国連で同時通訳を勤めるシルヴィア (ニコール・キッドマン) が忘れ物をとりに夜、通訳ブースに戻ると、切り忘れていたヘッドフォンから誰かの囁き声が漏れ聞こえてきた。アフリカのクー語で囁かれたその声は、国連で予定されているマトボ国のズワニ大統領暗殺の計画だった。シルヴィアはセキュリティに連絡、シルヴィアの身辺も危ないとされ、シークレット・サーヴィスのトービン (ショーン・ペン) とドット (キャサリン・キーナー) がその任に当たる。しかしシルヴィアは彼女自身にも秘密の過去があった‥‥


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いまだに引く手数多のキッドマン、ちゃんと半年に一本は主演作が公開される。しかも昨年末の「バース」のようなインディの実験作っぽい作品の後は今回の「インタープリター」のようなハリウッド大作が交互に公開されるところなんか、ちゃんと出演作も選んでいる。しかしキッドマンの偉いところはそれだけでなく、それらがすべて人に見たいと思わせる作品であるところにある。


キッドマンが美人であることに異議を差し挟むつもりはまったくないし、やっぱりああいう綺麗な顔をスクリーンの上で見るにこしたことはないと当然思ってはいても、だからといって私は別にキッドマンの熱烈なファンというわけではまったくない。ファンかそうでないかと訊かれるなら、私はむしろキッドマンよりティルダ・スウィントンのファンであり、スウィントンが出るなら作品がなんであろうと公開されれば見に行くが、キッドマンが出るから作品を見に行こうとはまるで考えていない。見たい作品にキッドマンが出ているだけの話である。要するにその辺が女優として作品を選ぶことのできるキッドマンの実力でもあり才能でもあるんだろう。やはり彼女が出ているということが見るものを選択する時のなんらかのプラスとして作用しているのかもしれない。


いずれにしても「インタープリター」は、キッドマンのあの美しい顔なくしてはまったく別の作品になってしまったろうと思う。「バース」で、キッドマンは黒髪短髪が断然いいと断言しても、「インタープリター」でブロンドの髪が軽くなびいて目の前を覆うところなんか、やっぱり、あの綺麗さはいったい他の誰が真似できるんだと思ってしまう。結局美人は何やっても人より様になる。美人の上に可愛くて性格よさげで根性あるとなれば、やはり人はほっとかないのであった。


今回キッドマンはアフリカのマトボ国生まれで、クー語という言語を解し、その通訳として国連で働いているという設定になっている。もちろん現実にはアフリカにはそういう国はないし、クー語なんていう言語もない。しかし、いかにもその辺の言葉のような発音で身振り手振りをまじえられると、本当にそのような言葉があってもおかしくないような気になる。あるいは実際にアフリカ出身だと、逆に嘘の言葉というのがはっきりわかるために逆に鼻につくかもしれない。アフリカーンスあたりでごまかそうとは考えなかったようだ。


キッドマンの護衛を務めるトービンを演じるのがショーン・ペンで、最近ではいつも通りの苦虫を噛み潰したような、世界中の不幸を一身に背負ったような表情を見せて演じている。実際その境遇は、妻に逃げられ、それでも忘れることのできないその妻が交通事故で死んだばかりだが、仕事人間のトービンはほとんど喪が明けるか明けないかのうちに仕事に復帰してくるというもので、最近、ほんとに不幸な役ばかり。大昔、能天気なギャグ系の人間ばかり演じていた反動か。そのペンの相棒ドットを演じるのがキャサリン・キーナーで、どちらかというと「ザ・バラッド・オブ・ジャック・アンド・ローズ」で見せたような、いかにも普通の人を最もうまく演じると思うが、こういう役も悪くない。思ったよりも役幅広そうだ。


「インタープリター」は国連内部に初めてカメラが入ったということで喧伝されていたりするのだが、そのことが臨場感を盛り上げているかというと、実は、ほとんど関係者以外見たことがなかったり、内部見学をしたことのない私のような人間にとっては、本物を見せられようがそれがセットだろうがわかるわけがない。つまり実際に国連内部を撮っているからそれがオーセンティックな味わいを増すことに貢献しているかというと、よくわからないとしか言いようがない。逆に結構狭苦しいとかちゃちいと感じるところがあるのは事実で、それが現実というものだろう。あるいはそれがオーセンティックというものか。


