放送局: シネマックス

プレミア放送日: 7/17/07 (Tue) 18:30-20:15

製作: ニューヨーク・フィルムス

製作: カタリーナ・オットー-バーンスタイン、ペニー・CM・スタンキーウィッツ

脚本/監督: カタリーナ・オットー-バーンスタイン

音楽: ミリアム・カティエ

出演: ロバート・ウィルソン


内容: 前衛舞台演出家のロバート・ウィルソンの業績を回顧する


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私はあまりダンス、ブロードウェイ、演劇等の舞台ものを得意とはしていない。興味がないわけではないが、これらの生の舞台ものは、それに合わせてこちらの生活を調節しなければならない。ある特定の時間に必ずどこそこにいなければならないといった制約もそうなら、金もバカにならない。自分の生活の中に取り込むのではなく、自分の方からそちらの方に合わせなければならないのだ。ちょっとそこまでの情熱も金も体力もないというのが本当のところだ。


一方、TVや映画の場合だと、これらはかなりこちらが好きなように観賞できる。TV番組なら録画しといて好きな時に見ればいいし、生番組に合わせて早く家に帰るというのも、たまにならイヴェント性があって逆に楽しい。映画だって毎日何回も上映するわけだし、その中で自分の都合のいい日、時間に劇場まで足を運ぶのは、むしろ積極的に楽しい理由の一つになる。


また、一回こっきりでもそれがイヴェント性の高い公演、特にスポーツ観戦や音楽コンサートだと逆に盛り上がりもするのだが、問題は舞台、特に演劇だ。向こうも生身の演劇では、今現在、自分の見ている舞台が最上のものであるかという保証はどこにもない。始まるまでは演じる者だってわからないし、終わってからも明確に判断を下せるかは疑問だ。役者の体調で演技は変わってくるだろうし、見る者の反応によっても舞台は変わってくるだろう。さらに観客席のどの位置で見るかによっても印象は異なるはずで、かぶりつきと二階席ではまったく違う印象を受ける可能性すらある。この角度からは見えなかったものが、別の角度からは見えたりもするからだ。


というわけで、演劇にはまった場合、あとが怖ろしい。一つの舞台を十全に把握したいと思うならばできうる限り全部の舞台を見ざるを得ず、しかもそれでもたぶん充分ではない。もしかしたら次の公演はもっとできがいいんじゃないだろうかと考え始めたら、何度見てもまた見たくなるに違いなく、そういうのにかける金、情熱、時間を考えると空恐ろしくなる。いつでも見れて10ドルで別世界を味わわせてくれ、劇場の設備が多少異なる以外はどこでも安心して同じものを見れる映画、ほとんどただ同然でうちで寛いで見れるTVと比較してみた場合、一般的な怠惰な消費者はやはり映画やTVの方を好むと思う。当然私もその口だ。


そういう私にとって、「アブソルート・ウィルソン」で取り上げられている前衛舞台演出家のロバート・ウィルソンはまったく初耳だった。顔も知らなかったし舞台を見たこともない。それなのになんでこの番組を見たかというと、こないだちらちらとめくっていたエンタテインメント・ウィークリーにこの番組のことが小さいながらも取り上げられており、「彼の仕事は解釈を拒む尋常じゃなくゴージャスな光と音とムーヴメントのシュールなコンビネーションで、いつぞやの7日間におよぶマラソン舞台では30人のキャストの28人が病院送りになった」、という記述を読むと、これはやはり興味を抱くのに充分なのであった。


さらにちょっと調べてみると、ウィルソンと何度か一緒に仕事をしたことがあるデイヴィッド・バーンが彼について言及しており、昔、一時期かなりトーキング・ヘッズ (というか、正しくは「ストップ・メイキング・センス」だが) に影響され、彼がホストを勤めた「セッションズ・アット・ウエスト・フィフティフォース」でも色々と蒙を啓かれた恩を感じている身としては、これは見なければと思ったのであった。


