Spider-Man

スパイダーマン  (2002年5月)

またまた油断してしまった。「スパイダーマン」は今年最初のブロックバスターとして、ヒットが当然視されていた。しかし、うちの近くのマルチプレックスでは、12スクリーンあるうち4スクリーンで「スパイダーマン」を上映する。それで、ま、混むのはわかるし、見たい回が売り切れになる可能性が高いのもわかるが、ほぼ30分間隔くらいで次の回が始まるわけだし、どんなに混んでも1時間くらい待てば見られるだろうと思って悠々と劇場に出かけた。このマルチプレックスでこれまでに最も混んでいた「X-メン」だって、そのくらい待てば見られた。ま、「スパイダーマン」もそんなもんだろうと思ったわけだ。


そしたら、土曜の昼1時半くらいの回を見ようと劇場に出かけたら、その回だけじゃなく、次の次の次の次のそのまた次の、4時半までのやつがすべて売り切れなのである。唖然としてしまった。いくらなんでも3時間も時間を潰しているわけには行かない。気持ちが完全に「スパイダーマン」になっていたので、今さら他の映画を見る気にもさらさらならない。それで翌日出直すことにしてその日は引き上げた。今までに一度もしたことはないが、これは本当に、インターネットで前売りを買ってから行かないと、明日ももしかしたらやばいかもしれない。


今、劇場の予告編で必ず宣伝しているムーヴィチケット・ドット・コムは、家でインターネットを通じてチケットを予約し、引き換え券をプリントアウトして窓口で本物のチケットに交換するという仕組みなのだが、さすがにこれだけ混むと、そういう仕組みも有効なようだ。いったい誰がわざわざこんな手間暇かけて映画のチケットを買うのかと思っていたら、長い列で待っている一般観客を尻目に、そのプリントアウトした交換券を手にして窓口に現れ、チケットを手に入れて悠々と劇場の中に消えていった客を初めて見た。私もやってみようかな。


結局、翌日曜は気合いを入れ、10時半から始まる朝一の回を見ることにして出かけた。いくら早起きの子供がいる家庭でも、こんな朝早くから映画を見ようと思う暇人はそんなにいないだろうと思って、ムーヴィチケット・ドット・コムで予約していくのは止した。やっぱ面倒くさいんだよ。それにしてもこんな時間から映画を見に行くのは、小学校の時、父親が会社で手に入れたただ券をもらって、よく友人と一緒に朝イチで街に繰り出した時以来だ。いずれにしても、劇場に出向いたら、朝10時過ぎだというのにすごい列なのだ。これはびびった。しかし運がよかったことに、多くの人は混んでいることを見越して、その日の午後や夜の目指す回のチケットを手に入れておいて、後でまた来ようと考えた者がほとんどだったようで、さすがに10時半の回はまだ売り切れではなく、なんとか見ることができた。しかし、列に並んでいる途中でも何時何分の回は売り切れ、何時何分の回は売り切れと続々と売り切れのアナウンスがあるので、結構冷や冷やもんだった。


それにしてもなぜ「スパイダーマン」はここまで多くの人々にアピールするのか。ヒーローものは子供連れを中心とする家族に受けるだろうし、実際、「スーパーマン」、「バットマン」、「X-メン」と、この手のやつはだいたい大型のヒット作品になる。しかし、やはり子供連れの大人だけでなく、我々みたいに子供のいない夫婦のような大人も面白そうに思って見に行くからこそ、これだけのヒットになる。しかし、私がガキの頃「ウルトラマン」を親も一緒に見ていたかというと、まるでそんなことはなかった。アメリカだって、コミック・ブックの「スパイダーマン」を大人が読んでいるかというと、いわゆるマニアやオタク系の人間以外、まずそんなことはない。それなのに、なぜ映画になると大人も喜んで見に行くのか。


