Crouching Tiger, Hidden Dragon

グリーン・デスティニー  (2000年12月)

このクリスマス・シーズン、最も話題になった映画は山岳アクションの「バーティカル・リミット」でもトム・ハンクス主演の「キャスタウェイ (Castaway)」でも、メル・ギブソン主演の「ハート・オブ・ウーマン (What Women Want)」でも、メグ・ライアン、ラッセル・クロウ主演の「プルーフ・オブ・ライフ (Proof of Life)」でもない。カンヌをはじめ、ありとあらゆる国際映画祭で話題を総嘗め、全米公開が今か今かと待たれていた、アン・リー演出のチャイニーズ・カンフー映画、「グリーン・デスティニー」こそが、この冬最大の話題作であった。


とにかくこの映画に対するマスコミの注目振りは、これが字幕上映の外国映画であることを考え合わせると、まったく異例と言えるものだった。歴史的に、アメリカでは字幕の入る外国映画に対して人々があまり興味を示さない。一生に見るほとんどすべての映画を自国産の映画で間に合わせようと思えば簡単にそうできるアメリカ人は、生理的に外国映画を避ける傾向があるのだ。それでも多分祖先の誰かが関係のあったヨーロッパ語圏の映画ならともかく、まったくちんぷんかんぷんの中国語映画となれば、それはなおさらである。


それなのに、会話が中国語で英語の字幕の入る「グリーン・デスティニー」が、ここまで注目されたのはいったいどういうわけか。とにかく、この映画の前評判のよさは圧倒的であった。雑誌、新聞、TVを問わず、見る評、聞く評がすべてA評価か★★★★評価という、近来稀に見る受けのよさなのである。雑誌「エンタテインメント・ウィークリー」で、評者の全員がA評価を与えるという「ストレートA」を見たのは、この10年で多分後にも先にもこれが初めてである。辛口で鳴らすニューヨーク・タイムスでさえも、「バトルとバレエが同義になる時」と題して、この映画に対して非常に好意的なコメントを寄せていた。気の早い者は、「グリーン・デスティニー」が史上初めてアカデミー賞の作品賞と外国映画賞をダブル受賞するであろうことを信じて疑わない。


あまりにも皆が誉めるので、私は逆に不安になったくらいだ。誰もが皆、あのワイヤーに吊るされて空中を舞うバレエ・カンフーを絶賛するのだが、もしかしたらアメリカの批評家は誰もツイ・ハークの「蜀山奇傳・天空の剣」や「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を見たことがないのかも知れない。こういう前例を見たことがないから「グリーン・デスティニー」を誉めちぎるのではないか。もしかしたら、なんだ、たったこれだけ? というくらいのものだったらどうしよう。私だって無茶期待しているのに。アメリカの批評家の多くは、この映画を「ピーターパン」と比して評している。勘違いしているのでなければいいが。


そういった期待半分不安半分で見に行った「グリーン・デスティニー」、残念ながらその不安は半分は当たったが、期待を上回った部分も少なくなかった。まず誰もが話題とするあの、「マトリックス」のユエン・ウーピンが振り付けたバレエ・カンフー。私が最も気に入ったのは、一番最初のアクション・シークエンスのユー・シューリエン(ミシェル・ヨー)とイェン(チャン・ツィイー)のバトルと、最後のリー・ムーバイ(チョウ・ユンファ)とイェンの竹林でのバトルである。最初のやつは屋根の上を自在に飛び回る忍者的なバトルで、手に汗を握るアクションを見せてくれた。


最後のやつは波打つ竹林の中を体重を感じさせずに移動するというやつで、実は正直なところを言うと、幽霊というエクスキュースがある「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を例外として、あまりにもリアリティを無視して空中に浮かんでしまうような極端なバレエ・カンフーは私の趣味ではないのだが、それでもざわめく竹林の中で上になり下になり戦い、しなる竹の上でバランスをとって相手と対峙するというのは、視覚的に興奮させてくれた。森や林や草が風にはためくというのは、いつ見ても映画の醍醐味の一つだと思う。


しかし、アン・リーとしては初めてのアクション映画になるということもあってか、これまでのリー演出の持ち味であった、微妙な感情の機微の描写が今回は後手に回ってたような気がしないでもない。もちろん、アクションに気を取られてそういったとこに眼が行きにくかったという嫌いもあるが。今回、そういった「演技」を見せていたのは、専らヨーとツィイーの二人だけであった。ヨーは私は「トゥモロー・ネバー・ダイ」しか知らないので、これだけ微妙な表情が出せることに感心した。しかし、この映画ではおいしいところはツィイーが全部が持ってってしまっていると言っても過言ではない。新しいスターの誕生である。彼女はもし英語が話せるならば、今後ハリウッドからもオファーが来るのは間違いないだろう。アイス・スケーターのミシェル・クワンと、「ER」のミンナ・ウェンを足して割ったような、まだあどけなさが残る印象的な顔立ちだ。


