The Grandmaster


グランド・マスター  (2013年8月)

私のイメージではカーウァイは、カンフーとは結びついていない数少ない中国映画人の中の一人だ。「恋する惑星 (Chungking Express)」や「2046」「マイ・ブルーベリー・ナイツ (My Blueberry Nights)」といった作品は、今風にお洒落だが、それらはカンフー映画に特有の様式美とは違う。「花様年華 (In The Mood For Love)」みたいな時代ものもあるが、それだってやはりカンフー映画ではない。カーウァイはやはり大御所たちとは異なり、小洒落た作品を撮る現代映画作家という印象が強かった。 

  

それが「グランドマスター」は、よりにもよって前世紀のカンフーの達人を描いた一大カンフー絵巻なのだという。カーウァイ、お前もかという印象を拭いきれない。第一、映画を見に行く直前にちょっと下調べするまで、私はこれがチャン・イーモウ作品だと信じて疑っていなかった。まさかカーウァイ作品だったとは。 

  

もしかしたらカンフーの血というものは、中国人は誰でも持っており、別に外部の人間が驚くようなものではないのかもしれない。例えば黒澤明が現代作品も時代劇も撮るように、中国映画人にとってはカンフー映画を撮るのも自然なことなのかもしれない。アン・リーだって「グリーン・デスティニー (Crouching Tiger, Hidden Dragon)」を撮っているわけだし。しかしホウ・シャオシェンにはさすがにカンフー作品はないよなあ、やっぱ猫も杓子もカンフー作品を撮るかというと、そんなことはないようだ。 

  

カンフー映画というのは、畢竟どこから見てもカンフー映画でしかない。常にカンフーの達人を主人公とし、アクション・シーンになると、ほとんどストーリーとは無関係にスクリーンをカンフー・アクションが支配する。人はカンフー・アクションを見にきているわけだからそれでいいとはいえ、やはり独特のジャンルとは言える。例えば唐突に人が歌って踊り出すミュージカルがどうしてもダメだという人が存在するように、ジャンルとしてカンフー映画を受け付けないという人もいるだろう。 

  

あるいは、格闘技とはいえ様式美であるカンフーは、日本の時代劇の殺陣とも通じる。作品としての映画の監督とは別に、カンフー映画には振付師が、ミュージカルには音楽監督が、時代劇には殺陣師が存在する。もちろんそれぞれを一つの作品としてまとめるのはストーリーであり、それなしでは作品は成り立たないが、 カンフー映画というジャンル自体があることには異議もない。そして「グランドマスター」に至っては、話そのものがカンフーの達人を描く話なのだ。おかげでほとんど全編カンフー・アクションが横溢する、どこから見てもカンフー映画になった。 

 

考えれば、独特なヴィジュアルのテイストを持つカーウァイが、カンフー映画に食指を動かすのも別に不思議なことではないかもしれない。一方、「グランドマスター」では、イーモウ、あるいはほとんどジョン・ウーというスロウ・モーションがあらゆるところに炸裂する。カンフー・アクションでもストーリーの部分でもわりと凝った絵作りがあるが、やっぱり誰が作ったか知らずに見たら、これをカーウァイ作品とは思わないだろう。 

 

カンフー映画だって進歩しているが、少なくとも近年、ワイヤー・アクションが一段落して以来、目立った変化はないようだ。ほとんど別世界の話だったワイヤー・アクションが沈静化して、イーモウの「Lovers (House of Flying Daggers)」では片足を地に着けた、今後のカンフー・アクションがどう変化していくか興味深い変化を遂げていた。 

 

一方、重力を無力化することで躍進を遂げたワイヤー・アクションが地に足をつけた地上アクションを取り入れることは、すなわち退化に他ならない。かといっ て、これ以上無重力アクションに進むことは無理がある。後は生身のまま宇宙に行くしかなくなるが、それをしてもたぶん誰も喜ばないだろう。「Lovers」はワイヤー・アクションと地上でのカンフー・アクションが結合したぎりぎりの到達点もしくは妥協点なのであって、その結果、カンフー・アクションはそこからどこへも行きようがなくなってしまった。たぶん中国ではいまだにカンフー・アクション作品が連綿と製作されているに違いないが、それに興味を持つ海外の映画ファンはほとんどいなくなってしまったのだと推測する。 

 

そして今、カーウァイの「グランドマスター」だ。し かし、なんとなれば、たとえカーウァイのテイストをもってしても、「グランドマスター」から受ける印象を一言でいうと、古くさいということになってしまうかと思う。現在、実はカンフー・アクションを有効に取り入れているのは、ハリウッド・アクションに他ならない。今やカンフー・アクションに影響されていないハリウッド・アクションはないと断言できるが、そのために、その最も効果的な部分だけを取り入れてアクションが形成されている。 

 

そしてそのハリウッド・アクションを見慣れた目で「グランドマスター」を見ると、古典を現代に甦らせたというよりも、時代にとり残されたアクションという印象の方が強い。なんつーか、相手の拳を受けた衝撃で、両足を地に着けたまま後ろに3mも引きずられるという描写は、今では真面目にやればやるほどお笑いにしかならない。いつの間にかハリウッド・アクションがカンフー・アクションの最も魅力的な部分を継承し、本家中国カンフー映画が型にはまった形骸に堕しようとしている。 

 

もちろんそういう懸念をいち早く察知したカーウァイらによる温故知新の試みが、たぶん「グランドマスター」だったのだと思う。イーモウやウーのアクションを継承し、そして誰よりもワイヤー・アクションの構築に貢献した振り付けのユエン・ウーピンを招いて撮った「グランドマスター」は、作品としての面白さよりも、映画史におけるカンフー・アクションの位置付けを見る上での方が、作品そのものの魅力よりも興味深い。 

 

ところで、この主人公イップ・マンを描く別の映画「イップ・マン 最終章 (Ip Man: The Final Fight)」 の公開も始まる。予告編だけから察するに、ほとんどワイヤー・アクションとは無縁、スロウもあまりなく、どちらかというとブルース・リー時代に回帰したか のようなカンフー・アクションっぽい。今後カンフー・アクションはどう変化していくのか、しないのか。曲がり角の時代に来ていると言える。 












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1930年代中国。伝説的な八卦掌のグランドマスター、ゴン・パオセンは引退を決意、自分の後を継ぎ、中国拳法界を統一することのできる後継者を探す。候補者として弟子のマーサン、女性ながらパオセンの娘のルオメイ (チャン・ツィイー)、そして詠春拳のイップ・マン (トニー・レオン) がいた。しかしマーサンは功を焦り欲に目が眩んでパオセンを殺害、イップ・マンに密かに恋していたルオメイは、父の仇討ちを遂げることに生涯を費やすことを決心する。一方、イップ・マンは支那事変のために家族と離ればなれになり、一人香港にいた‥‥


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