私としてはそういうことよりも、見慣れている外観を、空撮やらなんやらで普段見たことのない様々な角度から見せられることの方がより面白く感じる。あるいは、見慣れた角度から見慣れた国連の建物が何倍もの大きさでもってスクリーンに現れることの方をよりエキサイティングに感じる。従って、国連内部よりも、すぐそばの公園のシーンだとか、たぶんルーズヴェルト・アイランドから見る国連ビルだとか、あるいはズワニ大統領が国連演説に向かう時、JFK空港から来たのか知らないが、それでも、だったらたぶんLIEかトライボロ・ブリッジ経由でマンハッタン入りしそうなものを、私がいつも利用している通行無料のクイーンズボロ・ブリッジをわざわざ通らせたのは、当然そこのアッパー・デッキが空撮向きだったからだろうが、クイーンズ側からアッパー・ブリッジに乗る時には、まずきつい右カーヴを曲がって、そして今度はきつい左上りカーヴで、それを曲がりきると頭上が開けて前方にマンハッタンの摩天楼が見えてくるという、そのいつも通り慣れている道がスクリーンに現れることこそが最も興奮させるのは私がミーハーだからか、でも、やはりそれこそが最もドキドキさせるのであった。それでも、普段見慣れている光景ではっとさせることができるというのは、さり気ないが計算された撮影にあるのももっともで、たぶん撮影のダリアス・コーンジーも預かって力になっているに違いない。


本当のニューヨークという観点で見ると、全ニューヨーカーがこれだけはあり得ないと口を揃えるであろうと思われるのが、シルヴィアがヴェスパを路上に留めておくというシチュエイションである。もう、断言するがそれだけはあり得ない。賭けてもいいが、シルヴィアが住んでいるような人通りもそれほどなさそうな場所なら、一週間もしないうちにバイクは盗まれてしまっているだろう。よほどのことがない限り、ニューヨークでは深夜、人通りのない路上に留めてあるバイクを見る機会なぞないのだ。私としては、見ても本当か嘘かわからない国連内部より、絶対あり得ないこういう状況設定をなんとかしてくれと思った。


とまあ眉唾ものの設定もあるのだが、一方、手に汗握らせられたのが、それぞれ別の人間を追っていたシークレット・サーヴィスとその標的が全員同じバスに乗り合わせるというシークエンスで、本当ならこういう設定こそあり得ないというのだろうが、それでもこちらには完全に乗せられた。「スピード」以来バスが最も緊張感溢れる乗り物として登場したシーンだろう。要するにバスが乗り物として緊張感を増すのは、そのスピードではなく、乗客の数によるのだ。あるいは、その遅さを徹底させるか (「ガントレット」)、あるいは逆に無理にスピードを出そうとする時 (「スピード」) と言えるか。むろんここでは前者であることは言うまでもない。それにしてもあの青二才の彼はいい味出していた。


監督のシドニー・ポラックは、定期的に見ていると思っていたんだが、前作の「ランダム・ハーツ」を見ていないため、実は95年の「サブリナ」以来、ポラック作品を見るのは10年ぶりだったと知って驚いた。ところで英語のグラマーに倣うならば、既に邦題が決まってしまったようであるタイトルの「ザ・インタープリター」は、「ジ・インタープリター」となるべきではないだろうか。実際の問題として、本当にアメリカ人全員が会話の時に定冠詞が母音の前にあるか子音の前にあるかで発音を変えているかというと、必ずしもそうとは言えないというのはアメリカに住んでみると気づく事実ではあるが、しかし、最初から堂々と「ザ・インタープリター」と言ってしまうのはまずいような気がする。勝手に複数形を単数にしたり、あるいは勝手に定冠詞をとったりつけたりするよりも罪が重いような気がするのだが‥‥






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The Interpreter   ザ・インタープリター  (2005年4月)

 
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