Winter’s Bone


ウィンターズ・ボーン  (2010年8月)

ミズーリ州の山奥の寒村の一軒家に住むティーンエイジャーのリー (ジェニファー・ロウレンス) には、自分の世界に閉じこもったままの母、まだ年端も行かない弟と妹、そして父がいたが、その父が行方不明になる。真っ当な働き手ではなかった父は裁判所に保釈金を払う必要があり、彼が数日内に裁判所に出頭しない場合、抵当に入っている家を開け渡さなければならない。リーは一人で父の足取りを追う。しかし、山の者は結束が固く、何かを知っていることは確実だが、決してリーにそれを打ち明けようとはしなかった‥‥


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先週見た「ザ・キッズ・アー・オール・ライト (The Kids Are All Right)」もインディ映画の小品だったが、今回の「ウィンターズ・ボーン」はそれに輪をかけて小品だ。「ザ・キッズ‥‥」は小品ながらも評価は高かったので、少なくともタイトルは何度か耳にしたことがあった。しかし「ウィンターズ・ボーン」はタイトルを耳にしたこともなければ、評価も聞いたことがない。劇場にかかっているのを見て、初めてこういう作品があることを知った。


それが一と月以上も前の話だ。そして一と月経っても、まだ上映している。特に話題にはならないが、これだけ続いているのは、一部では口コミで知られているからに他ならず、こういう作品に案外拾い物があったりする。しかもポスターを見てみると、今年のサンダンス映画祭の審査員賞および脚本賞獲得とある。これは足を運ぶ価値があるかもしれない。


それでヤフーでちょっと内容をチェックしてみると、冬の山奥で失踪した父を探す一人のティーンエイジャーの女の子の話である由。これで思い出すのは一昨年の「フローズン・リヴァー (Frozen River)」で、極寒のニューヨーク北部の町を舞台にしたこの作品が真夏に公開され、ロング・ランを記録したのと似たような経緯をたどっている。やはり同様に寒いところで強く生きる女性を描く「ウィンターズ・ボーン」が、「フローズン・リヴァー」を意識して、マーケティングや公開時期でその轍を踏んでいるのは間違いあるまい。いずれにしても、なるほど、内陸版女性ハードボイルドものか、と一人で納得し、女房も誘って劇場に足を運ぶ。


そしたら! これが近年で最も不意打ちを食らった作品になってしまった。予想以上にできがよかったとか悪かったとかいう話ではない。それ以前の問題だ。実は登場人物のセリフがほとんど聞きとれなかったのだ。舞台はミズーリのオザークという山間の村を舞台としている。完全な内陸部だ。とはいえ、だからといってここまで癖のあるしゃべり方をするとは露ほども予想していなかった。


広いアメリカだ。当然地方訛りはある。「ウィンターズ・ボーン」は内陸部の寒村を舞台としている。冬はとても寒そうだ。こういうところに特有のしゃべり方として、できるだけ口を動かさずにもごもごとしゃべる。それが最もエネルギーの消費を最小限に抑え、熱を逃がさないしゃべり方だからだろう。あるいは、コーエン兄弟の「ファーゴ (Fargo)」みたいに、ゆっくりと、ほとんど間が抜けたようにしゃべる地方もある。いずれも、しゃべる時のエネルギー消費をできる限り抑えようという方向性は一致している。


昔、上京して間もない頃、バイト先で青森出身の賄いのおじさんに引き会わされ、本当に何を言っているのかわからなかったという経験がある。ズーズー弁もあまり口を開けずにしゃべる上、このおっさんは早口で、まったく返す言葉がなく、頭の中が真っ白になった。日本人のしゃべっている日本語がわからない。共通語でしゃべっているつもりの私の言葉も、もしかしたらそれまで相手に伝わってなぞなかったのではと思ったのだ。まったくお上りさん的なカルチャー・ショックだった。