もちろん私はウィルソンのことを何も知らなかったのであるが、事情は普通の一般的アメリカ人にとっても同じらしい。彼は当初、ほとんど地元のアメリカでも、一部ですごい (ヘンな) やつがいると名前が流布しているだけという、知る人ぞ知るという存在だった。その後、基本的にヨーロッパで認められることでアメリカでも逆輸入的に名を知られるようになったが、それでも、舞台関係者や愛好家以外で彼の名を知っているというアメリカ人を探すことの方が難しいだろう。


そのウィルソンは、1941年、テキサスのウェイコで生まれた。あの、人民寺院事件の次に大量の自殺者の出たブランチ・ダヴィディアン事件が起こったウェイコであり、ウィルソンが多感な時代を送った50年代は黒人差別が当然で、KKKが跋扈し(ウィルソンの父も関係していたらしい節が見てとれる)、ウィルソンが黒人の友達と一緒に歩いているとよく思われなかったという、古い南部の町ウェイコだ。


そういう場所で、いまだゲイという自分の性癖を認識していないウィルソンが、地元の実力者で厳格だったという父と、あまりコミュニケーションのなかった母という家族の中で、どもりという悩みを抱え、ほとんど自閉に近い少年時代を送ったというのはよく理解できる。「ブロークバック・マウンテン」で描かれたゲイとほとんど同じくらいの圧迫、逼塞感を受けただろう。因みにウィルソンのどもりの症状が好転していったのは、その頃出会ったアートの先生から、もっとペースを落としなさいと言われたことがきっかけだったという。長じてのウィルソンの舞台に、演者がペースを落としてのスロウモーションのような動きが多いのは、そのことと大きく関係しているようだ。


そのウィルソンの才能が花開いたのは、当然のようにニューヨークに出てきて、ソーホーに居を構えてからだ。当時のアーティストの街ソーホーが、ウィルソンに自由に呼吸し創造する自由を与えたことは想像に難くない。その当時のウィルソン自身のパフォーマンスを見ると、糸の切れたマリオネットみたいに、踊るというか、舞台上をゆらゆらと動き跳ね回るという感じで、一言で形容すると、ユニークとしか言いようがない。なんか生理的に受けつけない者もいるだろう。こんなパフォーマンスをテキサスの田舎でしていたら、これは受け入れられなかっただろうというのはよくわかる。ジョージ・W・ブッシュを筆頭とするがちがちの保守派が固まっているところなのだ。


ウィルソンは最初、単に自分自身の身体だけを使ったダンスというかパフォーマンスをしていたが、そこへ他の人間が加わり、音楽を用い、セットを建て、ストーリーができる。それでも、ウィルソン作品のほとんどはストーリーや解釈というものを拒み、ただ体感するだけしかないものであるようだが、要するに、大がかりになるというか、自分のアイディアを具現するためにはどうしてもそのような手段が必要だったのだろう。幼い頃はどもりで自閉的で友達ができなかった少年が、成長して舞台というフィールドに立つと、非常に人心をうまく操ってコミュニケーションをとって動かすことがうまかったという挿話には、ふーんと思わせられる。実際の話、演じる者が自分でも何をやっているのかよくわからないだろうウィルソンの舞台の場合、演出する方にコミュニケートする能力がなければ何も始まるまい。


ウィルソンはまず、1971年の「Deafman Glance」がフランスの著名なシュール・レアリストであるルイ・アラゴンから激賞されたことを機に、特にヨーロッパで注目されるようになる。さらに74年の「A Letter for Queen Victoria」も注目され、傑作と言われる1976年の「浜辺のアインシュタイン (Einstein on the Beach)」で名声を不動のものにした。番組内で紹介される舞台のクリップを見ても、なにをやっているのかは実はよくはわからないが、しかし、それでも面白そうだという感じだけは確かに伝わってくるから不思議だ。番組内でインタヴュウに答えるスーザン・ソンタグは (この作品を撮った時はまだ生きてたのか。今春の「アニー・リーボヴィッツ」では既に故人だったのに)、この舞台を何十回も見たそうだ。その後ウィルソンは、多くの作品でフィリップ・グラスと一緒に仕事をし、オペラを演出するようになる。


