ジーンを失った心の痛手からまだ立ち直ることのできないサイクロップス (ジェイムズ・マースデン) だったが、その傷心のサイクロップスの前に復活したジーン (ファンケ・ヤンセン) が再び現れる。彼女の秘められた力はゼイヴィア (パトリック・スチュワート) やマグネト (イアン・マッケラン) の予想すら超えており、力を抑えきれないジーンはサイクロップスだけでなく、ついにはゼイヴィアまで結果として殺してしまう。マグネトはジーンを懐柔し、彼女を擁して新しいミュータント世界の構築を構想する‥‥


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「X-メン」はアメリカでは人気がある。非常に人気があるのだ。よく話題になるしマスコミも取り上げるから、ふうん、人気があるんだなとは思っていたが、それでも、アメコミにそれほど入れ込んでいるわけではない私にとっては、まあ、話題作だし、前作2作とも見てて続き気にならないこともないし、アクション面白そうだから見てみようかな、くらいの気持ちでしかなかった。結局それで第1作の「X-メン」の時は、余裕持ちすぎて初日切符を買えなかったりしている。


そういう経験もしているため、今回は最初からわざわざ車を使って、12館中の3館を使って上映している郊外のマルチプレックスまで出向いたのに、それなのに、我々が切符を買おうとすると、なんとタイム・テーブルには無情にも「Sold Out」の文字が点滅している。信じられない。売り切れ? 売り切れなの? 本当に? 車がないと来れないこんな場所で? と、ほとんど自分の目が信じられない。土曜の昼過ぎだぜ。若者がデートするにも早すぎるんじゃない? いったいどんな暇人が週末のこんな時間から映画なんか見にきてんだ、と、自分のことは棚に上げて憤慨する。


特に「ファイナル ディシジョン」の場合、シリーズ最終作ということもあって、人々の気合いが入っていたようだ。おかげで翌日、また仕切り直して見に行かざるを得なかった。肌で受ける感じでは「スパイダーマン」よりも「バットマン」よりも「スーパーマン」よりも、「X-メン」の方が人気が高いという感じを強く受ける。


今回の「X-メン」は、メンバーの中でこれまでは縁の下の力持ち的な役柄ながら、実は最も能力が高かったという設定のジーンが、前作でヒロイックに死んだはずなのに生き返って、マグニトに操られて悪の側に落ちるというのがメイン・プロットだ。いったん死んだはずの人物が生き返ってきたりするのは、それこそなんでもありの日中のTVのソープ・オペラにありがちの設定で、私にとってはこういうご都合主義の展開はまったくマイナス材料以外の何ものでもない。もしジーンが復活するというプロットを事前に知っていたら、もうそこで完全に興味は失せてこの作品を見ることはなかったろう。原作でもジーンは一度死んで復活する (そうかだから彼女はフェニックスという別名があるのか) ことになっているのだそうだが、そういうことを事前に知ってなくてよかったのかどうか。


そして別人となって復活したジーンによって、恋人のサイクロップスが冒頭でいきなり殺されてしまうのは、こちらの方は作劇術としてはいかにも当然で、なるほどこうやってサイクロップスを削除したのかと納得する。目から光線を発するサイクロップスは、X-メンの中にあって最も異質で、彼がいることが話をぶちこわしにする可能性を常に秘めていた。彼が活躍すればするほど、まるで怪獣映画でも見ているような違和感を受けるのは作り手だってわかっていたはずで、この男はどうにかしないとと思っていたはずだ。原作でもそうやって死んだのかは知らないが、そもそも最初から彼はメンバーの中の鬼子としてしか機能していなかった。


もう一人、メンバーの中で最も異能力を持っているのは、基本的に力を発揮する時には逆に自分自身は動かずに立ち止まっている場合の多いX-メンの中で、一人だけ能動的に走り回るウルヴァリンなのだが、彼がそういう設定でも活躍できるのは、もちろん彼が主人公であるからに他ならない (もちろんミスティークという存在もいるが、彼女は最初から脇というキャラクター設定だからなあ。)


一方私は、今回の話の核となるのは、受け身的な能力を持つ者の多いX-メンの中でも、相手の力を吸い取って自分のものにしまうという究極の利己主義能力を持つ、ローグになるものだとばかり思っていた。彼女は話の膨らませ方次第でどんな活躍でもさせることができる。特に彼女に恋愛を絡ませると、それが簡単に成就しないことがわかりきっているだけに、面白いドラマを提供してくれるのは間違いない。そしたらこちらの方は、私の予想とはまるっきり違って、ローグは今回もほとんど無視された。要するに彼女を核とすると、完全に主人公のウルヴァリンが霞まざるを得ないことがネックになったのだと想像する。


