The Hurt Locker


ザ・ハート・ロッカー  (2009年7月)

イラクで軍の爆発物処理班で働くトンプソン軍曹 (ガイ・ピアース) はトラップにかかって戦死、代わって送り込まれてきたジェイムズ軍曹 (ジェレミー・レナー) は、一癖も二癖もある軍人だった。サンボーン軍曹 (アンソニー・マッキー)、スペシャリストのエルドリッジ (ブライアン・ジェラティ) の3人は、チームを組んで任務に当たる。いつ死ぬかわからない極限状態と常に隣り合わせの3人は、時に反発しながらも共同で任務を遂行していく‥‥


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この映画、ここへ来ていきなり脚光を浴びて猫も杓子も「ハート・ロッカー」、「ハート・ロッカー」なんて言っている。エンタテインメント・ウィークリーの批評欄を見てもほぼストレートAに近い評価で、少なくとも今年これまでで最も評価の高い作品であることは間違いない。マイケル・マンの「パブリック・エネミーズ (Public Enemies)」より評価されているのだ。これは気になる。


「ハート・ロッカー」はイラクで爆発物処理に従事している軍人を描く話だ。不発弾や時限爆弾、ブービー・トラップ等、爆発の危険性がある場合に呼び出されてその処理を任される爆発物処理班というのは、死と隣り合わせの前線の軍人の中でもさらに死が身近にいる。どう考えても普通の神経で務まるわけがない。


そのためこれを職務とする人間は、常人技ではない克己心を持ち、常に平常心を失わず、周りの者から尊敬を集めながら黙々と職務を遂行する軍人の鑑のようなトンプソン軍曹か、さもなければ捨て鉢でいつ死んでも構わないような態度で死と戯れながら、それでも腕とカンのよさは一流という一匹狼タイプのジェイムズ軍曹かの、どちらかのタイプになりやすいだろう。


つき合いやすいのは前者だろうが、この際それは腕のよさとはまるっきり関係あるまい。畢竟彼らに求められているのは、いざという時に無事爆発物を処理できる能力だけなのだ。それを遂行できるのなら、本人のキャラクター、人好きするしないは二の次の問題にしかなるまい。生きて明日を迎えることができないなら、人のキャラクターの善し悪しを云々してもしょうがない。


さりとてどんなに腕がよくても、この職務は一人では遂行できない。配線を切るというような単純な作業でも、後ろでサポートする同僚がいて初めて集中して実行に移せるのだ。したがって、どんなに一匹狼でもチーム内で意志の疎通を欠くと職務に支障が生じる。ちょっとした小さな齟齬が命にかかわるのだ。


むろんそのことはどの爆発物処理でもひしひしと感じられるのが、実はそれが映画の中で最も強く感じられるのは、爆発物を処理している時ではなく、砂漠の真ん中で敵と銃撃戦になり、持久戦になった時だ。「ザ・シューター (Shooter)」の冒頭で二人一組となった狙撃兵が標的を待っているというシーンを思い起こす。あるいは、二人一組ではなくとも、スナイパーの場合、真に求められるのは獲物が先にじれて動き出すのを待つ持久力だったりする。ジュード・ロウの「スターリングラード (Enemy at the Gates)」なんてのもあった。


ここでは遠く隔たった相手側とお互いに長距離狙撃同士の持久戦となる。こちらの狙撃が功を奏したようにも見えるが、誘いかもしれない。しびれを切らしてこっちが動き出したら、向こうの思うツボだ。いったん前方に動き出したら遮蔽するものは何もない。もしこれが罠だったとしたら、引っかかったら待っているものは死しかない。


それで炎天下のもと一人は双眼鏡で相手を注視し、一人はライフルを構えながら、ただ延々と待ち続ける。誘いだとしたら相手の方が先にしびれを切らして動き出すまで。罠じゃなければ相手の死が確認できるまで。唇は干涸びてからからだ。彼らも消耗するだろうが、見てるこちらも消耗する。