解釈や解説が難しいウィルソンの舞台において、少なくとも視覚的に言えることは、「ゴージャス」であろうかと思う。TVで抜粋を見ていても、その感触だけはちゃんと伝わってくる。昨年、メトロポリタン・オペラのジュリー・テイモア演出の「魔笛」を見た時に (実はウィルソンも「魔笛」を演出したことがある)、おお、こいつはゴージャスと感心したものだが、テイモアがかなりウィルソンから影響を受けていることは間違いあるまい。テイモアの「魔笛」では上部から吊り下げられたブランコに乗った3人の少年という演出があったが、ウィルソンが「アインシュタイン」で既にそれをしていた (ブランコに乗っていたのはおっさんだったが。)


そしてウィルソンは、83年から84年にかけ、ロサンジェルス・オリンピックに関連したアート・フェスティヴァルで、ほとんど畢生の大作と言える「The Civil Wars」の製作に着手する。これは世界の主要都市何都市をも連動したオペラという史上空前規模の大作で、特にアメリカの南北戦争だけを意識したものではないようだ。いずれにしてもあまりもの規模と予算に怖じ気づいた主催者側は、既に一部都市で公演が始まっていたのにもかかわらず、一方的に公演をキャンセルする。


東京でも公演予定だったこの舞台のために東京を訪れていたウィルソンが地下鉄に乗り込むシーンとかがあったりもするのだが、こうやって見ると他のすべての日本人より頭一つでかいのがなんともおかしい。その後どこぞのスタジオで舞台稽古を見守るウィルソンの後ろに座っているたまねぎ頭は、あれは黒柳徹子ではないか。このキャンセルは本当に一方的に決められたようで、ウィルソン本人には事前に何の連絡もなくキャンセルが発表になった。何も知らないウィルソンにニューヨーク・タイムズだかどこかのメディアが連絡してきたことで、初めてウィルソンも知ったそうだ。


一方、ウィルソンの、商業的に最も成功した舞台、もしくは一般客からも最も受けがよかった舞台というのは、ウィルソンが1990年にドイツのハンブルグで発表した「ザ・ブラック・ライダー (The Black Rider)」だということだ。実際、わりと時間を割いて番組内でも紹介されていたウィリアム・バロウズ作、トム・ウェイツ曲の「ザ・ブラック・ライダー」は、本気で面白そうだった。だいたい、バロウズが書いた、恋人を娶るために悪魔と取り引きした男を描く寓話に、ウェイツが曲をつけ、ウィルソンが演出したとなると、これはマジで見てみたいと思わせるに充分だ。DVDは出てないのかと思ったが、かつてオーストリアでTV放送されたことがあるだけで、DVDどころかヴィデオすらないようだ。ここはアマゾンでしばらくはウェイツのCDだけを手に入れて我慢するしかないらしい。


ウィルソンは結構多作で、60の半ばを超えた今でも現役で新作を発表している。実はTV画面に映る本人を見ていると、ほとんど芸術家というよりは普通のサラリーマンのように見える。それで思い出すのは、美学が横溢する絵作りをするくせに、本人はまったく普通の中年おじさんにしか見えないピーター・グリーナウェイで、この人たちは見かけと頭の中が比例しない。特にウィルソンなんて、今でも自分で演じる機会もあるだろうに、お腹が多少出てきている。節制してないのか。本当に一見しただけだと、南部のどこにでもいるおっさんで、カウボーイ・ハットを被らせて牧場で牛を追っている方がよほど似合うような気がする。写真家のサリー・マンを追った「ホワット・リメインズ」を見た時に、写真家、演出家の類いは本人もいい顔をしていると思ったものだが、どこにでも例外はいる。とまれなんとかして「ブラック・ライダー」を見る伝手はないものか。  






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Absolute Wilson


アブソルート・ウィルソン   ★★★

 
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