多分ヒーローものは、そもそも見せ物として、興行としての映画という媒体と相性がいいんだろう。特にふんだんに金を使って、特撮、アクション、大都会壊滅! なんてシーンを見せてくれるハリウッド大作は、やはり何と言おうと映画の醍醐味の一つである。特に今回は、元々生まれた時から超人のスーパーマンやバットマンとは異なり、がりがりで貧弱な体躯の持ち主である一人の青年が実は本当は悪から世界を救うスーパーヒーローだったという点で、その点こそが多くの人々にアピールしているのではないか。皆は自分をバカにするけれども、実はこの自分こそが世界を守っているんだという屈折したナルシシズム、ここに人々は自分を投影して快感を覚えるんじゃないかと思う。「スパイダーマン」のこういうなりきりヒロイズムは、これまでのアメリカ製のヒーローものではあまり例を見なかったものだ。「スーパーマン」のクラーク・ケントも私生活ではあまり頼りにならないどじな男という印象がなきにしもあらずだったが、「スパイダーマン」のピーター・パーカーに較べれば、全然ましである。


実は今WBが放送している、そのスーパーマンの若い頃を描くというTVドラマ・シリーズ「スモールヴィル (Smallville)」は、まさしくそういう展開である。つまり、若き日のクラーク・ケントはドジで間抜けで人からバカにされている悩める若者という設定になっており、そういう展開こそが今のティーンエイジャーを中心とする視聴者から支持されている。昔々、アメリカが世界でただ一国、強大で自信に満ち溢れた国だった時は、強い「スーパーマン」でもよかった。しかし「スパイダーマン」の屈折は、既にアメリカだけが世界のリーダーシップをとるとは限らなくなった、今の世界の状況を敏感に反映しているような気がしてならない。ハリウッドとアメリカ国民も少しは挫折を知って、ちょっとは大人になったのだ。また、さらに「スパイダーマン」は、ちゃんとヒロインがいてロマンスも盛り込んではいても、そのロマンスが決して成就しない、という設定になっている。そういうのも自分は世界のために一人犠牲になるのだというナルシシズムをくすぐるんだろう。


それでも、特に日本製のこういうスーパーヒーローものとアメリカ製のスーパーヒーローものを較べて気づくのが、主人公の自意識の差である。日本製のスーパーヒーローは、たいがいが自分の希望からヒーローになるのではなく、たまたまそういうある種の力を持ってしまったがために、周りから選ばれてしまうという展開が多かったように思う。だからスーパーヒーローになった後でも、わりとうじうじして悩める主人公になることの方が多かった。この種のヒーローとしては最初の、人間ですらない「鉄腕アトム」からして既にそうだった。しかし「スパイダーマン」では、確かに主人公は最初は自分の意志とは無関係なところでスーパーヒーローになってしまうが、そういう力を持ってしまった後は、積極的にどうやったら自分が世界を救えるかを考える。一体全体、日本のスーパーヒーローの誰が自分の部屋で自分の着るコスチュームをああでもない、こうでもないとデザインして悩むというのか。こういう自発的な姿勢というのは、日本のスーパーヒーローものではとんと見かけない。


オリジナルのコミックを読んだことがないから何とも言えないのだが、主人公のピーター/スパイダーマンに扮するトビー・マグワイアのキャスティングは、完璧だとあらゆるところで言われている。かつてクリストファー・リーヴがスーパーマンに扮した時も、よくこれだけイメージにぴったりの俳優をキャスティングできたなあと感心したものだが、今回はそのリーヴのスーパーマン、マイケル・キートンのバットマンよりも完璧なキャスティングであるという意見をよく耳にする。あの、どこか抜けているようなマグワイアの風貌がいいのか。それにしてもマグワイアって、一見、悩んでいるのか呆けているのかよくわからない。スーパーヒーローにしてはにやけたその口元をなんとかしろ、とついつい思ってしまう。でも、彼はうまく身体を作ったと思う。スパイダーマンに変化した後も、前より筋肉はついたのだが、それでも外見はキャラクターの設定上それほどムキムキマンであってはならず、できれば着痩せする方が役柄にしっくりくる。その辺のバランスはきっちりととれていた。


