The Tragedy of Macbeth


マクベス  (2022年2月)

ついにロシアがウクライナに侵攻を開始した。人類とマシーンの戦いを描く「マトリックス レザレクションズ (Matrix Resurrections)」を見たばかりだが、現実では、人類対マシーンの戦いよりも、同じ人類の独裁者の方がより脅威だ。 

 

私が書いている「アメリカTV/映画ノーツ」は、この手のサイトとして特にメイジャーな方ではないだろうが、それでも固定読者がおり、そういう人たちの無言の励ましに支えられてこれまで書き続けてきた。世界各地に読者がおり、多くはないがウクライナにもいる。ウクライナ在住の日本人、もしくは日本語を勉強しているウクライナ人かは知らないが、たとえ週何回、何十回程度にせよアクセスが定期的にあるのが、グーグルのAdSenseでわかる。 

 

それがプーチンのウクライナ侵攻以来、ばったり途絶えた。ウクライナからのアクセスがゼロになった。TVや映画どころじゃないだろうし、インターネットにアクセス自体できるかも疑問だ。もうウクライナにはいないのかもしれない。間接的にしか知らないとはいえ、そういう人たちの現状を思うとやはり胸が痛む。 

 

という、そういう時宜に合わせて「マクベス」を見たわけではない。実はこれ、冬季五輪が始まる前に見てたのを今頃書いているだけなのだが、この禍々しさが、なんか今と合致している。権力志向のマクベスは、考えたらプーチンと重なり合う部分も多い。 

 

最近、「デューン (Dune)」や「マトリックス レザレクションズ」で、話をおさらいせずに見てストーリーが今イチ繋がらず、後悔するという経験が続いたのだが、さすがに古典の「マクベス」ではそれはないだろう。数年前にリンカーン・センターで「蜷川マクベス」も見ているし。 

 

と、予習復習なしで見始めたら、これ、たぶんほとんどセリフがシェイクスピアの戯曲そのままか、あまり手を入れてないのだろう、いわゆる擬古文的なセリフ回しで通す。そうすると、こちらとしては何言っているかほとんどわからないのだ。もちろん、古典である「マクベス」の大まかな筋は頭に入っているのだが、だからといって今現在登場人物が何言っているかわからなければ、なかなか話に感情移入しにくいのはもちろんだ。見ていて、ああ、またかよとがっくり来たのは言うまでもない。 

 

こういう時こそ、家見でストリーミングで見ているメリットが最大限に生きる。クローズド・キャプションでセリフを字幕に出すことができるからだ。ではあるが、擬古文は、実は字幕で読んでもやっぱりよくはわからないのだった。思わず、一瞬、これ、文法合ってる? と思ってしまう。 

 

それでもやはり話としては古典の「マクベス」は、大筋を追う分に関しては、それほど苦労なく展開について行ける。こんなの、昔、英語話すのに苦労した時代に映画館で字幕なしでバズ・ラーマンの「ロミオ+ジュリエット (Romeo + Juliet)」を見たのに較べれば、なんてことない。 

 

ここで、はっと昔、やはりシェイクスピアの「十二夜 (Twelfth Night)」を舞台で見て、これまた古典なので内容は知っているので予習せずに見て、おさらいしとけばよかったと思ったことを思い出した。なんてこった、この20年で結局、人間が進歩していない。なまじ、いざとなれば字幕出るからいいやと思っているだけに、どうしても怠惰になる。テクノロジーに頼り過ぎると、頭鈍りそうだ。 

 

さて、コーエン兄弟の「マクベス」、視覚的な印象の第一は、もちろんモノクロ撮影の映像にある。最近ではケネス・ブラナーの「ベルファスト (Belfast)」や、レベッカ・ホールの「パッシング (Passing)」がモノクロ撮影だ。これらはすべて古い時代を描いており、特に後の2者はモノクロ映像が基本だった当時の事情や、ノスタルジーを喚起する手段として用いられている。 

 

「マクベス」の場合、もちろんシェイクスピアの時代は映像記録媒体なぞないが、歴史的な古さや、例えば20世紀以降の「マクベス」の映像化や白黒で撮られた舞台の写真が、モノクロ映像で撮りたいと思わせるのだろう。さらに、元々舞台の「マクベス」をオール・セットで撮ることにより、様々な実験的な撮影方法を試せ、その時、モノクロ映像は色々な方法論に挑戦できただろうと思わせる。 

 

一方で、例えば、黒人女性が白人女性に扮する「パッシング」は、モノクロ映像が効果的だろうと想像できる。今回の「マクベス」でも黒人のデンゼル・ワシントンがマクベスに扮しており、そのマクベスを倒すマグダフも黒人のコーリー・ホーキンズが演じている。もしかしたらカラーの方が、黒人がかつてイングランド王になったという設定の違和感が際立ってしまった可能性は否定できない。 

 

他方、森が動く、なんていう「マクベス」で最も視覚的なはずの映像は、やはりモノクロよりカラーの方が効果的なんじゃないかと思う。しかし、あれは葉の落ちた冬山だったりしたら、もしかしたらモノクロ映像の方がより効果的とも言えるか。しかし、そうすると、枯れ木では人間の軍隊は隠せないだろう。黒澤明の「蜘蛛巣城」は、モノクロで森が動く効果を出していたが、やはり葉はついていた。さらに、最後に桜の花びらが舞う「蜷川マクベス」の印象もあり、こちらの心証としてはカラー有利という先入観は翻し難い。 

 

映画を見始めると、さらにその上、画面までスタンダード・サイズだ。横長画面に慣れた視聴者としては、画面の両端が詰まると、それだけで不安定感が増す。近年ではロバート・エガースが「ライトハウス (The Lighthouse)」でモノクロ・スタンダードで閉塞感のあるホラーを演出していた。「蜷川マクベス」を見た時、「マクベス」が実はバカミスでもあることを発見したが、さすがにホラーではないだろうから‥‥もしかしてそうなのか? 

 











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マクベス (デンゼル・ワシントン) が武勲を上げて部下のバンクォー (バーティ・カーヴェル) と共にダンカン王 (ブレンダン・グリーソン) の元に戻る途中、魔女 (キャスリン・ハンター) が現れ、マクベスが将来、王になるであろうと予言する。しかしダンカン王は息子のマルカム (ハリー・メリング) を次期王位継承者として認める。マクベスから魔女の予言を聞いたマクベス夫人 (フランシス・マクドーマンド) は、マクベスを王位に就けるためにダンカン王を暗殺する計画を立てる。半分慄きながらもダンカン王暗殺を決行したマクベスだが、内心の不安や疑惑を抑えきれず、行動が不安定になったり幻覚を見るようになる。王になったマクベスは、地位を守るためにバンクォーを殺害し、さらに脅威となりそうな実力者マクダフ (コーリー・ホーキンズ) の妻子も殺害する‥‥ 


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