放送局: ショウタイム

プレミア放送日: 5/10/2008 (Sat) 21:00-22:45

製作: ファースト・ルック・ピクチュアズ、キラー・フィルムス、オイル・アンド・ウォーター・プロダクションズ

製作総指揮: パメラ・コフィア、ジョン・ウェルズ

監督: トミー・オヘイヴァー

脚本: トミー・オヘイヴァー、アイリーン・ターナー

撮影: バイロン・シャー

美術: ネイサン・アモンドソン

音楽: アラン・ラザー

編集: メリッサ・ケント

出演: キャサリン・キーナー (ガートルード・バニシェウスキ)、エレン・ペイジ (シルヴィア・ライケンズ)、ヘイリー・マクファーランド (ジェニー・ライケンズ)、ジェイムズ・フランコ (アンディ)、ブラッドリー・ホイットフォード (リロイ・ニュウ)


物語: 1965年インディアナ州。カーニヴァル巡業で働いていたライケンズ夫妻は、シルヴィアとジェニーという年頃の娘二人を抱えていた。夫妻は教会で知り合ったガートルードが娘の世話を見てくれるという提案に乗り、週20ドルで娘たちをガートルードの元に預ける。しかしガートルードは身持ちがいいわけではなく、若いアンディが始終家に出入りしている上、彼女自身の子供たちも大勢いた。そのうちライケンズ夫妻からの送金が途絶え始め、ガートルードはお仕置きとして二人に体罰を加える。シルヴィアとガートルードの娘ポーラとの仲も些細なことからぎくしゃくし始め、ポーラの訴えによってガートルードのシルヴィアに対する扱いは悪化する。ガートルードは次第に堂々と子供たちの前でもシルヴィアに体罰を加え始めただけでなく、地下室に閉じ込めたり、子供たちにシルヴィアに体罰を加えるよう要求、面白がった子供たちは隣り近所の友達も呼んでシルヴィアに暴行を加え始める‥‥


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「アン・アメリカン・クライム」は、アメリカ史上最も凶悪な犯罪の一つと言われる、実際に起こった事件のドキュドラマだ。教会に通う、少なくとも一見ごく普通の家庭の主婦とその子供たちが、まだティーンエイジャーの女の子に拷問を加えて死亡させる。山の中の一軒家というわけではなく、すぐ両隣りにも一軒家が建つごく一般的な住宅地で、その子シルヴィアはいたぶられ続けて死んだ。作品は事件が発覚して首謀者のガートルードが裁判を受けるシーンから遡って、シルヴィアの受難を描いていく。


普通ならこういう作品、率先して見る気にはならないのだが、しかしよく見ると、顔ぶれがすごい。主演のガートルードに扮するのは、目立たない脇役を演じさせたら天下一品のキャサリン・キーナーで、そのキーナーが極悪非道の悪女に扮するというキャスティングはかなりそそるものがある。しかもそのキーナーのいじめにあって身体中擦り傷切り傷打撲にタバコの焼け跡、さらにはおなかに私は売女と焼け針で書かれて死んでいく女の子シルヴィアを演じているのが、今「ジュノ」で飛ぶ鳥を落とす勢いのエレン・ペイジだ。ガートルードの年下の愛人を演じるのはジェイムズ・フランコ、裁判における検察官をブラッドリー・ホイットフォードが演じているなど、かなり豪華な面々だ。ちょっと、これ、さり気なくかなりすごくないか。


もっともこの作品、放送こそ今になったが、製作は「ジュノ」以前だ。ペイジは「ジュノ」以前と後で人々に与える印象が陰陽逆転している。「ジュノ」以前で最も人に知られている作品というと、「X-メン: ファイナル・デシジョン (The Last Sand)」というのもあるが、やはり本気で人々に印象を残したのは、ちょっと怖めの「ハード・キャンディ」だろう。だから、「アメリカン・クライム」でシルヴィアをペイジが演じていることは、ちょっと考えるとむしろ当然の流れとも言える。ついちょっと前までは、可愛い顔で怖ろしい行動に走るということこそがペイジの売りだったのだ。


