前々回書いた「ザ・ラスト・マン・オン・アース (The Last Man on Earth)」、前回書いた「ザ・リターンド (The Returned)」、そして今回の「アイゾンビー」と、印象としては人類滅亡ものが続く。こういう番組が多く編成されるのも末世の証しか。
特にゾンビが出てくる番組というと、自然に末世ホラーという印象になる。人間が死に絶えていく世界を描いているわけだから、それも当然だ。しかし近年のゾンビものはさらに一歩進んで、人類滅亡ものではない、ゾンビと人間の共存を描くようになってきた。明らかに違うシステムに則って生きて (?) いるため、共存というと語弊があるが、最近のTVや映画が少なくともお互いそういう存在があるということを認め、なんとかやっていけないものかという道を模索し始めたことは確かだ。
少なくともMTVの「デス・ヴァリー (Death Valley)」では、とにかくゾンビはそこにいるものとして、おちょくるなりバカにするなりではあっても、存在自体は認めていた。「ウォーム・ボディーズ (Warm Bodies)」では人間とゾンビはコミュニケイションをとり始めていたし、ここへきてゾンビという存在は市民権を獲得したという気がする。
ゾンビ自体にも変化が出始めた。ゾンビというとAMCの「ザ・ウォーキング・デッド (The Walking Dead)」のように、爛れた皮膚で腐りながらよろよろ歩き、あるいは走るという印象があるが、BBCアメリカの「イン・ザ・フレッシュ (In the Flesh)」やABCの「リザレクション (Resurrection)」、「リターンド」、さらに「アイゾンビー」の後やはりすぐまたCWで始まった「ザ・メッセンジャーズ (The Messengers)」では、一見彼らは普通人と変わらない。というか、半分腐りかけた彷徨えるものをゾンビというなら、一見しただけでは我々と見分けがつかない彼らは、既にゾンビとは異なる別種の存在へと進化、あるいは変化したと言えるかもしれない。適者生存、淘汰の原則はゾンビにも該当する。しかしこの場合、死んでいるわけだから適者生存とは言えないな。
「アイゾンビー」の場合、ゾンビの集団に襲われた主人公オリヴィアは自分もゾンビ化するが、人には知られずに住む。しかし時折り襲ってくる人間の脳を食べたいという欲望には逆らえず、将来を嘱望された心臓外科医というエリート・コースを捨て、モルグで働くようになる。そこだといつでも人の脳をちょろまかして食うことができるからだ。
しかし人の脳を食うということは、その脳に蓄積されている記憶も食するということも意味していた。その他人の記憶が、時折りフラッシュバックでオリヴィアの眼前に甦る。だいたい、モルグに運ばれてくる死体というのは身元不明のものばかりで、いつどこでどうやって死んだのかもわからなかったりする。往々にしてそれは他殺死体なのだが、殺された者の記憶、特に殺される寸前の記憶が、殺人事件の解明に大きく役立つのは言うまでもない。オリヴィアは自分をサイキックということにして、バビノー刑事に協力して事件解決に協力する。なんにしても実は既に死人だ。真相に肉薄して切羽詰まった真犯人に銃で撃たれても、平気なのだった。
「アイゾンビー」は「ウォーキング・デッド」同様、グラフィック・ノヴェルの映像化だ。どうやらゾンビはグラフィック・ノヴェルと相性がいいらしい。というか、すこぶる視覚的存在のゾンビは、グラフィック・ノヴェルやTV、映画等の視覚媒体と相性がいいということだろう。
番組の舞台はシアトルだが、撮影はカナダのブリティッシュ・コロンビアで行われている。近年、撮影費が安くで抑えられるカナダをアメリカに見立てて撮影するTVや映画が多い。何あろう前回書いた「リターンド」もその例の一つで、同様にブリティッシュ・コロンビアで撮影されている。ヴァンクーヴァー近辺がゾンビの生息地になりつつある。これはなにかの予兆か?