The Hunger Games


ハンガー・ゲーム  (2012年4月)

近未来。資源や食糧は無尽蔵のものではなくなり、選ばれた一部の者たちだけがそれを享受して、大多数の民衆はほとんど文明にとり残された原始的な生活を余儀なくされていた。鬱屈する民衆の気持ちのはけ口兼エンタテインメントとして構築されたのが「ハンガー・ゲームス」で、12のディストリクトから、くじで、もしくはヴォランティアとして選ばれたティーンエイジャーたちが、最後の一人となるまで殺し合うという殺戮ゲームだった。民衆はゲームスに熱中することで、日頃のストレスや鬱憤を晴らしていた。ある年のゲームスで、くじによって選ばれたまだ幼いプリムの代わりに、キャトニス (ジェニファー・ロウレンス) がヴォランティアとして立候補する。キャトニスは同じくディストリクトからくじで選ばれたピータ (ジョシュ・ハッチャーソン) と共に首都に連れて行かれる。殺戮の前の贅を尽くした豪奢な食事やもてなしの後、ゲームの火蓋は切って落とされる‥‥


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最初「ハンガー・ゲーム」の話を聞いた時、当然のことながら高見広春の「バトル・ロワイアル」を即座に連想した。「バトル・ロワイアル」だって実は読んでないのだが、それでもあれだけ話題になって映画化もされていれば、子供たちが殺し合う話というくらいは、日本人なら誰だって知っているだろう。


アメリカにも映画版の「バトル・ロワイアル」は入ってきているから、もちろん一部の間では類似が取り沙汰されており、エンタテインメント・ウィークリーにも結構詳しくその辺りの経緯が載っていた。それによると、「ハンガー・ゲーム」作者のスーザン・コリンズは、脱稿するまで「バトル・ロワイアル」のことは見たことも聞いたこともなかったそうだ。正直言って、大まかな構造としては誰でも考えつきそうなストーリーではある。もし盗作する気なら、こんなあからさまで誰でも気づく盗作なんかしないだろう。


それよりも、洋の東西で少年少女が殺し合う話を発想するという、シンクロニシティ的な符合の方が興味深い。要するにそういう発想が同時 (とも言えないが) 多発的に頭に浮かぶくらい、世界は逼塞してきている。それでも、アメリカより日本の方が何年も先にそういう話が世に出たというところに、今の日本のあり方を見るような気がする。


また、スティル・イメージで見る限り、セーラー服のまま殺し合う「バトル・ロワイアル」と、近未来のはずだがなぜだか住んでいるところが中世時代で、戦う場所が森の中、しかし実は周囲は最先端テクノロジーで覆われているという「ハンガー・ゲーム」という、彼我の差も面白い。日本って、なぜかキッチュになってしまう。


一方、個人的には、ティーンエイジャーがお互いに最後の一人になるまで殺し合う話に惹かれるかというと、まったくそんなことはない。だから「バトル・ロワイアル」も「ハンガー・ゲーム」も読んでなかった。そのため、今回の映画版「ハンガー・ゲーム」も、特に気にしていたわけではない。つい最近まで、弓を構える主人公のイメージが頭に残っていたので、「ハンガー・ゲームス」ではなく、「ハンティング・ゲームス」と、タイトルを間違えて覚えていたくらいだ。実のところ、作品を見た後でも、「ハンガー・ゲームス」より「ハンティング・ゲームス」の方がしっくり来るんだけどなと思っている。


とまあ私個人にとっては特に関心があったわけではない「ハンガー・ゲーム」、一方で実は巷の公開前の盛り上がり方はすごかった。特にティーンエイジャーの入れ込み度は凄まじく、ちょっとこの熱中度、「ハリー・ポッター (Harry Potter)」や「トワイライト (Twilight)」を優に凌いでいるんではないかと思えるくらいだった。周りの大人たちも、いったいこの映画、なんなわけ、と戸惑いを隠せないくらい若者は「ハンガー・ゲーム」、「ハンガー・ゲーム」と騒いでいる。


それでも、これが「トワイライト」なら、今さらどんなに周囲が騒ごうとも、ティーンエイジャー向けヴァンパイア・ムーヴィを見ようとは思わないし、勝手知ったる「ハリー・ポッター」に実はまだ続編があったと言われても、食指が動くことはないだろう。しかし、よくは知らないティーンエイジャー殺戮映画が興行成績1位街道驀進中、歴代興行成績を次々と塗り替えている、なんて話が次々に飛び込んでくると、好奇心を刺激されなくもないのだった。それでも、うちの女房は、ふーん、で終わってしまい、結局私一人だけで劇場に足を運ぶ。


一部の人間だけが富を握り、民衆は逼塞を余儀なくされている近未来、民衆の鬱憤の捌け口は、毎年開催されるハンガー・ゲームスと呼ばれる殺し合いゲームの観賞にあった。12あるディストリクトから選ばれてきたティーンエイジャーが最後の一人になるまで殺し合うというもので、最後まで残ったサヴァイヴァーはヒーローとして奉られ、人々はゲームスに熱中することで日頃の憂さを晴らした。


