放送局: サンダンス/コートTV

プレミア放送日: 6/1/2006 (Thu) 22:00-23:00

製作総指揮: リン・カービー、ローラ・マイカルチシン

脚本/製作: アレックス・ギブニー

ナレーション: デイヴィッド・ストラザーン


内容: 人間の行動原理を調査した3つの著名な研究に再度焦点を当てると共に、現代の事件と照らし合わせて再検証する。


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1960年代から70年代にかけて、アメリカでは人間の本質を見極めるために、社会や権威に対する一人の人間という立場で人間がどう行動するかを調査した研究が行われた。特に戦争のような非常時に顕著だが、いざとなると、これまでは理解ある一市民として誰からも親しまれてきたような人間が、突如として嬉々として殺戮に手を染めるようになってしまう。あるいは善良な一般市民が、苦しんでいる人間を平気で見殺しにするようなことが起きる。これはなぜか。


一方で、社会という枠組みの中で、人は平気で自分の身を危険な場所にさらす。病気になった場合に、医者や看護人に対して無防備に裸体をさらしたり、それこそ身体にメスを入れられたりするのは、ほっておくとさらに状態が悪くなるからだろう。しかし床屋に行くと、男性のほとんどは無防備に初対面の相手にのどぼとけをさらして、研いだばかりのナイフで髭を剃らせている。ちょっと手がすべっただけで死ぬ可能性すらあるのにだ。自分が楽をするためにしては、確かに考えたらあまりにも危険すぎるかもしれない。


ある一定の条件下になると、なんでこんなに簡単に人は自分の命を人の手に任せたり、あるいは人の命を奪うということが可能なのだろうか。社会というシステムや権威には人は簡単に盲従してしまう嫌いがあるようだ。特にその道の権威、あるいは信頼されている人間が人に対して命令や指令を下すと、ほとんどの人間が唯々諾々としてそれに従ってしまう。つまり、たぶん、自分では何も考えずに人の言うことにただ従って行動することが楽だからではないか。


番組は、そういう人間性の解明に焦点を当てた研究として知られている3つの主要な実験と、現代の同種の事件を並列にとらえ、人間性の本質を浮き彫りにする。番組製作/監督は、「エンロン: ザ・スマーテスト・ガイズ・イン・ザ・ルーム (Enron: The Smartest Guys in the Room)」のアレックス・ギブニー。ナレーションのデイヴィッド・ストラザーンは、昨年の「グッドナイト&グッドラック」の好演で起用されたんだろう。


3つの主要な実験とは、1962年の、エール大学のスタンリー・ミルグラムによる、権威の命令に対する人々の反応を調べた「電気ショック」実験、1969年にコロンビア大学で行われた、ある特定のグループにいることによる道徳責任解体実験、そして1971年の、スタンフォード大学のフィリップ・ジンバルドによる「看守」-「囚人」ロール・プレイだ。このうちミルグラムが指揮した権威服従実験と、ジンバルドによるロール・プレイは、単に有名というよりは、その実験がもたらした後味の悪さでとみに悪名高い。


ミルグラムは、特にナチスがなぜああも非人間的な所業ができたのかということに興味を持った。人は権威からの命令に弱く、いったん命令が降りると、それがどんなに非人道的なことであろうとほとんど盲目的に指令に従ってしまうと考えたミルグラムは、被験者Aを電気ショック・ボックスの前に座らせ、そのスイッチを入れることで、別室の被験者Bにショックを与えるという実験を行った。ボックスにはいくつものスイッチがあり、右に行くに従ってだんだん流れる電流が大きくなるようになっている。


実は被験者Bは研究者とグルなのだが、被験者Aはそのことを知らない。被験者Bが四者択一の問題に間違える毎に、被験者Aは被験者Bに対し電気ショックを与え、しかも間違える度に、与える電気ショックの電流量を大きくしていく。もちろん被験者Bは問題に誤答し続け、被験者AはBに対して電気ショックを与え続ける。最初は少量の電流だったものが段々大きくなり、最後の方はほとんど電気椅子的な途方もないものになる。


