The Time Machine

タイムマシン  (2002年3月)

旬の俳優というものはいるものだ。昨年末、「シッピング・ニュース」、「シャーロット・グレイ」、「ロード・オブ・ザ・リング」と、同時期に3本の作品に少なくとも準主演級以上で出演していたケイト・ブランシェットも頑張っているなあと思ったものだが、先月「モンテ・クリスト伯」に出演していたガイ・ピアースも、次の主演作が早くも登場である。ピアースは昨年の「メメント」が、今アカデミー賞のオリジナル脚本部門でノミネートされているため、ただでさえ「メメント」が再注目されていることもあって、時の人という感じがとてもする。


大学教授のアレクサンダー (ピアース) は、婚約者のエマ (シエナ・ギロリー) とデート中、突然現れた悪漢の銃の暴発により、エマを失ってしまう。哀しみに暮れるアレクサンダーは、どうしてもエマを取り戻したく、過去に戻って一度起こったことをやり直そうと、タイム・マシンの研究に没頭する。実験は成功し、無事過去に戻ることに成功したアレクサンダーは、エマを他の安全な場所に連れ出す。しかし、そこでも彼女は不慮の事故によってやはり死んでしまう。どうしても過去を変えることはできないと知ったアレクサンダーは、それがなぜなのか、そして未来はいったいどうなっているかを確かめるために、一転、未来へと飛ぶ‥‥


ピアースはオーストラリア出身の俳優としては、御大メル・ギブソン、現在実力派No.1のラッセル・クロウに次いで、今や三羽烏の一角を占める。今気づいたのだが、「マッド・マックス」のギブソンはともかく、「人生は上々だ! (The Sum of Us)」のクロウと「プリシラ」のピアースは、共にアメリカで最初に注目されたのはゲイ役だった。現在では二人共どちらかと言えばアクション系の俳優という印象が強いが、そういうセンシティヴな役もこなせるところが演出家からも受けがよく、地道に人気を上げ続けていられる理由になっているんだろう。


いつもシリアスな印象を与えるクロウと異なり、ピアースが人気がある理由は、そこはかと漂うユーモアにある。この二人が共演した「L.A. コンフィデンシャル」を見れば、そのことは一目瞭然だ (この映画、LAを舞台とした完全なハリウッド映画でありながら、主演の二人はアメリカ人じゃない。人気があれば国籍なんか気にしないハリウッドの懐の深さというか鷹揚さというか、拝金主義振りはいっそ感心する)。クロウがシリアスになり過ぎるあまりおかしみを漂わせていたとすれば、シリアスであろうがなかろうが、いつもどことはなしに余裕や剽軽さみたいなものが感じられるのが、ピアースの持ち味である。「メメント」なんて、あんな絶望的な状況にいながらところどころ作品に笑いが入るのは、まさしくピアースの持つあの飄々とした味によるところが大きいし、「モンテ・クリスト伯」の悪役振りもピアースが演じることで、いい感じで大仰な、嫌味のないものに仕上がっていた。


その持ち味はもちろん「タイムマシン」でも健在である。研究に没頭するあまり、つい恋人との約束も忘れてしまう、いかにも、といった感じの作品の前半部、未来に飛んで活躍する後半のアクション・シーンと、ピアースの魅力が存分に詰まっており、ピアース・ファンならこの映画は多分永久保存ものだろう。


ピアースは「モンテ・クリスト伯」に続き古典の映像化に出演しているわけだが、私は「モンテ・クリスト伯」に続き「タイムマシン」もガキの時に子供向けハード・カヴァーで読んだきりで、あまり内容は覚えていない。なぜだか実は最後は大昔の過去に遡っていったような気がしていた。そういう勘違いをして覚えているのも、未来が逆に過去のように荒廃した世界になってしまっているからだろう。


