Joker


ジョーカー  (2019年12月)

バットマンの宿敵ジョーカーがなぜジョーカーになったかを描く「ジョーカー」は、下馬評も注目度も高く、これは公開後すぐは混んでるに違いないから、もちっとすいてから見ようと考えていた。 

 

しかも公開は映画の内容に合わせ、ハロウィーンに重なっていた。そのため、ジョーカー同様ピエロのマスクを被ったりメイクを施した観客が多数集まることによる、なんらかの不測の事態を懸念した劇場チェーンは、ピエロに仮装した観客は入場を拒否するという声明を事前に発表、映画はさらに注目を集めた。


最近、銃乱射事件が頻発しており、この懸念はわからんでもなかった。もし事前にピエロ入場禁止措置をとらなかった場合、かなりの確率で暴動やらなんやらの事件が起こったことが予想される。 なんてったって数年前に映画館で銃乱射事件が起きたのは、公開初日の「ダークナイト ライジング (The Dark Knight Rises)」の時だった。

 

そんなこんなで「ジョーカー」人気はこちらの予想を軽く上回り、興行成績は、子供は成人同伴が義務づけられているR指定にしては史上最高の成績で、いっかな人足が落ちない。公開後一月経ってから、ようやくこれなら窮屈感なく見れそうだというくらいになったので、やっと見てきた。 

 

スーパーヒーローものはスーパーヒーロー自身と同等の印象的な悪役が不可欠だが、「バットマン」が人気のある理由の一つとして、それこそバットマンより魅力的な悪役に事欠かないことが挙げられる。むろんジョーカーはその例の筆頭に挙げられる悪役の一人だ。ジャック・ニコルソン、ヒース・レッジャー、ジャレッド・レト等、これまで何人もの俳優がジョーカーを演じている。と書いていて、この3人は3人共オスカー俳優であることに気がついた。レッジャーなんて、まさに前「バットマン」シリーズのジョーカー役でオスカーを射止めている。 

 

このレッジャーによるジョーカーの体現が、その後に与えた影響は計り知れない。スーパーシリアスなレッジャーをスーパーシリアスなクリストファー・ノーランが演出した「ダークナイト (The Dark Knight)」におけるレッジャーのダークなジョーカーは、見る者に強烈な印象を与えた。今後、たとえ何人がジョーカーを演じようとも、レッジャーのジョーカーの影響を免れることはできないだろう。 

 

そして今、ホアキン・フェニックスによるジョーカーだ。普段からレッジャーよりも重そうなものを抱えていそうなフェニックスが、レッジャーが筋道つけたジョーカーにさらに血肉を与える。出自から成長して大人になるまで、精神に悩みを抱え、それでもなんとか周りの世界と対峙して生きてきたアーサー/ジョーカーが、ある時、それまで持ち堪えていた世界との均衡を崩し、崩壊する。 

 

なんというか、こういうものを抱えて生きている男相手に、そりゃバットマンは勝てないでしょ、としか思えない。ブルース・ウェイン/バットマンが抱えている悩みやアイデンティティの危機なんて、小っちゃい小っちゃい。「ダークナイト」ではバットマンはジョーカーに、オレたちは似た者同士だと言われ、「ダークナイト ライジング」では、ベインがバットマン相手にお前はオレの敵ではないとうそぶいていた。実際、中途半端な正義でしかないバットマンは、これではジョーカーにだって勝てまい。 

 

スーパーヒーローとしてのバットマンは実はヴィランよりぱっとしないというのは、ノーラン演出のバットマン三部作で定着した感じがしたが、ここへ来て「バットマン」は、本人より悪役、もしくは彼を支える周りの人間で持っているということが明らかになった。元々スーパーヒーローというのは、名探偵同様、悪者がいて初めて存在理由が出てくるが、それをここまではっきりと示してしまうスーパーヒーローというのも珍しい。バットマンにはジョーカーが必要だが、ジョーカーはバットマンの存在を必要としない。結局バットマンは、ジョーカーみたいな悪役や、FOXの「ゴッサム (Gotham)」におけるゴードンのような情報を提供してくれる警察当局や、忠実なる執事ペニーワースがいなければ、たぶん一人では何もできない。 

 

ところで先頃、エピックスでウェイン家の執事ペニーワースの経歴を描く「ペニーワース (Pennyworth)」を見たのだが、正直言って彼の方がまだ、ぼんぼんで意気地のないブルースより感情移入できる。そのペニーワース、「ジョーカー」においては、これまで見たどのペニーワースよりガタイがいい。プロレスラーみたいだ。最初登場した時は、これがペニーワースだとは思わなかった。いくらなんでもこれまでのペニーワース像とは違い過ぎないか。 

 

個人的には、私にとって「ジョーカー」が特に連想させるのは、同じく「バットマン」シリーズの何かではなく、ドキュメンタリーの「キャプチャリング・ザ・フリードマンス (Capturing the Friedmans)」だったりする。アーサー同様、子どもたちを楽しませるピエロを生業としているフリードマン家の長男の父が、実は小児愛好家で、警察に逮捕され、家族が崩壊していく様をまざまざと捉えた「キャプチャリング・ザ・フリードマンス」は、子供に接することが仕事のピエロの内面の複雑さを浮き彫りにしていた。ジョーカーにせよフリードマンにせよ、実はピエロは、最も人格崩壊から近い場所にいるらしい。 

 

実は「ジョーカー」公開直前に、我々夫婦は毎年恒例のお呼ばれで、ニューヨークのアップステイトの知人の家にバーベキュー・パーティに出かけた。その帰り道はルート87を通ってブロンクスを掠めて帰る。そう、アーサーがジョーカーとしてダンスしながら降りてくる、映画の中でも最も印象的なシーンの一つを提供したブロンクスのシェイクスピア・アヴェニュウのあの階段は、この目と鼻の先だ。 

 

先だってニューズを見ていたら、この階段が、今では観光名所として世界中から観光客がやってくるという話をしていた。近くの住民が、観光客が多過ぎて今では階段を利用できないと嘆いていた。私も、映画を先に見ていれば、少々回り道になってもこの場所を訪れたかもしれない。しかしこの時点ではまだ見ておらず、何も知らずに近くを通り過ぎたのだった。なんか損した気分。 











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1981年ゴッサム・シティ。アーサー (ホアキン・フェニックス) は、ピエロとして微々たる賃金を得て暮らしていた。家には年老いた母ペニー (フランシス・コンロイ) がおり、自分も情緒不安定で政府から支給される精神安定剤を常に服用する必要があるなど、生活は決して楽ではなかった。仲間内でもハブにされがちなアーサーは、ある日同僚から渡された銃を持って仕事しに行って子どもたちの目の前で銃を落としてしまい、危険な行為をした角で仕事を干される。二進も三進も行かなくなったアーサーは夜、サブウェイで酔漢に絡まれ、激情に駆られ、彼らを撃ち殺す。折りしも世情は不安定で、少数の金持ちに対する民衆の鬱憤は積もっており、人々はアーサー同様ピエロの格好をしてそこかしこで暴動を起こすようになる‥‥ 


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