最近、新聞を読んでいたら、かなりの数のヴェテラン、つまり兵役経験者が精神に障害をきたしているという記事があった。「ハート・ロッカー」を見ると、そのことが素直に頷ける。いつ死ぬかもしれない緊張感、特に一瞬の判断のミスが死に直結する爆発物処理なんて作業は、やり続けていれば絶対どこかおかしくなるんじゃないかと思う。もしおかしくならないとしたら、そいつは最初からどこかおかしかったのだ。


演出はキャスリン・ビグロウで、よりにもよって女性演出家がいかにも男性的で、実際ほとんど女性が出てこない作品を演出している。前の「K-19」も、極限状態で作業する軍人を描いた作品だった。よほど極限状態に追い込まれている人間を描くのが好きなようだ。本人のインタヴュウをちょっと読んだのだが、戦争についての話だからこそ、女性の視点も必要なのだと言っていた。しかし何も知らずに「ハート・ロッカー」を見ても、単純によくできた戦争ものというだけで、どこが女性の視点なのか全然よくわからない。たぶんそれは便宜上のもので、本人は単純にアクションが撮りたいだけで、女性の視点云々というのはセールス・ポイントになりやすいから言っているだけなんじゃないかという気がする。さもなければ作品中にちゃんと軍人で女性の役も出すだろう。本当は女性なんかに興味はないのだ。


実際ここでは、一応ちゃんとセリフもある女性は、いったん仕事を終え国に帰ったジェイムズの妻コニーくらいだ。しかも彼女は当のジェイムズから、よくわからないがなぜだか一緒にいる女性、という感じでしか仲間に紹介されない。彼らにおまえは結婚して子供がいたのかと驚かれてしまうのだ。しかも帰郷したジェイムズとコニーとの間に会話なんかほとんどない。これでは戦争に関する女性の視点というよりも、ビグロウにあんたは女性全般に対してなんか恨みでもあるのかと訊きたくなる。


因みにコニーを演じているのはABCの「ロスト (Lost)」のエヴァンジェリン・リリィだが、彼女以外にもさりげなく結構大物が出ていたりする。まず、冒頭登場するトンプソン軍曹を演じているのはガイ・ピアースだ。特にここでの一瞬先が死と隣り合わせのトンプソンを演じるピアースは、一瞬前の記憶が欠けている「メメント (Memento)」でのピアースと陰陽逆の絵という感じがした。砂漠で出合う軍人の一人を演じているのはレイフ・ファインズで、他に好戦的な軍人にデイヴィッド・モースと、それぞれ特に出番が多いというわけでもないが印象を残す。


しかしもちろん、この作品は主人公のジェイムズを演じるジェレミー・レナーと、サンボーンを演じるアンソニー・マッキー、そしてスペシャリストのエルドリッジ に扮するブライアン・ジェラティの映画だ。レナーはこの間ABCで短命に終わったドラマ「ジ・アンユージュアルス (The Unusuals)」で見たばかりなのだが、「ハート・ロッカー」の方が断然いいと感じた。むろん「アンユージュアルス」はレナーの番組ではなく、主演のアンバー・タンブリンの番組であったため、それはしょうがない。因みに「アンユージュアルス」には、「ロスト」でリリィと共演していたハロルド・ペリノーが出ているなど、「ハート・ロッカー」みたいな極限のリアリズムを描いた作品と、奇想天外なSF番組「ロスト」に意外な接点がある。


ジェイムズに振り回される真面目型の軍人サンボーンを演じるのがマッキー、エルドリッジを演じているのがジェラティで、二人とも「マーシャルの奇跡 (We Are Marshall)」に出ているそうだが、アメフト映画を見る気には到底ならなかったため、よくわからない。


話はまったく変わるが、今、最初からカタカナ読みではなく、なんとはなしに「びぐろう」と仮名を入れて変換してみたら、「美愚弄」と変換された。思わず言い得て妙とはたと膝を打ってしまった。








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