Divergent


ダイバージェント  (2014年3月)

事前に「ダイバージェント」の内容のことなどほとんど知らなかった。派手に宣伝が繰り広げられているのを見ると、若者向けの近未来SF、しかも主人公が「ファミリー・ツリー (The Descendents)」のシェイリーン・ウッドリーであることを考えると、たぶんティーンエイジャーの女の子向けの、「ハンガー・ゲーム (The Hunger Games)」路線だろうなというのがなんとなく想像できる程度だった。


「ハンガー・ゲーム」の時も、進んで、というよりはとにかく話題になっているので見ておかなくては、という気持ちで劇場に足を運んだのだが、実は今回もほとんど乗りは一緒だ。ただし、どちらかというと少年少女がゲームとして殺し合う「ハンガー・ゲーム」より、「ダイバージェント」の方が、見る前の気持ちとしては楽だったとは言える。


それが話が始まった途端、ウッドリー演じる主人公 (ベア) トリスの口から、人々は5つのセクションに分かれて規律を守ることで生活しているという未来の状況が説明される。そこで私はもう、えっ、と思ってしまった。


だいたい、単一民族から成る国家だって、常になんらかの問題はある。大人になって国を捨てる奴もいる。それなのにまだ大人になり切れてない時にたった5つの選択肢から将来を選択させ、いったん選んだらやり直しは利かないなんて、そんなバカげた話があるわけがない。賭けてもいいが、そんなバカげたシステム、施行してもあっという間に世の中はドロップアウトだらけになって、一年と経たないうちに瓦解するだろう。


だいたい世の中の様々な職業を、いったいどうやってたった5つしかないカテゴリーに振り分けるというのか。「ハンガー・ゲーム」のように、近い将来、人々が貧しくて圧政下にあるため娯楽に乏しく、民衆の気持ちの捌け口を設けるために、選ばれた若者たちが殺し合いにさせられるという設定はまだわからなくもないが、「ダイバージェント」の設定はあまりにも恣意的で、乱暴過ぎる。時々人類はバカなことをするが、このシステムは戦争よりバカげていると言わざるを得ない。こんな話の原作がベストセラーなわけ?


適齢期になると少年少女たちは適性検査を受けるが、稀にこのシステムと相容れず、どのカテゴリーにも適さないダイバージェントと判断される一握りの者が現れる。彼らはシステムの維持に脅威となるため、排除を求められる。その一人が主人公トリスで、彼女はそのことを隠しながら、しかもこれまで過ごしてきた「無欲」ではなく、「勇敢」を選択する。しかし問題はこれからだ。トリス以外にも他のセクションから「勇敢」を選んできた者もいるため、定員オーヴァーだ。そうすると競争によってその権利を勝ちとらなければならない。負ければ元の世界にも戻れず、待っているものはホームレスだ。


その時、彼らの指導やサポートを行うのが、フォーだ。フォー、つまり数字の4だ。思わず「アイ・アム・ナンバー・フォー (I Am Number Four)」と何か関係があるのかと思ってしまう。しかしあれはエイリアンだったからそんなことはないか。


視覚的は面白くないこともないが、しかし、やはりこれはヘンと思ってしまうのが、「勇敢」の者たちが外の世界に繰り出す時に乗り込む列車だ。どうやら彼らの住むところが始発駅のようだが、停車駅はなく、町をぐるりと一周して戻って来るだけのようだ。「勇敢」の者たちは治安を維持する警察のようなことが仕事であるため、常にその列車に乗って町を境界のようなところまで巡回している。


ところでその列車には上述したように停車駅がない。つまり乗り降りには始発駅から乗降する場合を除き、かなりのスピードで動いている列車に飛び乗るか飛び降りるかするしかない。実は動いている列車に飛び乗るというのも、始発時にゆっくりと動き始めた時以外には、飛び乗る描写はない。当然だろう。危険過ぎて却下だ。つまり遠くに行って降りた場合は、停車駅がない以上、たぶんそこから歩いて帰るしかないと思われる。