ユンファは、元々演技とは無縁の人だからいまさらそれを言っても始まるまい。結局、三船敏郎やジョン・ウェインが演技とは無縁の世界でスターになったのと同じだ。むしろここではそれでも演技っぽいところを見せているのが意外なくらいであった。惜しいのはイェンの恋人となるロー役のチャン・チェンである。彼も喋らなければ野性的な顔立ちでいい線行っているのだが、喋り始めた途端にボロが出る。広大なゴビ砂漠で馬を乗り回しているうちはよかったんだけどね。それでも私の印象は悪くはなかったが、うちの女房はあれは駄目だ、全部ぶち壊しだと辛い採点をしてた。そう言われてもしょうがないか。


「グリーン・デスティニー」の特色の一つとして、アクション満載で剣戟シーンが頻出することにもかかわらず、血を流すシーンがほとんどないことがある。これはもちろん、リアリティよりもファンタジーとしてのアクションを狙っているからだろう。そのため、食事処でイェンが宝剣グリーン・デスティニーを片手に暴れまくるシーンで、たった一瞬にせよ、一人だけ顎から血を流すのを見た時は驚いてしまった。あのシーンだけはこれまでの流れから見てえらく違和感があった。


その前に頭に十文字剣のようなものを突き刺されて死んだ警官なんか、あんな重傷にもかかわらず一滴の血も流していなかったのに(ほとんど笑ってしまいそうになったけど)、なんであそこだけ、と不思議に思った。多分グリーン・デスティニーの切れ味を絵にする必要があったということなんだろうが、別にわざわざそういうことをしなくても、茶碗を一閃で真っ二つにしたり、ほかのところでちゃんと証明していた。あの血はやはり不要だったと私は思う。それにしても、その後でイェンにぼこぼこにされて苦情を言いに来る者共が、なぜか皆千秋実みたいな顔をしているのがおかしく、そこだけ黒澤映画を見てるみたいだった。


グリーン・デスティニーと言えば、切れ味鋭い伝家の宝刀という設定であるにもかかわらず、安物のブリキかメッキみたいに見えてしまうのは、邦画の侍ものを見ている日本人には致し方ないところか。ぐにゅっと曲げて、爪先で弾いてぴぃんと音させたりなんかすると、日本人の目には安物としか映らない。あれで本当に切れるんだろうか。やはりもうちょっと重々しい、重厚さがある方が望ましいなあと私は思ってしまったのだが。あれだけは日本の刀の方が見映えがすると思う。


それ以外に今回の意外な発見は、古代からの自然をそのまま残す中国大陸内陸部の風景が、アメリカ大陸のそれとほとんど同じであるということであった。広大無辺の地平を馬に乗って走り回っているところなんて、まるでジョン・フォードの西部劇を見ているようだった。中国内部の風景はチェン・カイコーの「黄色い大地」等でも見ていたが、まるでモニュメント・ヴァレーやグランド・キャニオンのような今回の映像は、フォードの「捜索者」が、これまで失われていたフィルムを足してニュー・プリントで装いも新たに再公開しているような錯覚を覚えた。


ところでこの「グリーン・デスティニー」、英題は「クラウチング・タイガー、ヒドゥン・ドラゴン (Crouching Tiger, Hidden Dragon)」である。私はこのタイトルを聞いた時、これは原題を直訳しているなとピンと来たので、試しに色々と漢字でのオリジナル・タイトルを類推してみた。多分漢字4文字だろうが、「虎」と「龍」が来るのは火を見るよりも明らかだ。問題は「うずくまる(Crouching)」と「隠れた (Hidden) 」だな。ということで「臥虎隠龍」と勝手に命名して悦に入っていた。実際は「臥虎蔵龍」で、1文字だけ外したわけだが、そりゃあ「隠れる」に「蔵」を充てるのは日本人の感覚にはないよ。それと、アン・リーの漢名が李安だったということも、映画が終わってクレジットを見て初めて知った。アン・リーは英語ではAng Leeと表記される。私はなんとはなしに下の名は漢字2文字だと思い込んでいたので、李安というまんまの漢字を見た時は、一人でくすくす笑ってしまった。いや、失礼だった。申し訳ない。


この「グリーン・デスティニー」、先頃発表されたゴールデン・グローブ賞のノミネーションには、作品賞ではなく、監督賞と外国語映画賞、それにオリジナル・スコア部門だけにノミネートされていた。この作品を見た後の私の意見としては、やはりこれはゴールデン・グローブだけではなく、オスカー獲得というのもちょっと希望的観測の域を出ないというものである。今年は去年の「アメリカン・ビューティ」のような、これ以外あり得ないというような絶対的作品がないから、何が来るのか本当に予測が難しいが、それでも「グリーン・デスティニー」が圧倒的によいかと問われれば、うーん、他にもいいのはあったなあと答えざるを得ない。


いずれにしても、ゴールデン・グローブにはラース・フォン・トリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ですらノミネートされていないのだから、「グリーン・デスティニー」がノミネートされていないからといって、別にがっかりすることもないだろう。それでもねえ、会員に老人の多いアカデミー賞なんかより、一応現役マスコミ関係者が投票するゴールデン・グローブの方が「グリーン・デスティニー」は可能性があると思ったんだが。これじゃあオスカーもまず無理でしょう。でもアカデミー賞でも外国語映画賞は固いと思うが。






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