Aの耳には、電気ショックを与えるたびにBが上げる悲鳴が聞こえてくるのだが、研究者が、かまわないから続けてくれと要請すると、Aは首を振りながらも電気ボックスのスイッチを入れ続けるのだ。事前にBは心臓が悪いと聞かされているのにもかかわらずである。この研究では、なんと60%以上もの被験者が途中で自分の意志によって辞めることなく、最後までスイッチを入れ続けたそうだ。つまり、自分が責任をとる必要がなく、それがある権威からの要請である場合、人はそのことを受け入れ、ただ要請や命令に盲従する。その時にモラルや自分の判断といった正常な思考は完全に棚上げされる。要するに、ナチの兵士がとった行動がまったくそれだ。


一昨年、ケンタッキー州のマクドナルドでまったく同様のことが起き、大きなニューズになった。警察を名乗る者から電話があり、従業員が金をネコババしているから調査しろと言われた店長格の男は、顔も見えず素性もよく知らない男からの指示に従って、女性従業員を別室に呼んで服を脱がせて調べただけでなく、おっぱい丸出しのまま体操させたりした挙げ句、その従業員にオーラル・セックスを要求してしまう。さらに驚くべきことに、学校では成績もよいというその女の子が、盗みの罪をかけられることを怖れ、その命令に従ってしまうのだ。これらの一部始終を店内に設置された防犯カメラがとらえていた。その後の調べにより、同様の被害を受けたファスト・フード店が70件にも上ったことが判明する。人は権威に弱く、社会における自己のポジションからは簡単に逸脱できないということを知らしめた事件だった。


また、1964年、ニューヨーク、クイーンズのキュー・ガーデンというところ (私の住んでいる町の隣りだ) で、キティ・ジェノヴィーズという29歳の女性が何者かに襲われて刺されるという事件が起こった。深夜ではあるが彼女の悲鳴は近所中に響き渡り、何事かと起き出した者もいた。結局、逃げ惑う彼女を目撃した者は38人いたという事実が後で判明するが、その中の誰一人として警察に電話したり、外に出て状況を確認したり彼女を助けようとしたりした者はいなかった。ようやく誰かが救急車を呼んだ時には既に手遅れで、彼女はまもなく息を引きとった。


目撃者が多かったことが逆に誰も行動を起こさなかった理由になったのではないかと考えたコロンビア大学の若い研究者のビブ・ラテイン、ジョン・ダーリーらは、ある実験を試みる。たとえば、被験者を一人だけ部屋に入れた後で、ドアの隙間から部屋の中に煙を充満させる。すると一人だけの時は被験者はすぐ部屋を飛び出て関係者に事態の急を告げるのだが、部屋の中に同時に3人の被験者を入れて煙を充満させると、被験者同士で顔色を窺ったまま、誰も何の行動も起こさないのだ。


あるいは、街中でいきなり人が倒れても、誰も何の関心も示さずそのままそばを通り過ぎていくというのは、現代に生きる者なら誰でも多かれ少なかれ似たような経験をしているだろう。私だってそうだ。街を歩いていて道端で人が寝ていても、ホームレスかとしか思わず、気にも留めないだろう。つまり、ある事柄に関する人々の関心とか善意、あるいはモラル、責任感といったものは、関係者/目撃者が多くなればなるほど薄れていき、どうせ他の誰かが何かしてくれるだろうと考えるようになってしまう。


そして1971年、この種の人間性を確認する実験として最も悪名高い、フィリップ・ジンバルドの「看守-囚人ロール・プレイ」実験が行われる。学内で1日15ドルという条件で募集した男子学生たちをそれぞれ看守と囚人という役割に分け、こういう社会的な烙印を捺されることが彼らの行動にどういう影響を与えるかということを調べるものだ。条件をより正確にするために、学内に本物の刑務所を模したセットを組み、看守は看守らしくするために制服を着せ、ホイッスルや警棒を持たせ、ミラー・サングラスをかけさせた。一方の囚人の方は、より囚人的な気分を味わわせるために、近くの警察の協力を仰ぎ、最初に本当の警官がやってきて囚人役に手錠をはめ、囚人服に着替えさせられた後、足枷をはめられ、牢に入れられた。