むしろ、やはり最も意外なのは主人公ガートルードを演じるキーナーだろう。キーナーは特に3年前、「ザ・バラッド・オブ・ジャック・アンド・ローズ」「ザ・インタープリター」「カポーティ」と矢継ぎ早に印象的な演技を見せ、私の印象ではその年を代表する女優だった。時期的に言うとそれらの作品の直後に撮ったのが「アメリカン・クライム」だったはずで、要するに最もあぶらが乗っているというか、きっとどんな役でもやりたかった、あるいはこなせる自信や野望のようなものがあったのではと推測する。実際、この役、最初は断ったのだが、あとで考え直して引き受けたそうだ。


ガートルードはその所業を文章で表すと、一言で言って鬼だ。ちょっとでも良心が残っている者なら、まずぜったいにやらないことをやっている。人でなし、鬼としか言いようがない。しかし、本当にそうなのか。もしかしたらそういう鬼の外面の内側に何か別のものが宿っていなかったか。だとしたら、その何かを表現できたらそれこそ役者冥利に尽きるというものではないか。もちろんこれは私の憶測に過ぎないが、しかしキーナーがそう考えたのはほとんど間違いのないことのように思える。鬼でありながらどこかに心の脆さやそうなるしかなかった業を抱え込んだ女。こういう役に対してこう言うのもヘンだが、いつもながらの一歩引いた、でしゃばらない、抑えた微妙な表情の変化でそういう女を表現しようとしている。うー、うまいけどやっぱりシルヴィアいじめが佳境になる後半は正視に耐えない。コカ・コーラのシーンは、本当にあったことなのだそうだ。


この事件、もしガートルードが一人だったなら起きなかったような気がする。何人もいる子供たちや、さらには近所の悪ガキどもが加わることで、つまり観衆が加わることでその目を意識してシルヴィアに対する暴行に加速度が加わった。しかもこれは一昨年のドキュメンタリー「ザ・ヒューマン・ビヘイヴィア・エクスペリメンツ」でも繰り返し述べられていたが、人は大人数になって指揮官が別にいると、善悪やしてよいこと悪いことの判断が棚上げされる。責任の所在が曖昧になると、人は平気で悪いことをするのだ。誰でも身に覚えがあるだろう。


それでも、それだけならまだここまで事態が悪化することもなかった。作品の中では実際、一時シルヴィアがまんまとガートルードの家から逃げ出すのに成功して実の親のところに身を寄せるのだが、そこで事態を重く見ていない親によって、またガートルードの元に帰されてしまう。親も親だが、なぜそこでシルヴィアは言いなりになってガートルードの元に自分の足で戻っていってしまうのか。これまた自分で自分をガートルードの奴隷のように思い込んでいたふしがある。また、シルヴィアにはジェニーという妹もいた。ジェニーもやはり暴行を受けていたとはいえ、それはシルヴィアほどひどいものではなかった。ほとんどの責め苦はシルヴィアが一人で負っていた。そのためジェニーはかなり行動の自由があったのだが、しかし彼女もそこから逃げ出すことなく、救いの手を求めに行くこともなかった。


シルヴィアが死亡するシーンは作品では描かれていないが、現実の事件ではそこでガートルードが警察を呼んだことですべてが発覚する。これまた杜撰というか、何も考えていない行為というしかない。シルヴィアは暴行を受けすぎて死んだのであり、不審死ということで解剖されれば、暴行を加えられたことは一目瞭然だ。ちょっと頭を働かせれば、少なくとも死体がここで発見されるのは得策ではないくらいのことは誰だって思いつくだろう。現場にはジェニーもおり、彼女が警官にすべてを打ち明けたことで、その場で全員一斉に逮捕されたのだという。所業の残虐さとその後の反応の杜撰さのあまりの乖離にあきれるくらいだ。