また、その一方で今回は、相手の力を吸い取るのではなく、無力化することのできる能力を持つ少年リーチが登場する。彼がいるとX-メンやその他のミュータントの能力がすべて無に帰してしまうため、究極のアンチX-メン最終兵器のような描かれ方をしているのだが、もちろんこれは話をすり替えているだけに過ぎない。別にリーチという存在に脅かされなくとも、それよりも強力に同等以上の影響を与えるローグという存在をわざと棚に上げている。それはそれとして、そのリーチを演じているのが、「バース」の不気味坊やで、今年「サンキュー・フォー・スモーキング」でも印象を残したキャメロン・ブライトというのがいかにもだ。


今回の演出は、前2作のブライアン・シンガーに代わってブレット・ラトナーが担当している。そのことも関係しているだろうが、「ファイナル ディシジョン」は、前2作にも増してアクション重視という印象を受ける。話としてはますます奇想天外でとりとめがつかなくなってきたような印象を受けるが、アクションとしてはやはり面白い。特に今回は、前回まで話の核となっていた、動けないゼイヴィアが途中でいなくなってしまうこともあって、生身のアクションが増えたという印象がある。基本的にX-メンはウルヴァリンとミスティーク以外は自分から動くことは少ないのだが、それでもパトリック・スチュワートの印象は強かったのだと改めて気づく。一方、悪役に回るイアン・マッケランがそれを補ってあまりある活躍を見せている。あんた、先週も「ダ・ヴィンチ・コード」でそういう役をやっていたばかりじゃないか。あの歳で忙しいよなあ。


元々寄せ集めミュータント・スーパーヒーロ集団であるX-メンの能力に科学的裏づけを求めようとしてもいけないわけだが、しかし、今回は前2回にも増して突っ込みどころが満載である。その中でもリーチを研究することによって開発した、ミュータントを無力化する薬なんていうのは、一見して最も噴飯ものに見える。こういう薬が開発できるならば、自由にミュータントを生み出せる薬も開発されてないとおかしい (まあ薬ができているわけじゃなくとも、そういう実験はされていたわけだが。) しかし、実は実は、「ファイナル ディシジョン」の到底認め難い最大の言語道断プロットは、本編が終わった後にやってくるのだ。



(注) 以下ネタばれ大


この種の大量にCGを駆使する作品はエンド・ロール・クレジットが膨大な長さになるので、いくらなんでも最近は何分間もただただ人の名の羅列が終わるまでスクリーンを見続けることはない。そのため当然、今回も一応クレジット・ロールが流れ始めたところで席を立ったわけだが、実はその後、付け足しのようなエピソードがあって、ジーンによって跡形もなくこの世から消滅させられたはずのゼイヴィアが実は生きていて、ストームとウルヴァリンが彼を病院に見舞いにいくというシーンがあるのだそうだ。


私はこれを女房の同僚の女性から又聞きしたのだが、その女性曰く、こないだジェイ・レノの「トゥナイト」を見ていたら、ハリー・ベリーがゲストに出ていて、エンド・ロールが終わった後もサプライズがあるから見てねと言っていたらしい。そのためその女性は、普段アメリカ人ならまずしないことだが、最後まで席に座ったまま辛抱強く待っていたわけだ。むーん、最近はこの時間帯は裏番組のCBSの「レイト・ショウ」を見ることが多いから、それは知らなかった。


いずれにしても、しかし、これは声を大にして言わせてもらうが、こいつはいくらなんでも反則過ぎる。はっきりと卑怯だ。エンド・ロールに入る直前の、薬を打たれて力を失ったはずのマグニトがそれでもチェスの駒をテレキネシスで動かすという幕切れでさえ既にB級、いやC級に落ちたと思ったのに、これではいくらなんでもひどすぎる。ちょっと、正直言って腹立ってしまった。これで終わりのはずの「X-メン」シリーズが今後もまだまだ製作される布石を打っておいたということだろうが、こんなのは一切認めない。今から明言しておくが、今後誰が監督しようと、もう「X-メン」シリーズは見ない。絶対見ない。






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X-Men: The Last Stand   X-Men ファイナル ディシジョン   (2006年5月)

 
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