The Matrix Reloaded


マトリックス リローデッド  (2003年5月)

「X2」が公開され、「ハルク」も「チャーリーズ・エンジェル2」も「T3」も公開を控えているが、やはりこの夏の本命は、この「マトリックス リローデッド」という感じがする。予告編を見ても、「リローデッド」のアクションの方が洗練され、最も面白そうに見える。公開初週の興行成績では、金、土、日の3日間の成績では記録保持者の「スパイダーマン」に後れをとったが、木曜も含めた4日間の記録では「スパイダーマン」を抜いたと聞いた。今冬の「レボリューションズ」にも期待がかかる。


ところでうちの女房は最初に公開情報を得たのが日本の雑誌だったので、カタカナのタイトルで覚えていた。その結果、彼女は「マトリックス: リロー・デッド」と認識してしまい、てっきり新キャラのリローが死ぬ話だと思っていたそうだ。あとで「Reloaded」だったのを知って、なんで「リローデッド」で、「リローディド」じゃないわけ、だから間違えるんじゃないと憤っていたが、そんなこと私に言われてもねえ。


覚醒したネオ (キアヌ・リーヴス) は、モーフェウス (ローレンス・フィッシュバーン)、トリニティ (キャリー-アン・モス) と共に、マトリックス世界に対抗する人間の住む秘密の場所、ザイオンに足を踏み入れる。ネオは預言者に会い、ザイオンを滅亡から救うためには、キーメイカーに会う必要があることを知らされる。それには実力者のメロヴィニアン (ランバート・ウィルソン) に会い、協力を仰がなければならなかったが、彼は協力を拒否、しかし、彼の妻パーセフォニー (モニカ・ベルッチ) はネオを誘惑して、キーメイカーを引きあわせる。白子の双子はキーメイカーを奪回せんとし、そして今では一人 (100人?) 単独でネオを追い回すエージェント・スミス (ヒューゴ・ウィーヴィング) も、執拗にネオを狙っていた‥‥


SFなのに、なのか、それともSFだからこそか、「マトリックス」はこんぐらがる。この映画を一度見ただけで内容が完全に把握できるという輩がいたらお目にかかりたいくらいだ。「リローデッド」関係のウォシャウスキー兄弟のインタヴュウや評を見ていたら、ニーチェがどうの、ショーペンハウエルがこうのと、哲学者の名前が頻出する。実際、作品中の会話は、哲学的というか、ウォシャウスキー兄弟の世界観を反映する、示唆的、思索的なセリフが多い。ヴィジュアルとアクションだけでなく、一つの世界を構築する、こういうSFマインド、あるいはオタク心も満足させるところが、「マトリックス」の圧倒的人気に繋がっている。「マトリックス」ファンは、何度でも劇場に足を運ぶだろう。最後のSF問答なんて、まるで「2001年宇宙の旅」だ。


とはいえ「マトリックス」がこれほど話題となるのは、やはり最新のCGを駆使したそのヴィジュアルとアクション・シーンにあるのは間違いない。予告編を見ただけで、確かに他の作品とレヴェルが違うと感じさせる。その、作品内にいくつもあるアクションのうち、特にネオがマルチ・エージェント・スミスと戦うシーンと、キーメイカーを追ってくる双子を相手のフリーウェイでのカー・チェイスの二つのアクション・シークエンスは、今回の白眉だ。


香港/中国カンフー映画は既にこういう組手/アクションをこれまでに何度も映像化してきた。これが進化した形がワイヤー・アクションであったわけだが、アジアは技術的にそれ以上発展するのは難しく、CGと融合するまでは行かなかった。「マトリックス」の最大の面白さは、生身のアクションとしては最高峰のカンフー・アクションが、CGの助けを借りて、さらにもう一段レヴェルがアップしたことにある。


観客はCGっぽいと、嘘くさい、虚構と反応するから、アクション・シーンはできるだけ生身でやる方が面白く感じる。実際にはできそうもないことを実際にやっていると感じることこそが、よくできたアクション・シーンの要諦だ。そのため、どんなにCGが発達しても、最終的にアクション・シーンがよくできているかどうかは、やはりそれを演じる俳優如何にかかってくる。今後技術が進歩して、本当に生身の俳優のように見えるCG俳優が出てくればどうなるかはわからないが、少なくともそれは今後数年で起こることはないだろう。


