Valkyrie


ワルキューレ  (2009年1月)

第二次大戦末期、ドイツ軍の劣勢はもはや明らかだったが、それでもヒトラーは強気の姿勢を崩さなかった。スタウフェンバーグ大佐 (トム・クルーズ) はアフリカで空襲を受け、片目を失明したまま本国に戻る。ヒトラーが頂点にいる限りドイツの未来はないと感じているその他の軍部の人間の知己を得たスタウフェンバーグは、ヒトラー暗殺計画を実行に移し始める‥‥


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新年早々「ダウト」を見て、厳粛というか内省的な気分になった反動で今度はとにかくアクションをという気持ちになり、「ワルキューレ」を見に行く。史実を基にしており、スカッとするアクションというより多少重そうなのは事実であるが、トム・クルーズ主演、ブライアン・シンガー演出ならエンタテインメント性も充分だろう。


「ワルキューレ」は第二次大戦末期、既にドイツ敗戦の色濃い中、国民のことを顧みずになおも戦闘に固執したヒトラーおよびナチ中枢部に対し、国を救うためにはヒトラーを排除するしかないと、ヒトラー暗殺を計画した一部の軍人たちを描くドラマだ。その中心となるスタウフェンバーグ大佐を演じるのがもちろんトム・クルーズ。脇を固めるのがケネス・ブラナー、ビル・ナイ、テレンス・スタンプ、トム・ウィルキンソン、エディ・イザード、トム・ホランダー、カリス・ファン・ハウテン等、一癖も二癖もあるヴェテランを揃える。


なんでもヒトラーをなんとかせねばと思っていた人間は、ナチス・ドイツの中にもかなりの数いたようで、それこそ何度もヒトラー暗殺計画が練られたらしい。「ワルキューレ」はそのうちの一つを描くドラマに過ぎない。考えたらいくらプロパガンダに乗せられたとしても、ドイツ人全員がゲルマン民族至上主義を本気で信じていたとは到底思えない。こういう計画があっても不思議はない。


ヒトラーだって自分の身の回りがきな臭いのは薄々感じていただろうし、護衛は厳重を極めた。そのヒトラーを倒す確率が最も高そうな場所として選ばれたのは、皮肉にもヒトラーを守るために建てられた壕で、コンクリートで固められた壕内にヒトラーがいる時に内部でダイナマイトを爆破することができれば、閉じられた空間であるために殺傷力は倍増し、計画の成功率は高まる。しかしヒトラーを壕内におびき寄せるためには、戦局が危うくなって「ワルキューレ」作戦が発動される必要があった。スタウフェンバーグ大佐を筆頭に、仲間たちはあの手この手で作戦を軌道に乗せようとする‥‥


クルーズは自分を格好よく見せる作品を選び出してくるという嗅覚は一級であり、だからこそハリウッドの一線で長い間スターとして君臨してきた。彼の出た作品を思い返すと、必ず印象的なショット、というかクルーズがポーズを決める一瞬が何か所かある。その場合、そのショットが実際に作品に貢献しているかどうかとはまったく無関係だったりする。ポイントは、彼がスターとして格好いいか、絵になっているか、それだけだったりする。「ミッション・インポッシブル」シリーズはその集大成であるわけだが、リアリズムとしてはまったく嘘くさかった「ザ・ラスト・サムライ」における二刀流も、絵としてはしっかりと記憶に残っているのだ。明らかに見栄を切る歌舞伎型の俳優と言えよう。


「ワルキューレ」でクルーズがやりたかったことは、あのアイ・パッチ、およびナチの軍服姿であることは間違いない。実際、爆弾を仕掛けて部屋を退出したクルーズの後ろで爆発が起こり、その瞬間、思わず膝を曲げて後ろからの爆音爆風をやり過ごすショットなんかは、彼のアイ・パッチ共々かなり印象的で絵になる。


一方アイ・パッチというと、私の場合、映画の中でというよりも映画史の中のジョン・フォードとジョン・ウエインという二人の西部劇を代表する人間のアイ・パッチを即座に思い出す。その一方で、アイ・パッチというとすぐ悪役を思い出す者も多いのではないか。これは007の「サンダーボール作戦」でアドルフォ・チェリが演じたスペクターを筆頭に、最近では「キル・ビル」のダリル・ハンナまで、アイ・パッチをしただけで簡単に悪役ができ上がる。なぜだか海賊というと、義手義足アイ・パッチというのが一般的だ。タモリもアイ・パッチをしていた時の方が毒が強くて悪役的な印象がある。なぜだかアイ・パッチをしただけでかなり強力に印象に残っている「スモーク」のストッカード・チャニングなんてのもあった。


これらはたぶん、最も人間性を現し、感情を伝える目という機構が二つではなく半分しかない、もう一方が隠されていることから来る違和感に理由が求められるような気がする。普通の人の半分しか感情が読めない居心地の悪さが、アイ・パッチをしている人間に対して悪役化した印象を見る者に持たせてしまうのだ。


「ワルキューレ」ではクルーズはさらにサーヴィスとして義眼まで取り出してみせてくれるが、彼が自身を悪役としてとらえていないことは明らかだ。ポイントはあくまでもアイ・パッチをしたクルーズというところにあり、悪役クルーズではない。主演、正義の味方的な印象が強いクルーズがアイ・パッチをすることで、悪の魅力をそのキャラクターに付加しようとしたところがポイントだ。その効果に対しての意見は分かれるところだろうが、それでもやはり記憶に留まるところはさすがクルーズと言うべきか。


ところでナチの軍服が、史上最も絵になる軍服であることに異を唱える者はいないと思う。人類史上、戦争はそれこそいつもどこかで止むことなく起こっているが、それでも戦争映画として第二次大戦を描く作品が最も数多く製作されているのは、当然その規模、歴史的な意味合いもさながら、悪役に回した時のナチが絵になってくれることも大きいからと思う。特にあの軍服で一糸乱れず行進するナチは、すべての悪役、全体主義の見本とも言うべきものだ。


クルーズがやりたかったことは、アイ・パッチをしてナチの軍服に身を包み、なおかつ完全に悪役に堕すわけではない悲劇的ヒーローになりきることだった。これがかなり困難な作業であることを論を俟たないが、そのことはともかく、エンタテインメントとしてはそれなりに手に汗握る面白い作品に仕上がっていることには感心する。


ところで作品タイトルは、英語では「Valkyrie」と表記される。カタカナで発音を書くと、ヴァーカリーというのが最も近いだろう。これがナチがいざという時に発動する作戦名でもあり、作品内でも登場人物はそういう感じで発音する。で、そういうもんだと納得してなんの疑問も持たなかった。それで家に帰ってこの文章を書こうと調べものをしていて、邦題が「ワルキューレ」となっているのを見て、そうか、と愕然とした。「ヴァーカリー」は「ワルキューレ」なのだ。


因みにドイツ語ではWalküreと表記するそうで、これだと確かにワルキューレと発音しそうだ。要するに英語表記が変遷を経てValkyrieとして定着してしまったために、最初から知らないと一見しただけではまず語源まで連想することが難しい。しかし、映画の中ではクルーズがそのワグナーの「ワルキューレ」のレコードをかけるというシーンがあるのだが、それでもその時の私は、「ヴァーカリー」と「ワルキューレ」の相似性にはまったく思い至らなかった。おかげでこれを知った時は目から鱗だった。ワルキューレでしたか。








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