8年前、「ウィンターズ・ボーン (Winter's Bone)」で印象を残したデブラ・グラニックの新作は、またまた山の中で、ほとんど人知れずに孤独に生きる者たちを描く。


とはいえ状況は似ていても、そういう風になった理由、経緯はかなり異なる。「ウィンターズ・ボーン」の場合、主人公一家が山の中のみすぼらしい一軒家に住んでいるのは、単に生活が貧窮しており、他に選択肢がないからだ。


一方「リーヴ・ノー・トレイス」の主人公父娘ウィルとトムは、自らの意志で、森の中でほぼホームレス同然の生活をしている。というか、従軍後、PTSDのためにそういう生活しかできなくなった父に連れられて、娘もそういう生活を余儀なくされている。


しかし、いくら文明から離れてできるだけ人と交わらないようにしてひっそりと暮らしていようとも、自治体が管理している森の中で、勝手に生活することは許されない。結局二人は生活の痕跡をつかまれ、文明の下へと連行される。とはいえ無償で家と仕事を提供されようとも、人と付き合い、定時に起き、働いて収入を得るというのは、ウィルにとって苦痛以外の何ものでもなかった。


一方、新しい世界は、娘のトムにとって刺激に満ちたものだった。たぶん物心ついた時にはウィルに連れられて既に森でホームレス同然の生活をしていたために、これまで自然にそういう生活を続けてきたが、元々トムが好んで選んだ道ではない。これまで避けていた人との交わりは、実はトムにとっては大層エキサイティングで好もしいものだった。たぶん生まれて初めて同年代の男の子と話をする。それでも、やはり一般的な市民生活に適合できないウィルは、再びトムを連れて家を捨てて森の中に逃げる。


アメリカではヴェテラン、つまり退役軍人のメンタル・ヘルス・ケアが常に問題になっている。郊外の中流以上の人間がペイン・キラー、つまり常用性のある痛み止めの中毒 -- オピオイド依存症になって身を持ち崩すというのが問題になって久しいが、怪我をしている場合の多いヴェテランがオピオイド依存になる頻度は、一般人と比較にならないくらい多い。


オピオイド依存にならなくても、メンタル・ヘルスに問題が起きる場合が往々にしてある。ウィルは退役後、人付き合いを徹底して避けるようになり、まだティーンエイジャーの娘と共に、森の中で生活するようになった。人嫌いとも違うようで、娘には自分が知っている限りの教育を施し、必要とならば街に降りていって生活必需品を手に入れる。


近年、マンハッタンを歩いていると、ホームレスが増えたことを実感する。老若男女、人種を問わず多くのホームレスが街角に座り込んで金や食料を無心している。ほとんどのコーナーにいるのでキリがないので、私は年末に赤十字にできるだけの寄付はするから、あんたらもそういうところから何か得てくれと思いながら通り過ぎる。そういう者たちの中に、自分はヴェテランで、食べるものと金と寝る場所がないと記したものを掲げて注意を惹こうとする者が結構いる。


ウィルは、自分ではホームレスではないと思っているだろう。しかし自治体が管理する場所で勝手に寝起きされるわけにはいかないので、職と家を無償で提供される。マンハッタンでホームレスになっているヴェテランも、どこかに申請すればそういう風に寝場所を確保できるのではないかと思うが、しかし、だからといって彼らにとってはそれは必ずしも望むものではない。


人間だから食事と寝る場所は必要だが、そのために決められた時に決められた場所に行って、今月はこれこれこういうことをしました、などと逐次報告するのは真っ平なのだ。また、都会のホームレスのための居住施設は、人が多くて環境や設備がよくない場合も多いらしい。そういうルールや人とのしがらみが嫌でホームレスになった者も多いのに、人を詰め込んだ施設に送られるのは真っ平御免だ。ある時ニューズでホームレスにインタヴュウしているのを見たことがあるが、ああいう施設に送られるよりは、路上で寝た方がマシだと言っていた。


ウィルもたぶん似たような考え方なのだろう。施設に入ったり勝手に仕事を充てがわれたりするよりは、自分の才覚だけを頼りに森の中で暮らす方がよほど心の平安を得ることができる。


とはいえ、ウィルはそうだが、ティーンエイジャーの娘のトムも同じというわけではない。ホーム・スクール (家もないのにホーム・スクールと言うかは疑問だが) で必要最小限の教育は施している。学校に行っていないはずなのにある程度の知育レヴェルを示すので、自治体の係りの者が驚くくらいだ。


しかし、どんなにウィルがトムを教育しようとも、人との付き合い、関係の築き方は、実際に自分自身が体験して習熟するしかない。いつかはトムがウィルの庇護から巣立たなければならない時がやってくる。しかもそれはわりとすぐ近くまで来ている。ウィルもそのことは重々承知しているはずだが、しかし自分が社会生活に戻る気にはさらさらなれない‥‥


ウィルに扮するベン・フォスターは、「最後の追跡 (Hell or High Water)」や今春の「ホスタイルズ (Hostiles)」ではいかにもやさぐれたという感じの悪人を演じていたが、元々は「X-メン: ファイナル・ディシジョン (X-Men: The Last Stand)」のセンシティヴな役柄で印象を残した。「リーヴ・ノー・トレイス」は、そういうメンタルな弱さと意固地なマッチョぶりが絶妙にマッチしている。


トムに扮するトマシン・マッケンジーが「ザ・ウィッチ (The Witch)」のアーニャ・テイラー-ジョイを思い出させるのは、ジョイの役名がトマシンだったことが大きい。ジョイに似ているといえば、実はその後の「モーガン (Morgan)」「スプリット (Split)」の少し成長したジョイこそマッケンジーに似ている。いずれにしても、「ウィンターズ・ボーン」に主演したジェニファー・ロウレンスがその後飛ぶ鳥を落とす勢いでスターになったことを考えれば、マッケンジーの将来も期待大だ。それにしてもグラニック、次の作品はいったい何をテーマに撮るんだろう。












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退役軍人のウィル (ベン・フォスター) は、退役後、PTSDのために普通の生活を送れなくなり、13歳になる娘のトム (トマシン・マッケンジー) と一緒にポートランド郊外の森の中で野宿同然に住んでいた。トムの教育はウィルが教え、ウィルは国から支給される痛み止めの薬を、中毒している他の森の住人に売ってなにがしかの金に替え、時たま街に降りていって生活必需品を手に入れていた。しかし自治体が管理する森の中に勝手に住むことは許されず、ついに二人は見つかって捕まってしまう‥‥


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足跡はかき消して (リーヴ・ノー・トレイス)  (2018年7月)

 
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