その点で半年から1年という準備期間を置き、徹底的に身体を鍛え、ワイヤーで吊るされようが何されようが、一応、実際に本人がアクションをこなすネオとエージェント・スミスのカンフー・シーンが面白いのは、非常によく納得できる。さらにこのシークエンスは、互いに相手に襲いかかるアクション・シーンであり、何度も何度も相手にパンチを浴びせながら、一滴も血が流れない。つまり、彼らがしていることは、相手を倒すための喧嘩というよりも、様式美に則った舞踏だ。だからあんなに手を繰り出しても、結局どちらも倒れない。


しかもスミスなんて、何十人もの自分の複製を呼び出しておきながら、基本的にネオに対する時は一人ずつかかっていくのであり、これでは自分が何十人もいる意味はない。実際、スミスが揃って相手に向かっていく時は、結局自分が多すぎて相手がどこにいるのかわからなくなってしまうというギャグになってしまい、アクション・シーンはこれで終わりということを観客に教える合図にしかならないのだ。


それで結局、もしスミスは、マルチ・スミスと化しながら実は本当はネオを倒す意図は本当は持っていないとしたら、何のためにいるのだろう。彼の実態はマトリックスのプログラムであり、それが暴走した結果、一人プログラム外で単独行動に走る、要するに、プログラムのバグだ。そのため、ほとんど神出鬼没で、こちらに現れたかと思えば、思わぬところであちらにも現れる。ここで思い出すのは、スミスは「ロード・オブ・ザ・リングス」にも出演しているヒューゴ・ウィーヴィングによって演じられているということである。21世紀のSF界がこれからどういうふうに展開していくのかは、ウィーヴィングのこれからの出演作次第と断言しても言い過ぎにはならないような気がする。


フリーウェイのカー・チェイスでは、カメラが猛スピードで走るトラックのタイヤの間を抜けていくわけだから確実にCGなんだが、これもCGくささがないので、すこぶるエキサイティングだ。迫り来る車の間を逆方向にバイクで爆走するというシーンも、これまでに何度も見たことのあるシチュエイションなのだが、これだけのスピード感があると、手に汗握る。


たまたま「リローデッド」を見た晩に、TVで「T2」をやっており、冒頭のシュワルツネッガーの操るバイクと、ロバート・パトリックの運転するトラックのチェイス・シーンを久々にまた見た。既に10年前の作品であり、劇場のスクリーンとTV画面では一概にその迫力は比較できないとはいえ、しかし、「リローデッド」を見た後では、「T2」のアクションの古くささばかりが目についた。それだって公開当時は結構興奮して見たはずなんだが。多くの作品評で、アクションの描き方については「リローデッド」は「raised the bar」と評されているのだが、私も異議はない。今後、すべてのアクション映画は、当分は「マトリックス」と比較して語られることになるだろうが、このレヴェルのアクションに対抗するのは並み大抵のことではあるまいと思う。


しかし、今回、ネオがまるでスーパーマンのように空を飛ぶという展開は、思わず唖然とさせられる。完全にスーパーマンを意識して、空を飛ぶポーズまでそっくりなのだ。要するに、マトリックス世界では必ずしも物理的な法則によって動きが束縛されているわけではないということを示しているわけであり、だからこそ人間業じゃないアクションをネオがこなしても、それは認められる。だから双子が瞬間移動してもそれもそれで認められるわけだが、どうしても私はそこで引いてしまうなあ。


ところで、いくら最初から3部作として企画されたとはいっても、第1話はそれ自体で完結した話であったわけだし、いくら「リローデッド」の半年後の今年末には完結編の「レボリューションズ」が公開されるとはいえ、まさか今回、クライマックスで「続く」になるとは思ってもいなかった。正しくは「続く (To Be Continued)」ではなく、「次回完結 (To Be Concluded)」であったわけだが、いずれにしても、それはないだろうと思ってしまった。しかも本編が終わって、エンド・クレジットの途中で劇場を出て帰ってきてから、その後に、「レボリューションズ」予告編のようなおまけがついていたということを知った。すげえ損した気分。







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