アメリカに来てこれまで最も聞き取りに苦しんだ作品は、何といってもビリー・ボブ・ソーントン監督主演の「スリング・ブレイド (Sling Blade)」だ。しかしあれはソーントンが意図的に主人公のしゃべり方を捏造して、わざと癖のある話し方をしたところがあったから、ネイティヴじゃない者が聞き取りに苦労しても仕方のない点があった。


いずれにしても、それですら既に15年も前の話だ。今ではアメリカに来てやがて20年経とうとしている。昔は苦労した南部訛りも今ではそれほど気にならない。それなのに、ここまで何言っているかわからないということがあってもいいものか。ニューヨークに住んでいると、地方訛りどころか世界のありとあらゆる国の言語のイントネーションで彩られた英語が聞ける。それだって聞こうと思えば聞きとれるのに、アメリカ人のしゃべるアメリカ英語が何言ってるかわからない。頼むから口を開けてもっと子音をはっきりと発音してくれと、心の中で叫んでいた。


それでも少なくともなんとか話の筋を追えたのは、基本的に視覚媒体の映画では、スクリーンを見ていることである程度何が起こっているかわかるからだ。しかし、それでも私の女房は途中でその努力を放棄して、諦めて眠りについたそうだ。私は意地になって最後まで見たが、それもよかったかもしれない。まったく何言っているかわからない外国語をBGMにすると、すごくよく眠れたりする。


さて、その限られた能力内で見た「ウィンターズ・ボーン」、主演のリーを演じているのはジェニファー・ロウレンスで、TBSのシットコム「ザ・ビル・エングヴォール・ショウ (The Bill Engvall Show)」でちらと見たことがあるくらいだ。ただの可愛い子ちゃんではなかったことを証明した。話は彼女が父の足取りを追うという、ほとんど全編彼女の視点から語られるので、ほぼ最初から最後まで出ずっぱりであり、それを支えた力量は大したもの。


母は自分の世界に引きこもり、父はたぶんドラッグ関係の揉め事で失踪中だが、いずれにしても家にいても何の役にも立たないだろう。まだ10歳にも満たないと思われる妹や弟が何か手伝ってもらうわけにもいかない。それで自分一人でいなくなった父の足跡をたどるが、思い当るところを訪ねても、返ってくるのはけんもほろろの否定の言葉ばかり。さらにあまりこちらのビジネスに鼻を突っ込むなと釘を刺され、それでも父の行方を突き止めるしかないリーはその足跡を嗅ぎ回り、結局ぼこぼこにされる。ティーンエイジャーの、それも女の子だからといっても、タブーに首を突っ込めば、その仕返しは容赦ない。こういう役は、同じ可愛い子ちゃんでも、草食のアジア系の女優ではまず様にならないだろう。ぼこぼこにされても起き上がる基礎体力が違う。


リーの叔父ティアドロップを演じるジョン・ホウクスもこういう癖のある役がよくはまり、印象に残った。演出はデブラ・グラニクで、先週見た「ザ・キッズ・アー・オール・ライト」のリサ・チョロデンコがいかにも女性らしい繊細な演出をすると思ったら、今度は男性顔負けのティーンエイジャー・ハード・ボイルドだ。女性が「ハート・ロッカー (The Hurt Locker)」を撮る時代でもある。もう題材による演出家の性別なんて関係ないんだろう。


それにしてもサンダンスの審査員賞って癖があるので有名で、審査員賞より観客賞の方がよほど参考になるのはよく知られている話だ。私もそのことは充分理解しているが、なんと評価されていようと自分の目で見ないことにはどうしようもないから、結局見るしかない。実はサンダンス、一昨年の審査員賞が、何を隠そう「フローズン・リヴァー」なのだった。そうか、毎冬、ただで寒く、スキー・リゾートとして知られるユタの山間の町で開かれるサンダンス、どうしても寒い映画を評価する傾向があるようだと納得した。








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