スパイダーマンのガールフレンドのメアリ・ジェーンに扮するのが、カースティン・ダンスト。隣りの幼馴染みという点ではぴったりだと思うが、彼女、最近、アップになってもそれほど魅力を感じなくなってきたと思ってしまうのは私だけか。世界のスーパーヒーローのガールフレンドにしては、あまりにも普通すぎると思ってしまうのだが。その対となるピーターも日常生活では冴えない男という設定だし、それでバランスはとれているのかも。しかしダンストも出演作が途切れず、定期的に主演作が公開される。きっと彼女もジュリア・スタイルズやリース・ウェザースプーン系統の、どこにでもいそうな普通っぽさを持ちながら、きっちりと演技をするところが製作サイドから受けているのだろう。


その他、今回限りの仇役グリーン・ゴブリンを演じるのはウィレム・デフォーで、その息子という立場でありながらピーターの友人でもあるハリーを演じるのが、ジェイムス・フランコ。フランコは昨年、ケーブル・チャンネルのTNTが放送した「ジェイムス・ディーン」に主演してゴールデン・グローブ賞のTV映画部門で主演男優賞を獲得している。実は私は「ジェイムス・ディーン」を見ていなかったので、今回初めてフランコが演技するところを見たのだが、本当に彼はジェイムス・ディーンに似ている。ちょっとうつむき加減で陰のありそうなところなんてそっくりだ。そのフランコ演じるハリーといい、マグワイア演じるピーターといい、二人共ぼそぼそと口を動かさないで喋るネクラっぽい雰囲気も共通している。この二人がライヴァルになるわけで、要するに、この辺がいかにも現代風のヒーローものという感じになっている。


監督のサム・レイミはきっちりと仕事をしているという感触を受けたが、印象的だったのが、最近、「スパイダーマン」が公開間近ということでよくTVに出てきてインタヴュウを受けていたレイミ本人である。その撮影風景を見ると、レイミは最近の映画監督としては珍しく、ちゃんとスーツを着こなしてネクタイを締めて演出するのだ。50年前のハリウッドじゃあるまいし、今でもネクタイをして映画の演出をする人間がいたとは想像すらしていなかった。そういう自意識、自分なりの職業倫理、あるいはストイシズムが、作品にも表れているような気がする。


しかし今回、実は私にとって最も印象的だったのは、作品の内容自体ではなく、その舞台が私の住んでいる近所であったということだった。最初の方でマグワイアが走っているバスに乗り遅れまいとしてバスと並走するシーンがあるのだが、そこでそのバスの中にいるダンストが、ウッドヘイヴン・ブールヴァードからずっと走ってきているんだから、可哀想だからバスを止めてあげなさいよ、みたいなことを言う。おお、ウッドヘイヴン・ブールヴァードですか。すぐ近くです。マンハッタンの中でも、タイムズ・スクエアやら勝手知ったる場所が次々と出てくるのだが、フラット・アイアン・ビルはうちのオフィスから2ブロックしか離れていません。


極めつけがマグワイアが多分自宅の近所と思われるところを走るシーンで、いきなり本当に私んちのアパートの近所がスクリーンに映った時はびっくりした。そこそこ、そのグローサリー・ストアで私はほとんど毎日買い物してんです。マグワイアは道路を走って渡っていくのだが、そこじゃなく、もう1ブロック先で曲がれば、カメラがパンした時に間違いなくうちのアパートも映ったはず。惜っしーい! (何が?) もしかしたら世界で何十億人もの人間が見るはずの映画にうちのアパートがさり気なく登場したかもしれないのだ。いや、何が興奮したかって、実はそのことが一番興奮させてくれた。私も結構ミーハーなのでありました。


結局、「スパイダーマン」は公開初週の金、土、日の週末の興行成績が1億1,400万ドルという、昨年「ハリー・ポッター」が打ち立てたばかりのレコードを軽々と破り、新記録を達成した。配給のソニーはここ2、3年ほどヒット作品に恵まれなかったが、今年はインデペンデンス・デイには「メン・イン・ブラック2」と、またまた超特大ヒットが見込まれる作品の公開が待っている。今年はソニーの年になりそうだ。ところで本編が始まる前に予告編を見ていたら、現在撮影中のアン・リー監督の「超人ハルク」の予告編もしていた。公開はなんと来夏である。1年以上も先に公開する作品の宣伝を今からするのか。ちょっと頭がくらくらしてしまいました。








< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system