一方飛び降りる場合だって、同様に危険であることには変わりはない。しかも列車はほとんどの場合高架を走っており、飛び降りる先はビルの屋根の上だったりする。ニューヨークのクイーンズやブルックリンを走るサブウェイは、サブウェイとは名ばかりで高架を走る路線が多くあり、サブウェイから屋根の上を見ながら揺られて走るのは、なかなか楽しい。「勇敢」の面々もそうなのだろうと思う。一方、ということは、走る列車から屋根の上に飛び降りるのに失敗したら、確実に大怪我か、死ぬ場合もあろう。どんなに運動神経のいい者ばかりが集まっているとしても、殉職する者の数は、新しく「勇敢」に入ってくる者よりも多いような気がする。


とまあ、いきなり欠点ばかりをいくつもあげつらってしまうが、では見どころがないかというと、そんなこともない。なんてったって今が旬の女優ウッドリーを筆頭に、出演者は豪華だ。トリスのインストラクター兼ラヴ・インタレストのフォーを演じるテオ・ジェイムズこそ知らなかったが、後はハリウッドのヴェテランが目白押しだ。トリスの両親を演じるのは、アシュリー・ジャッドと、現在ABCの「スキャンダル (Scandal)」で大統領に扮しているトニー・ゴールドウィン。こないだCWで「ニキータ (Nikita)」が最終回を迎えたマギーQがタトゥ・アーティスト兼トリスの検査官を演じている他、「アウトロー (Jack Reacher)」、「ダイ・ハード/ラスト・デイ (A Good Day to Die Hard)」と、 ハリウッド・アクション大作への出演が続くジェイ・コートニーもいる。オスカー女優のケイト・ウィンスレットは、システムの総責任者という役どころだ。ここは是非007シリーズで楽しみながらMを演じたジュディ・デンチのように余裕をもって演じてもらいたい。ちょっとシリアスに過ぎるようなのは、演出が「リミットレス (Limiteless)」のニール・バーガーというのが関係あるか。


「ダイバージェント」は、圧倒的に納得だが、ティーンエイジャーの枠を超えてブームを巻き起こすまでには行かなかった。当然だろう。少しでも分別のある大人なら、この設定について行けるわけがない。小説として想像力をかき立てているうちはまだよかったが、それを映像として見せられると、あちこちの無理やほころびばかりが目につく。私を含めて、ちょっと興味をそそられなくもない大人も見たから一応興行的にはそこそこの成績を収めたようだが、それでも「ハンガー・ゲーム」と比較するとその半分くらいだ。しかも次ができたとしてもまず大人は見ないだろう。というか、次も作る気があるのだろうか。


ところで今や旬の売れっ子という感じのウッドリーは、弟のケイレブ役のアンセル・エルゴートと、次はラヴ・ロマンスの「ザ・フォールト・イン・アウア・スターズ  (The Fault in Our Stars)」で、今度は恋人同士として共演する。巷はその予告編だらけで、ウッドリーが常に鼻に透明なプラスティックの管を差し込んでいるのを見ると、彼女が不治の病に侵された難病ものなんだろう。それはともかく、「ダイバージェント」を見たばかりの身には、二人がインセストに見えてしょうがない。お涙頂戴ロマンスが、これでは倒錯アダルト・ポルノになってしまう‥‥











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文明崩壊後の未来、シカゴ。人類は「無欲」、「平和」、「高潔」、「博学」、「勇敢」の五つのセクションに分かれ、それぞれがルールに則って暮らすことで秩序を維持していた。人々は16歳になると、どのセクションとして生きて行くかの選択をしなければならず、いったん選択を表明したら、その後変更は認められなかった。基本的に親と同じ、自分が生まれ育ったセクションを選択する者が多かったが、そうでない者もいた。「無欲」として生まれ育ったトリス (シェイリーン・ウッドリー) は、実は自由に生きているように見える「勇敢」に憧れていた。さらにトリスは、検査によってどのセクションにも適合しないダイバージェントであることが判明する。社会のシステムを根本から覆す可能性のあるダイバージェントは、危険なために排除される必要があった。そして少年少女たちが自分の選択を発表する日が来る‥‥



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