The Beach

ザ・ビーチ  (2000年2月)

「トレインスポッティング」のダニー・ボイルが今人気絶頂のレオナルド・ディカプリオを起用、批評家からも好評だったアレックス・ガーランドの97年発表の同名の原作を映像化。ディカプリオが扮するのはタイのバンコックに旅行中のアメリカ人観光客(原作ではイギリス人である。) なんでも思ったものが手に入るために逆にすべてに退屈した青年という役どころ。人生の薬味というか、冒険を求めてはるばる東洋の小っちゃな国にまで来てみたが、そこでも似たような冒険を期待する同様の境遇の外人観光客がうじゃうじゃいて、状況は何にも改善しない。


そんなところに、誰にも知られない美しい小島で人知れず共同体を営む史上最後の楽園の話をホテルで隣り合った謎の男から知らされる。とにかく何か面白くて楽しくて危険な冒険をしたくてたまらない青年リチャード (ディカプリオ) は、同じホテルに宿泊しているフランス人カップルを誘ってその秘境目指して旅立つ。果たしてその桃源郷は本当に存在するのか。そして彼らの行く手に待ち受けるものは?


誰も知らない南国の楽園での共同体生活という設定ですぐ思い出すのがゴールディングの「蝿の王」。これは原作も凄かったがモノクロで撮影された映画も秀逸の出来だった。あるいはちと古いがフランク・キャプラの「失はれた地平線」。はたまたあるいはフランシス・フォード・コッポラの「地獄の黙示録」。どれも設定は似たようなものだからな、「ザ・ビーチ」も絶対比較されるぞ。と思っていたらやっぱり、しかも散々叩かれた。ユアン・マグレガー、アシュリー・ジャッド主演の「氷の接吻」ほどじゃなかったが、それでも批評家からは気に入られなかった。見て納得。いやディカプリオは頑張っているんですけれどね。


設定の不可思議さ(多分本だとあまり気にならないのだろうが、映像で見せられると21世紀の世界にこんなの本当にあるの?とどうしても思ってしまう)も当然あるが、あらゆる媒体から指摘されていて、私も同感なのが、あまりにも色々なプロットを詰め込み過ぎたために焦点がぼやけて収拾がつかなくなっているということ。謎の秘境を目指して旅をしている時はまだよいが、後半になると、リチャードが勝手に舞い上がったり落ち込んだり、開き直ったり、ヴィデオ・ゲームの主人公にまでなったりして(見ればわかります)、忙しいったらありゃしない。しかもそれが無理がある唐突さで、後半はほとんどディカプリオの一人芝居。彼のファンには受けるかも知れないが、ほとんどの観客は置き去りにされるだろうなあ。


リチャードと一緒に秘境を目指すフランス人のカップル、フランソワーズ (ヴィルジニー・ルドワイヤン) とエティエンヌ (ギョーム・カネ) も、フランソワーズはともかく、エティエンヌはリチャードにフランソワーズを取られてから出番がさっぱりなくなってしまう。最初こわもてで出てきたエティエンヌは、共同体から見捨てられた鮫に噛まれた男をつきっきりで看病するという根は心の優しい男という役どころで、私は彼がこの後どうなるかと思っていた。


そしたら段々出番が少なくなってきて、看病している男の死と共に彼は忘れ去られてしまった。そりゃあないでしょう。フランソワーズだってほとんど刺し身のツマ的な重みしか持っていない。彼女に惚れてわざわざ旅行に同伴を誘ったんだったら、もうちょっと構ってやれよ、リチャード。あと、絶対もっと使い用があると思う共同体でのリチャードの恋敵など、誉める点より先にどうしてもあれはこうすればよかったのにという点の方が先に見えてしまう。観客を物語に溶け込ませるより先にそんなこと感じさせてしまうというのは、まずいよなあ。


ディカプリオにホテルで謎の島の地図を手渡す男が、誰あろうロバート・カーライル。ボイルの「トレインスポッティング」にも出演しているわけだから当然のキャスティングか。もちろん「トレインスポッティング」同様の切れた役柄で、この間見た「アンジェラの灰」でも「ワールド・イズ・ノット・イナフ」よりはそちらの方が断然よいと思ったが、彼が本当に映えるのはやっぱりこういう切れた役だなあ。とにかくスクリーンに映っている間中切れまくって圧倒してくれる。


謎のコミュニディのリーダーに扮するのは「オルランド」のチルダ・スウィントン。いやあ、主人公のディカプリオよりも、カーライルよりも実はこの映画で最もはまっているのが彼女です。文句のつけようのないキャスティング。「オルランド」でもそうだったが、一人別世界に住んでいるような希薄なカリスマ性とでもいうようなものがぷんぷんしていて、この人、もうちょっと美人だったら今のケイト・ブランシェットがやっているような役を既に全部こなしていただろうにという気がする。


この映画、昨年秋に公開予定だったのが伸び伸びになっていた。年も押し迫ってくるとアカデミー賞目当ての各スタジオが自信をもって推してくる作品が目白押しになるため、そういう賞レースに挟まれて誰も見ないまま消えていくのをスタジオが怖れたのだろう。そのことからも作品の出来に自信が持てなかったスタジオの懸念が伺えるが、年が明けて賞レースが落ち着いてからの公開でも、この映画を救うまでにはいかなかったようだ。最も観客動員数の高い公開初週でも1位は「スクリーム3」で2位に甘んじ、その後はあっという間にずるずるとトップ10から消えていった。出来から言ってもディカプリオのファン以外は口コミで人を呼べる作品じゃなかったし、しょうがないか。


ディカプリオは「タイタニック」がヒットし過ぎたあまり損しているというのが私の印象である。元々彼はどちらかというと演技派で、今のようなスーパースターになるのを本人も別に望んでなかったと思う。彼はただ、自分のしたい役をやっていければ充分満足だったはずだ。さもなければ「バスケットボール・ダイアリーズ」なんて滅茶マイナーな映画には出なかっただろう。でも「タイタニック」の超ヒットのせいで、好むと好まざるとにかかわらず、やることなすこと世界中が注目するようになってしまった。「ザ・ビーチ」はベルリン映画祭でオープニング作品として上映されたが、向こうでもマスコミのフィーヴァーぶりは凄かったそうである。


父がイタリア人、母がドイツ人のディカプリオはベルリンの壁崩壊の前から何度もドイツには足を運んだことがあるそうだが、昔は誰も彼に見向きもしなかったのに今は一人じゃ外を歩けないらしい。可哀相に。そういえば「タイタニック」公開前まではニューヨークでもディカプリオを目撃した話をよく聞いて、私の知り合いもヴィレッジのすし屋でガールフレンド連れですしを何人前もばくばく食っていたディカプリオを見かけたと言っていたが、今ではそんなことできないに違いない。スターになるっていうのも考えものだ。


最後に、撮影のダリアス・コーンジーは、現在世界で最も注目されている撮影監督ではないか。「セブン」、「魅せられて」、「エビータ」と、名だたる監督と共に仕事をしてきて、その全部で見事な職人ぶりを発揮している。「セブン」での雨の降る都会、荒涼とした郊外、「魅せられて」での暖かい光の注ぐタスカニーの自然、「エビータ」での大規模な撮影、どれをとっても一流である。今回も撮影が非常に難しいはずの森の中でのシーンや、美しい、美しいと観客を思い切り期待させといて現れた湖のシーンなど、もしこれが期待はずれだったらもうそこでこの作品は失敗だったはず。そのあたりちゃんとしっかり押さえていたからなあ。でもボイルに映像はよかったよと言ったら舌噛んで死んだ方がましだと思うんだろうな、やっぱり。






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