それでも、最初は単なる演技に過ぎなかったものが、だんだん虚と実の境い目が曖昧になってくる。看守の一人が本気で囚人に対して統制をとり始め、命令を聞かない囚人に対して消火器を浴びせかけたり、虐待し始めた。他の者もそれに追従し始める。看守は増長しはじめ、一方、囚人は萎縮する。昨日まではほとんど隣りのデスクで授業を聴いていた仲間同士だったはずの者たちが、一方は虐待し、一方は虐待される側に回る。


4日目、囚人の一人の神経が衰弱してこれ以上実験に耐え続けていくことができず、ドロップ・アウトする。5日目、6日目と、さらに脱落者が増える。彼らは意味もない言葉を喋り続け、ほとんど人格は崩壊寸前だった。そういうところへ、その時のジンバルドのガール・フレンドが様子を見に訪れる。彼らの実験にショックを受けたガール・フレンドは、ジンバルドに向かって、科学のためとかいう名目でこういう実験を続け、人の人格を崩壊させて平気でいるあんたの方がよほどヘンだ、いったい何様のつもりなんだ、頼むからやめてくれと泣きながら懇願する。


ほとんど我を忘れるほどこの実験にのめりこんでいたジンバルドたちは、その一言で我に返る。本当にその通りだ。オレはいったい何様なんだ? ジンバルドは、その言葉を聞き入れ、実験をやめる。当初2週間の予定で始まった実験は、1週間も経たぬうちにキャンセルされた。あまりにもショッキングかつ有名なこの実験は、その後ドイツでこの実験を題材にした映画「エス (The Experiment)」が製作されているから、聞き覚えのある者も多いだろう。


そして先頃のイラクに米軍が建てたアブ・グレイブ刑務所において、まったく同様のことが起こったことを覚えている者も多いはずだ。捕虜として捕らえたイラク軍兵士の手足を縛り、素っ裸にして首縄をかけ、犬のように引き連れて回り、カメラに向かってピース・サインを出していたリンジー・イングランドの笑い顔は、記憶に焼きついて簡単には忘れられそうもない。これとまったく同様のことが30年以上も前にスタンフォード大の実験室で起こっていたのであり、看守が囚人に対して行うことも、気持ち悪いくらい判を捺したようにそっくりだ。服を脱がせ、手足を縛り、頭からすっぽりと茶色の紙袋を被せるという行為が、囚人の人格の否定に結びつき、いともかんたんに人格は崩壊する。怖ろしいのは、たぶん誰に聞いたわけでもないだろうに、看守側に回る人間が本能的に同じことをするということだ。


結局、人間は自分で思っているほど自我なんて強くない。平均的で良心的な人間が、ある特定の状況に投げ出されると、平時からはまったく信じられない行動を平気でとるようになる。あるいは、別の言い方をすると、場に流される。たぶんこれは、そういう風に行動することが保身に役立つため、そうするべくDNAの中に最初からインプットされているのではないかという気がする。一人の個人として見ると誉められたものではないが、弱肉強食、自然淘汰という観点から見ると、そうやって要領よく生き延びていく方が、血の継続という点で理にかなっている。つまり、利己的という見方は、より大きな視点から見ると利己的でもなんでもない。逆に、ほとんど滅私奉公的に来たるべく子孫のために頑張っているのだとすら言える。しかし、自分もそういう環境下に置かれるとそういう行動をとるなんてことは、やっぱりあんまり思いたくないね。





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The Human Behavior Experiments


ザ・ヒューマン・ビヘイヴィア・エクスペリメンツ   ★★★

 
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