キャトニスは、今回のゲームスにくじで選ばれてしまった身体の弱い妹の代わりに、ヴォランティアとしてゲームスに参加を表明する。元々野原を駆け回り、弓を携えて禁制の狩りもどきで腕を磨いていたキャトニスは、身体能力に優れ、すぐさま今回のゲームスの優勝候補の一角と見られるようになる‥‥


とまあ、それから血で血を争うティーンエイジャーの殺戮ゲームへと駒は進んでいく。参加者にとっては命がけでも、民衆にとってはエンタテインメントだから、ゲームス参加者が殺し合いを演じる森の中には至る所にカメラが設置され、参加者の一挙手一投足が漏れなくとらえられる。


この設定で思い出すのは、「トゥルーマン・ショー (The Truman Show)」だ。ただし、「トゥルーマン・ショー」では、撮られる側の主人公が自分が撮られていることに気づいていないため、「ハンガー・ゲーム」とは違った意味でスリルを醸成していた。


一方この10年余りで、世界にはありとあらゆるところに防犯カメラが設置され、人々は往来を歩いていると、自分は誰かから見られている、監視されているという意識を持つのが普通になった。CBSの「パーソン・オブ・インタレスト (Person of Interest)」がごく当たり前の話になっており、人は違和感なくそれを受け入れている。


今回の主人公キャトニスは女性で、男の力に頼らないどころか、非力な男を助ける側に回る。演じるのはジェニファー・ロウレンスで、「X-メン (X-Men)」でもミスティークというヒーローだったが、今回は生身。「ウィンターズ・ボーン (Winter’s Bone)」で打ち立てた、誰にも頼らない女性像をここでも体現している。


ロウレンスは、こないだデイヴィッド・レターマンがホストのCBSの「レイト・ショウ (Late Show)」にゲストとして出ていた。これまでは特にそうは思わなかったのが、多少痩せて顔が引き締まると、えらく美人。モデルとして街中でスカウトされたのがキャリアの出発点というのが頷ける。しかも彼女、実際に気が強く、兄弟相手にグーで殴り合いの喧嘩をして生傷が絶えないという話をして、レターマンを絶句させていた。


対する男性のヒーロー、ピータに扮するジョシュ・ハッチャーソンは、身体自体は締まっていてごつそうだが、この手のアクションものに登場する男としては、明らかに背が低く、一見頼りなさげだ。これはヒーローとしてのキャトニスの方が運動能力に優れていることへの対比だろう。要するに、「ハンガー・ゲーム」が若者、特に女性にアピールしているのは、まず第一にキャトニスの魅力、彼女と同化したい欲求の現れだ。とはいえ、映画公開時に劇場の前やサイン会の現場に泊まり込んで、ハッチャーソン、キャーッと叫んでいた女の子たちの大群を見ると、男性出演者が人気ないというわけでもなさそうだ。


他に脇で気になったのが、すごい衣装・化粧化けしているエリザベス・バンクスとウェス・ベントリー。バンクスなんて、知らなかったらまず本人とは気づかない。ベントリーは、こないだ久しぶりに「ゴーン (Gone)」で見たばかりだと思ったら、出演作が続く。ゲームスの参加者たちは、勝つためには人々の関心を買う必要があるため、衣装や人前での立ち居振る舞いに様々な演出を施す。キャトニスとピータの担当をするスタイリスト役的な男が、レニー・クラヴィッツみたいなやつだなと思っていたら、本当にクラヴィッツだった。歌わないのか。


ところでキャトニスが使い手として他人より秀でている武器が、弓だ。むろん洋の東西を問わず、弓は戦闘史を代表する武器だが、特にアーサー王伝説、すなわちロビン・フッド伝承の色濃い英国史圏においては、その影響は顕著だ。しかしそれでも、今年の映画では弓使いが流行らしく、キャトニスをはじめ、間もなく公開の「アベンジャーズ (The Avengers)」においては、ジェレミー・レナー扮するホークアイが弓を用い、夏のピクサー映画「メリダとおそろしの森 (Brave)」でも、主人公メリダの武器は弓だ。


むろん弓が用いられるのはそれが絵になるからだが、特に近年、弓を武器として使用する作品が増えたのは、もしかしてエコが関係しているかと思ったりもする。撃ったらそれで終わり、二度と同じ銃弾が使えるわけではない銃器類と違い、弓の場合は矢を放っても、その矢を回収すればまた使える。折れたり欠けた矢じりに手を入れたりする必要はあるだろうが、それでも一度撃ったらそれまでという銃とは発想が根本的に違う。弓は、それを作ることから手入れ、最終的に壊れて使えなくなるまで、その使用者が自分の責任で、自分が好きなように製作できる。エコの時代向きなのだ。資源には限りがある。これからの戦闘は森の再生産性も考えてやらなければ。










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