しかし、その未来世界で、住人を脅かす奇怪な化け物たちが、なぜだか地底に住む「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくる化け物と似たようなものになるという、ほとんど設定も造型も似てしまうのはどうしようもないところか。SFファンタジーの限界はこの辺にあるなあと思ってしまった。あれ以上の新奇な怪物を造型してしまうと、リアリティから離脱しすぎて観客がついてこれなくなるという危惧があるに違いない。しかし、蟻地獄の作り方なんて非常にうまい。昔、確か「仮面ライダー」でああいうことをする敵役がいたなあと思いながら見ていた。この種の作品では、実はテクノロジーの粋を尽くした先端のCG描写よりも、こういうあくまでも肉体アクションで勝負する描写の方が印象に残るし、結果的に作品のできを左右する。


それでも、タイム・マシンそのものの造型や、時間を超える時のCGシーンは、さすがハリウッドの最先端技術を結集しているだけあって、見事なものだ。温室に置いてあるタイム・マシンが時間を飛び越そうとして、見る間に植物が生長し、季節が移り変わって行く様を見せる辺りのCGなんて惚れ惚れさせてくれるし、なんといってもレトロでありながら技術の最先端、みたいな印象を与えるタイム・マシンそのものは、やはりわくわくさせてくれる。あれは男の子心をくすぐるよなあ。


しかし、見てる時は騙されるが、よく考えると、やっぱりあれはおかしいという設定も随所にある。その最たるものが、未来にタイム・マシンが置かれている場所を外れて建築物が建つという設定だろう。タイム・マシンそのものは時間を超えても場所を変えることはできないから、いつも同じ地点にそのまま留まることになる。果たして未来に、そのタイム・マシンが現れるべきである地点に、何か建築物が建っていないという保証はどこにもない。そういう時はどうなるのか。分子と分子が衝突して木っ端微塵になってしまうのか。そういう難題をクリアするために、映画では結局、未来ではタイム・マシンが出現する場所を囲むようにビルが建っていたりするのだが、そのため、逆にこれはヘン、というのを強調してしまう。難しいよなあ、その辺。


未来世界においては、なぜだか生き残っているのは有色人種だけになっているのだが、これって、H. G. ウェルズの原作でもこういう設定になっていたんだっけ? 白人より有色人種の方が生命力が強いという設定はなんとなく説得力はあるが。まるでグランド・キャニオンのようになってしまったマンハッタンの崖っぷちに、竹でできた繭のような住居に住む人々の描写も面白い。確か「ウォーターワールド」だか「ポストマン」だったか、ケヴィン・コスナーが主演した未来SFものでも似たような設定があったような気がする。そうそう、未来でピアースに絡むのが女性と小さな女の子という設定も、まるで「ウォーターワールド」そっくりで、その辺も「ウォーターワールド」を思い出した理由の一つである。


たった一人生き残っている白人? に扮するジェレミー・アイアンズが、これまた怖い怪演で、あんたの顔、久し振りに見るのにこんな怖い役せんでくれと思った。その他、未来世界でのピアースの恋人になるマラに扮するのはサマンサ・マンバで、彼女は人気シンガーが映画スターを目指すという、「グリッター」のマライア・キャリー、「ノット・ア・ガール (Crossroads)」のブリトニー・スピアーズ、「呪われし者の女王 (The Queen of the Damned)」の故アリーヤ等と並び、最近のアメリカ芸能界の流行りの最新の例だ。 しかし、キャリーやスピアーズほど絶大な人気があるわけではない、知名度としては多分それほど大きくはない彼女が、実は映画スターとして最も成功しそうな気がする。その妹? 役のカレンに扮するのは、マンバの実の「弟」のオメロ・マンバである。


演出はサイモン・ウェルズで、実はウェルズは誰あろう原作のH. G. ウェルズのひ孫なのだそうだ。祖々父が書いた作品をかれこれ1世紀を経て演出するなんて、こんな遠大な親孝行の話は聞いたことがない。H. G. ウェルズもさぞや草葉の陰でにんまり、というところか。しかしウェルズは、この作品に入れ込み過ぎたのか、撮影も終盤になって過労で倒れてしまったそうで、代わりに、急遽「ザ・メキシカン」のゴア・ヴァービンスキがいくらかを演出しているそうだ。エンド・クレジットで、彼に「スペシャル・サンクス」が捧げられている。







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