The Nightingale


ナイチンゲール  (2020年5月)

この作品も昨年、わりと長い間公開されていたが、気にはなりつつスケジュールが合わないまま、結局見そびれた。その時点では一時代前の女性の復讐譚みたいな紹介をされていて、一瞬見た、森の中をライフルを持って駆け回る主人公のイメージから連想したのは「ハンガー・ゲーム (The Hunger Games)」で、要するに、私が最初作品に対して持っていた印象は、女性が主人公のアクション映画というものだった。 

 

それが見始めると印象が一転、舞台はヨーロッパかアメリカではなくオーストラリア南のタスマニアで、主人公のアイリッシュの女性クレアは昔本国で罪を犯し、タスマニアに流刑されていた。そういえばオーストラリアって、昔英国が罪人を島流しにしたところだった。 

 

とはいえ罪人の流刑地といっても、刑務所があるわけではなく、そこで働いてつつがなく刑期を全うすれば、罪は許される。実質的には一般人の生活とほとんど変わるところはない。実際、クレアにはそこで一緒になった夫エイダンと、生まれたばかりの男の子がいた。ただしこういう辺境のこととて、実際に許されて社会に復帰できるかはその場所を治めている者の胸先三寸的なところがあり、担当の者の機嫌を損ねるのはご法度だった。 

 

クレアはその、最もしてはいけないことをしてしまい、士官のホウキンスに犯されたばかりか、クレアを自分の奴隷同然にしか思っていないホウキンスは、酔ってホウキンスに食って掛かってきたエイダンを射殺、幼子も殺されてしまう。一人、九死に一生を得て生き延びたクレアは復讐を誓い、北部に昇進の嘆願のために旅立ったホウキンスを追おうとする。 

 

しかし土地に不案内のクレアはガイドを必要としており、そこでアボリジニーのビリーを紹介される。自分自身元罪人とはいえ、やはり黒人を見下していたクレアは、最初ビリーをぞんざいに扱うが、自然の中ではクレアはビリーの助けなしでは何もできなかった。二人は徐々にホウキンスの一行に追いつく。ホウキンスの一隊は、ビリーのおじチャーリーがガイドしていた‥‥ 

 

とまあ、オーストラリアの山中の道行きになると、連想するのは「ハンガー・ゲーム」ではなく、俄然ニコラス・ローグの「美しき冒険旅行 (Walkabout)」になる。自然の知恵に長けたアボリジニーが、何も知らない白人の道中を手引きする。リヴェンジ・ドラマではあるが、ロード・ムーヴィでもあるのだった。あるいは、同じ女性監督でもあり、デブラ・グラニックの「足跡はかき消して (Leave No Trace)」も頭をかすめる。  

 

とはいえ、「ナイチンゲール」の最大の特色は、やはりそのヴァイオレンス度にある。前回、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ロンドン (Once upon a Time in London)」を見た時にも思ったのが、ヴァイオレンスというのは、血が流れると見た目の痛さが強調される。とはいえ、ホラー・ゾンビ映画みたいに血みどろだから痛そうというのでもない。ゾンビがいきなり人間の肉食い破り血が噴出しても、実はあまり痛そうには見えない。だからこそゾンビはパロディにもなる。 

 

一方、「ロンドン」で登場人物が相手を素手で殴り倒すと、これは激しく痛そうだ。「ナイチンゲール」では、クレアが取っ組み合いになった相手の男に対し、ライフルの銃床で相手の顔面を何度も何度も殴りつける。既にもうほとんど元の顔が想像できないほど血まみれで、変形している。これは本気で痛そうで正視していられない。というか、もう相手は痛みの感覚はないだろう。 

 

痛そうという印象は、殴られる、血を流す側の人間が痛いと感じるか怯えるか、それに見る側が同調できるかという点がポイントだと思っていたが、相手に正気がなくても、殴り続けるのが痛そうに見える。それにしても近年、アクションの演出全般に女性演出家が進出しているというだけでなく、これまでは男性の専売という印象のあったヴァイオレンス描写でも、女性の進出が目立つ。 

 

これまで虐げられる側にいた人間が何かを契機に虐げる側に回ると、一層ヴァイオレンス度が増すということはあるかもしれない。いじめの本質はパワー・ゲームにあると思うが、ヴァイオレンスというものは肉食生物の生存に関わるものであるから、人類が全員ヴェジタリアンにならない限り本質的に避けられないものなのかもしれない。とまあ、先日のミネアポリスにおける白人警官による黒人のジョージ・フロイド殺害事件と、その後に続く暴動を見ていても思う。どんなに暴力反対を訴えても、生存が弱肉強食で成り立っている以上やはりヴァイオレンスはなくならず、そして民主主義の本質が競争である以上、パワー・ゲーム/いじめもこの世からなくならない。 

 

最後に気づいたことをもう一つ。「ナイチンゲール」も、最近ではなぜだかあまり珍しくない、横長ではない、1:1.33のスタンダード・スクリーン・サイズだ (IMDBで確かめたら1:1.37とあった。そうですか)。近年はiPhoneで撮ったって普通に横長で、意図しない限りスタンダード・サイズにはならない場合が多い。「ナイチンゲール」は横長サイズで撮った方がむしろ有効だったと思うのだが。ただしhulu経由で、しかもiMacで見てた私の場合、最初あれっと思った以外、あとは特に気にはならなかったというのはある。 











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19世紀。罪を犯してタスマニアに流刑されていたアイルランド系のクレア (アイスリング・フランシオシ) は、刑期を全うしたはずなのに、その地を治める英国士官のホウキンス (サム・クラフリン) によって、留め置かれていた。夫と赤ん坊の息子ができ、是非とも新しい生活を始めたかったが、嘆願は逆にホウキンスの機嫌を損ねて犯された挙げ句、夜、酔ってホウキンスに食って掛かった夫共々息子も殺される。クレアも殺されるはずだったが生き延び、復讐を誓い、アボリジニーのビリー (バイカリ・ガナンバル) を雇って、出世の嘆願のために北部に向かって旅立ったホウキンスの後を追う‥‥ 


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