Hollywoodland   ハリウッドランド   (2006年9月)

1959年。TVでスーパーマンの役を演じていた役者ジョージ・リーヴス (ベン・アフレック) が自宅の2階で拳銃自殺を遂げるが、彼の自殺を信じない母は、私立探偵のシモ (エイドリアン・ブロディ) を雇う。リーヴスには婚約者のレオノア (ロビン・タニー) がいたが、既に仲は冷えきっており、一方リーヴスはそれ以前に、MGMのボス、エディ・マニックス (ボブ・ホスキンス) の妻トニ (ダイアン・レイン) とも関係を持っていた‥‥


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正直に言うと、つい最近になるまで、「ハリウッドランド」とブライアン・デ・パルマの「ブラック・ダリア」をかなり混同していたことは事実だ。共に40-50年代のハリウッドを舞台とし、殺人事件 (一方は自殺として処理されるが) が起きる。一見した絵作りから来る印象がかなり似ているから、同時期にティーザーを一瞬見せられただけなら、かなりの確率でごっちゃになるだろう。なんだってまた同じ時に公開ということになったのか。


50年代末、TVの「スーパーマン」で活躍したジョージ・リーヴスが自宅で拳銃自殺を遂げる。しかし状況は曖昧で、特に彼がMGMのボス、エディ・マニックスの妻トニと関係を持っていることを多くの者が知っており、さらにレオノアとの夫婦仲が冷えていたことなどから、他殺の線も拭いきれなかった。特に他殺に固執したのがリーヴスの母ヘレン (ロイス・スミス) で、私立探偵シモが雇われる。


シモはモーテルでガール・フレンドと共に暮らしていたが、別れた妻ローリー (モーリー・パーカー) と息子がいた。シモは物心のつき始めた息子との関係がうまくゆかず内心焦っていたが、息子の方はヒーローのスーパーマンの死に衝撃を受け、シモに対してさらに心を閉ざすようになる。スーパーマンの死の真相を究明することは、今やシモのプライヴェイトの生活においても大きな意味を持っていた‥‥


演出は適度に抑制されているため特に派手な印象を与える作品ではないが、出演している役者は綺羅星の如くである。主演のシモに扮するエイドリアン・ブロディを筆頭に、リーヴス役のベン・アフレック、トニを演じるダイアン・レイン、エディに扮するボブ・ホスキンス等の主要人物はすべてアカデミー賞ノミネートか受賞の経験のある役者で占められており、実際、見てて飽きさせない。脇の方もリーヴスの母ヘレンを演じるロイス・スミス、シモの別れた妻ローリーを演じるモーリー・パーカー、現在のガール・フレンド、キットを演じるキャロライン・ダヴァナスなど曲者揃いだ。


特に個人的にあっと思ったのがキットを演じるダヴァナスで、予告編ではまったく見なかったこともあり、一瞬、これが「ワンダーフォールズ」で主人公のジェイを演じたダヴァナスだとは気がつかなかった。その頃より気持ち体重が増えたんじゃないかという気がするが、その分色気も増した。「ワンダーフォールズ」でも、よくトレイラーのベッドでうずくまっていたという印象があるが、ここでも捨てられたネコのようにベッドの上でうずくまっているところなんか、非常に可愛い。これで男性ファンを増やしたに違いない。


ブロディ、アフレック、レイン、ホスキンスと主演級の4人はまとまっているが、最も嬉しい驚きはアフレックがかなりいい演技をしていることで、彼ってこんなにできたのかと思ってしまった。リーヴスは自分はなにかもっとできるはずと思いながらもTVで子供相手のヒーロー役しか回って来ず、結局それも降ろされる。最後にオファーされたのは、なんと元スーパーマンという知名度を利用した巡業プロレスで、それを受けるかどうかで苦悩する。作品の最後の方でカメラ目線になってのアフレックの表情はぞくぞくもんで、リーヴスと今の自分の境遇を重ね合わせることができたからの好演と言ってしまったら、誉めてることになるのか貶していることになるのか。


しかし、やはりこの作品はブロディのものだろう。ムキムキの身体で主演を張るタイプが多いハリウッドの俳優陣の中において、あの痩せぎすの体格は貴重だ。とはいえ、服を脱ぐと全然痩せているようには見えないのも不思議。いずれにしても、着痩せするブロディが上体を傾けて壁にもたれかかったりすると、それだけで絵になる。とてもハンサムというのとも違うが、これだけキザったらしいのが似合う俳優もめったにいまい。要するに、色気がある。「歌う大捜査線」でもそうだったが、この時代のハリウッドを舞台とした作品に出ると見事にはまる。私としてはピアノを弾いているブロディより、こちらの方を推す。


リーヴスはスーパーマン役を潔しと思っていなかったことは確かだが、さりとて他の役が殺到するほど力のある役者でもなかった。そういう本当は好きでもない役をずるずると続けた挙げ句、クビになる。一方、我々の世代で最も記憶に残っているスーパーマン役のクリストファー・リーヴも、スーパーマンの印象が強すぎて他の役のオファーがほとんど回って来ないことに対し、多少いらつきもしたというようなことをどこかで言っていたのを読んだ記憶がある。


それが最新の「スーパーマン・リターンズ」のブランドン・ラウスになると、彼はたぶんスーパーマン以外の役も充分やれるだろうと思わされるのはなぜなんだろう。ラウスはスーパーマンという役のために自分のキャリアを狭められることはなさそうに思えてしょうがない。現代ではかつてのように、子供がスーパーヒーローに過剰な期待を持っているわけではないから気軽に演じられるためか。たぶん40年前にスーパーマンが子供たちから心から崇拝されるスーパーヒーローでなかったとしたら、リーヴスの悲劇は起こらなかっただろうに、と思ってしまうのだった。






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