Infinitely Polar Bear


それでも、やっぱりパパが好き!  (インフィニットリー・ポーラー・ベア)  (2015年7月)

先週「ジュラシック・ワールド (Jurassic World)」を見て、来週は「ターミネーター: 新起動/ジェニシス (Terminator: Genisys)」を見に行くと決めていたので、今週はちょっとインディ系のものを、と、そこそこ評価されている「インフィニットリー・ポーラー・ベア」に決める。マーク・ラファロとゾーイ・サルダナがカップルを演じる家族ドラマで、どうやらラファロは心に問題のある役柄らしい。感じとしては「キッズ・オールライト (The Kids Are All Right)」みたいな作品か、と見当をつける。


あるいはサルダナが白人とカップルということで、もしかしたら「ファーナス/訣別の朝 (Out of the Furnace)」みたいな犯罪ものという可能性もあるかとも一瞬思うが、やはりドメスティックな作品っぽい。関係ないがサルダナは現実に夫が白人で、しかも結婚時に夫の方が改姓してサルダナ姓になっている。向こうの方からそうしようと言ってきたんだ、と、こないだABCの深夜トーク「ジミー・キメル・ライヴ (Jimmy Kimmel Live)」を見ていたら、たまたまゲストとして出ていたサルダナが言っていた。多民族国家のアメリカであるが、これだけ役の上でも現実でも異人種間とばかりカップルになるのも珍しい。


「インフィニットリー・ポーラー・ベア」で最も印象的なのは、異人種間カップルということを含めた、主人公夫婦と子供たちとの家族のあり方だろう。キャムは躁鬱で喜怒哀楽の差が激しく、はっきり言って人とのコミュニケーションが苦手だ。頭が悪いわけではないが、自分の言いたいことだけ言って、相手の言うことには耳を傾けなかったりする。何事も自分中心で、結局妻のマギーは、愛想を尽かす、というよりも、どんな突飛な行動に出るかわからないキャムに危険を感じて、二人の娘を連れて家を出て行く。


とはいっても嫌いになったわけではなく、節目節目には娘共々顔を合わすし、娘もキャムに会いに行ったりする。キャムは白人でマギーは黒人だ。現在、特に人種間の問題が絶えないアメリカだが、気にしない者は昔から気にしない。その人種の違う二人が結婚して、子供ができるが父親は精神疾患持ちで働ける状態ではなく、家は常に貧乏だ。


このままでは永遠にこの状態から浮上できないと、マギーは一念発起してキャリア・アップするためにニューヨークの法律学校に通い、週末だけバスに乗ってボストンに帰ってくることを半年間続ける。その間、娘たちの面倒を見ることをキャムに頼むのだが、それは娘たちにとって一生忘れられない体験になるのだった。


キャムは病気のせいもあって定職もなく、おかげで家に金はないが、一族は金持ちだ。たまに親族の間でなにかの集まりがあると、キャムもちゃんと呼ばれ、蝶ネクタイで参加してたりする。ではあるが、どうやら彼らはキャムに対してほとんど金銭的な援助はしていないようだ。血の繋がった者同士であり、会えばにこやかに挨拶もするし、折々の集まりもあるが、生活自体は個々人の責任というわけだ。そのことが当然のこととして了解されている。個人主義の世界なのだ。


私の考えでは疾患持ちの男に娘の世話を頼むよりも、金を持っている親戚に頼む方が手っ取り早いし合理的だと思うのだが、彼らのものの考え方はそうではないらしい。別にマギーが黒人だから一族から無視されているというわけでもないっぽい。とはいえ、マギーが一族の伝手を辿って無事就職できるかというと、そんなこともない。ボストンの法曹界では一族の力はかなりあるようなのだが、現実に目を向けると、当時子持ちの黒人女性が弁護士事務所で働く余地はほとんどなく、社会通念を無視してまで一族が力を貸すことはない。一方、そういう常識とか外見といった考えにとらわれないキャムにとっては、それは理不尽以外の何ものでもないのだが、世界はキャムの考えや理想とは離れたところで動いている。むしろまだ幼い娘のアメリアとフェイスの方が、その辺のことはまだよくわかっている。


キャムは躁鬱でムラっ気があり、喜怒哀楽の気分の差が激しく、頭に血が上ると何するかわからない。思わず怖くなった娘たちがドアのチェーン・ロックをかけてキャムを家に入れないようにするのだが、激昂したキャムは体当たりでチェーンごとドアから引きちぎってドアを押し開けてしまう。


このシーンが印象的だったのは、うちもそうやって日中に空き巣に入られたことがあるからだ。ちょっと違うのは私たち夫婦は仕事で二人ともいなかったため、チェーンがかかっていたわけではないのだが、こそ泥はたぶんドアの隙間にバールかなんかを抉じ入れて、梃子の力を応用して力任せに押し開けたに違いなく、鍵がかかっている柱から釘ごと押し開けられていた。その時はキャッシュだけ、色々な場面で必要なので貯めてあった何十ドルか分のクオーター硬貨と、たまたま置いてあった10万くらいの日本円を持ってかれた。


むろん警察にも届けたが、事情を訊かれてそれっきりだ。そんなことだろうと思った。その後我々がドアにバール等が差し込まれるのを防ぐスティール・バーを打ちつけるなどして、防犯を強化したのは言うまでもない。一度やって勝手を知って味を占めたからだろう、それからしばらくしてまたうちに押し入ろうとした形跡が見られたが、スティール・バーと柱に強力に取りつけられた新しいロックのためにその時は叶わず諦めたようで、以来二度と空き巣にはやられずに済んだ。


その後引っ越したのだが、つい最近、お向かいのアパートに住んでいる女性が、ついうっかりしてチェーンがかかっているのに中からドアを開けようとして、こちらはキャムと同じように、チェーンがかかっている柵ごと柱から引きちぎって開けてしまった。本人は別に特に力を入れてドアを引いたわけでもないんだと力説していたが、要するにドア・チェーンは鉄筋に取り付けるか木造でも強力に柱に取りつけてあるかしてない限り、本気で防犯に役立つというよりも、気休め程度にしかならない。映画を見て、昔からそうだったんだなと思った。しかし、そんなこと、設計段階でわかるだろうに。気休めでしかない防犯なんて、ないより始末が悪い。


とまあ、こういうドメスティックなドラマは、何気に自分の現実と被さったり記憶を呼び起こしたりする。映画で長女のアメリアを演じているイモジン・ウォロダースキーは演出のマヤ・フォーブスの実の娘だそうで、こんなとこまでドメスティックなのだった。かなり自分の現実の体験を反映しているっぽい。











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1978年。ボストンに住むキャム (マーク・ラファロ) は血筋のいい家系の出身だったが、躁鬱病のため行動が突飛になりがちだった。それでもマギー (ゾーイ・サルダナ) と結婚して二人の娘アメリア (イモジン・ウォロダースキー) とフェイス (アシュリー・アウフダーハイディ) ができ、曲がりなりにも家族として生活していたが、安定と将来のない状態に嫌気を差したマギーは、ついに娘たちを連れて家を出て行く。それでも家族の縁を切ったわけではなく、マギーはニューヨークの学校で半年間勉強する間、娘たちと一緒に住んで面倒を見てくれないかとキャムに頼む。自信のないキャムだったがマギーの意志は固く、キャムは試行錯誤で娘たちと共同生活に乗り出すが‥‥


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