演出は、アン・ハサウェイ主演の「エラ・エンチャンティド (Ella Enchanted)」や、キルステン・ダンスト主演の「恋人にしてはいけない男の愛し方 (Get Over It)」等のロマコメで知られるトミー・オヘイヴァーで、また今度はへヴィなものを、と思ったら、彼はこの事件が起きたインディアナ州出身なのだそうだ。とはいえ彼が生まれたのは事件の起きた3年後のことであり、彼が物心つくまでさらに時間がかかったろう。たぶん基本的に内陸の閉鎖的な田舎町であるあの辺では、その後もこの話がずっと語り継がれたに違いない。そのためオヘイヴァーの心に強い印象を残したのだと思われる。


「アメリカン・クライム」は元々は劇場公開を睨んだ商業用映画として昨年サンダンス映画祭に出品され、かなり物議を巻き起こしている。さもありなんと思う。ホラーならホラーと知っていれば見る方もそれなりに心構えができるが、こういう実話だと、どんなに心理的に怖くてもキャーッといって目をつぶってあとで笑ったり反芻したりもできない。ただただ怖さが重くのしかかってくるだけだ。それなりに反響があったはずのこの作品が結局公開されないままお蔵入りとなり、ショウタイムでTV映画として放送される経過を辿ったのも、内容を考えると頷ける。たとえどんなに話題になろうとも、この作品を配給しようと考える配給会社はいなかったに違いない。


さらに実は同時期に、もう一本、この話に題をとった作品、「ザ・ガール・ネクスト・ドア (The Girl Next Door)」が製作されている。こちらの方はドキュドラマというよりも、この話をネタにホラー作家のジャック・ケッチャムが20年前に書いた本を映像化したものだ。むろんこれも劇場公開されてなく、「アメリカン・クライム」関連の資料を漁っててたまたま見つけた。どうもこの事件、実は多くのアメリカ人の心の中に深い傷を負わせたようだ。




追記 (2011年7月)

実はこの記を書いて後、何人かからメイルをもらった。それが皆同じ内容で、私が書いた


「 一時シルヴィアがまんまとガートルードの家から逃げ出すのに成功して実の親のところに身を寄せるのだが、そこで事態を重く見ていない親によって、またガートルードの元に帰されてしまう。」


というのは事実なのですか、作品にはそういう描写はありませんが、というものだった。いえ、作品の中に描かれていることですが、と返事していたのだが、さすがに何人もの人から同じ内容のメイルを貰うと気になる。


それでたまたまTVで再放送される機会があったので見直してみた。既に記憶はおぼろだが、後半、ちゃんとシルヴィアが親に会いに行くシーンもある。


しかしその後からなにやら雲行きが変わってきて、シルヴィアは親によってガートルードのところに帰されるのではなく、シルヴィアが自分からけじめをつけるために自ら戻るのだ。さらに、ガートルードの家に戻って来たシルヴィアは、そこで息絶える自分自身を見つけ、そして消えていく。要するにこの部分は、すべて息絶えるシルヴィアが死ぬ間際に見た幻だったのだ。「シルヴィアが死亡するシーンは描かれていない」って、これがそのシーンじゃないか、と思わず自分自身で突っ込み入れた。


私がこういうカン違いをしたのは、もう、あまりに痛々しいシルヴィアをこれ以上見る気になれなくて、録画しておいた番組を後半を早回しでところどころ飛ばして見たせいだ。シルヴィアが親と会っているシーンとかは見てても、自分を見下ろすシルヴィアが消えていくという決定的なシーンを見逃しているために、こういうカン違いを起こす。実際、この辺は見ている時の気分をよく覚えているが、もう、早くこの番組終わって欲しかった。TV画面じゃなくて床を見てた。


いずれにしても、いくらなんでもこれじゃまずいと思って全部書き直そうと思ったのだが、いきなり内容変わって、以前この文章を読んだことがある人がまた来て読んで話が違うと怒ったり、よけい混乱する可能性も捨て切れない。それでこういう風に追記として記すことにした。私の書いた文章を読んで、混乱してしまった人、ごめんなさい。私のミスです。









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An American Crime


アン・アメリカン・クライム   ★★1/2

 
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