でクエスタと作品の手触りが近いという印象があるが、徹底して家庭を一つの軸として物語を展開させるという点で、フィールドはさらにドメスティックだ。


一方、自作では徹底してシリアスで推すクエスタに対し、フィールドの「リトル・チルドレン」は原作のせいもあるだろうが悲喜劇タッチであり、シリアスな内容でありながらところどころで笑いが挟まる。クエスタだって雇われ監督として撮ったTVの「デクスター」では、きちりと視聴者をにやりとさせる演出を行っていたというのはある。しかしあれは原作や脚本がそうだったから乞われるままそのように撮っているはずで、さもなければ各エピソードで演出家が代わると番組の印象も異なるというのは、TV番組としてはまずいだろう。その点、自身で脚本にもタッチしている「リトル・チルドレン」のフィールドは、「イン・ザ・ベッドルーム」が最初から最後まで悲劇であったことを思えば、今回は扱っている内容はかなり重いものでありながら、それなりにリラックスしながら見れる。


「リトル・チルドレン」を一言で言うと、映画版「デスパレートな妻たち」ということになるかと思う。郊外の裕福な家庭、一見して幸せそうに見える家族、しかし内心誰もが疑心暗鬼で鬱屈したものを抱えており、向こう三軒両隣の動向を窺っている。似たような設定、悲劇を喜劇としてとらえるスタンス、そして状況を説明するナレーションが入るという点が、特にこの2本の印象を似たようなものとしている。物語にナレーションを入れるという技法は、観客にストーリーをわかりやすくさせるというのが最大の目的だろうが、もちろんそれだけではない。ナレーションを入れると、裏効果として観客が作品に対して距離を置きやすくなる、第三者の視点で冷静に見れるという効能が生まれる。ドキュメンタリーがほとんどナレーション入りで製作されるのは、状況説明もそうだが、冷静に対象を見つめようとする姿勢を強調するためという意味合いも大きいはずだ。もしそこにより強い情動を挟み込みたいならば、登場人物自身から自分の意見を口にさせる方がよほど効果がある。


そして「デスパレートな妻たち」でも「リトル・チルドレン」でも、ナレーションはほとんど話に関係のない、あるいは影響を及ぼさない人間が担当している。「デスパレートな妻たち」では、ナレーションを口にするのは番組第一回で死亡した女性なのであり、彼女がどう状況を説明し、状況を憂えれば憂えるほど、そこにはもう彼女の力は及ばないという面が強調される。そして「リトル・チルドレン」では、ナレーションはまったく話には関係のない者によって担当される。要するに外部の者の目だ。こうやって両者とも対象から距離を置き、そのことで悲劇を喜劇としてもとらえることのできる視点を獲得する。


あるいは、「リトル・チルドレン」はトッド・ソロンズの「ハピネス」に近いと感じる者も多かろう。特に「ハピネス」主演のジェイン・アダムズが「リトル・チルドレン」でもちょい役ながら出演しており、さらに「リトル・チルドレン」では、「ハピネス」でのディラン・ベイカーにまったくそっくりな冴えないおっさん役をグレッグ・エデルマンが演じている他、幼児嗜好の変態おやじも出てくる。これでは「ハピネス」を連想するなという方が無理かもしれない。


「リトル・チルドレン」の主人公サラ (ケイト・ウィンスレット) は、可愛い一人娘のルーシー、夫のリチャード (エデルマン) と共に、郊外の裕福な住宅地のそれなりに見栄えのいい一軒家で、一見幸せな家庭を築いている。しかしリチャードはインターネット・ポルノにはまっており、サラは今ではもうほとんどリチャードとセックスする気になれない。とはいえサラは、他人の目と人の噂ばかりを気にするご近所の公園ママたちにもうんざりしていた。


そんな時、最近よく息子を連れて公園に遊びに来るハンサムな男ブラッド (パトリック・ウィルソン) が、公園ママたちの間で話題になる。ブラッドは弁護士志望の男だが、2年連続して試験に落ちている。今は裕福な実家を持つドキュメンタリー映像作家の妻キャシー (ジェニファー・コネリー) がブラッドと息子を養っていた。サラはひょんなことからブラッドと仲良くなり、そして二人の中は急速に近づいていく。共に伴侶に気詰まりなものを感じていた二人がベッドを共にするまでそう時間はかからなかった。


一方、幼児愛好の性癖を持ち、そのために刑務所入りしていたたロナルド (ジャッキー・アール・ヘイリー) が出所して、また年老いた母のメイ (フィリス・サマーヴィル) と一緒に暮らし始める。ブラッドの友人のラリー (ノア・エメリック) は自警団を組織して前科者のロナルドに目を光らせる。しかし元警官のラリーは以前誤って人を撃って殺したことがあり、そのためにロナルドに必要以上に嫌がらせをするという面があった‥‥


こうやってあらすじだけ書くとまったく喜劇的要素はないんだが、それを言うなら「デスパレート妻たち」だってそうだ。あれだってあらすじだけ聞くと、ほとんど悲劇にしか聞こえない。こういう、実は悲劇的な設定をコメディとして提出したところにこそ「デスパレートな妻たち」や「ハピネス」(「ハピネス」をソロンズが意識的にコメディとして撮ったかは疑問だが) の戦略があったのであり、笑いながらも時にはっとさせる瞬間は、反動でより重く迫ってきたりもする。


主人公のサラに扮するウィンスレットは結構誉められており、彼女のこれまでの経歴を考えればこれくらいやれるのは当然だろうと思っていたので、実は私は特に彼女の演技に感心したわけではなかった。それよりも、ウィンスレットに相対するウィルソンの顔にまったく記憶がなかったので家に帰って調べてみたら、「ザ・ファントム・オブ・ジ・オペラ」で怪人とわたり合ったラウルを演じていた彼だったことを知ってびっくりした。まあ「ファントム」では主人公は怪人を演じたジェラルド・バトラーだったからウィルソンがそれほど記憶に残っていなくてもしょうがないかなとは思うが、しかし、印象変わる。


しかし実はこの映画で主人公の二人よりも私の印象に残ったのは、脇の面々である。特に変態おじさんのロナルドを演じたジャッキー・アール・ヘイリーは、彼が以前「がんばれベアーズ」で、まだ幼く初々しかったテイタム・オニールのあこがれの美少年/不良少年を演じた彼であったことを知ったことで、さらに印象が深まった。時は変わる人も変わる。オニールだって今年「レスキュー・ミー」で演じていたのはほとんど色気違いの中年ばばあだ。ヘイリーは一時演技の世界から遠のいていたようだが、「リトル・チルドレン」は彼なくては機能しない。そして彼を取り巻く二人、つまり年老いた母親のメイを演じたフィリス・サマーヴィルと、ロナルドに執拗に嫌がらせを続けるラリーを演じるノア・エメリックがまたいい。年末が近づいてきて色々な映画賞が発表されつつあるが、どこかの賞が彼らにこそ助演賞を上げてもいいのに。






< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system