Eye of the Beholder

氷の接吻  (2000年1月)

ワシントンの大使館付けで働く英国の秘密諜報員が、ある女性連続殺人犯を追ううちに彼女に感情移入してしまい、彼女を捕えるどころか逃げる手助けまでするようになってしまうという、1980年のマーク・ベームの同名のベストセラーを現代風に脚色して映画化。諜報員に扮するのがユアン・マグレガー、殺人犯がアシュリー・ジャッド、監督が「プリシラ」のステファン・エリオットと来れば、どうしても気になる。


しかしこの映画、最近これくらい叩かれた映画はないんではないかと思うほどあらゆる媒体でけちょんけちょんに貶されてしまった。マグレガーが「スターウォーズ:ファントム・メナス」、ジャッドが「ダブル・ジョパディ」、「コレクター」等で名実共にスターの仲間入りを果たす前の98年に製作され、ずっと公開が見送られていたことを思えば出来も察しがつくというもの。この二人が今のようにビッグ・ネームにならなければ多分お蔵入りになったものと思われる。


マグレガー扮する諜報員、暗号名アイ・オブ・ザ・ビホールダー(これが原題である)は、いわゆるオタク系の諜報員で、調査を依頼された人物を現代テクノロジーの粋を駆使して監視するのが仕事。様々なカメラや盗聴器を使う仕事振りは、それなりに面白い。この辺り「エネミー・オブ・アメリカ」を思い出した。一方のジャッド扮する殺人犯ジョアンナは、幼い時に父に捨てられ、以来自分の身は自分で守ってきた、生き延びるためなら何でもする女性。アイは昔、自分のせいで妻と娘を失った経験があり、仕事中でも娘の幻影が現われ、彼に語りかけたりする。ジョアンナを監視するアイに娘は囁く。「彼女は小さな娘と同じなの。守ってあげないと。」そしてジョアンナを監視するはずの仕事は、陰ながら彼女を助ける仕事となって、彼女の後を追い、アメリカ中を横断する逃避行へと様変わりする。


まず、この娘が、最初はともかく後半まったく消えてしまい、アイが何でジョアンナを追い続けるのかに説得力がなくなってしまうのが一つの欠点。後半はジョアンナを追いかけていくのがほとんど惰性に見えてしまい、そのため今一つ盛り上がりに欠ける。アイが何としてもジョアンナを助けなければという辺りの書き込みがもうちょっとあれば、もっと面白くなったのにと残念。特に後半、誰かが自分を追っており、しかもその誰かは自分の逃亡の手助けをしてくれていると気づいたジョアンナとアイの間に見えない駆け引きをもっと付け加えることができれば、傑作になった予感もするのに。ああもったいない。


しかし、彼女の行き先を知る由もないアイが、なぜ、行く先々で巧く監視カメラを設置できたりするのかは疑問。特にホテルでなぜだか隣りの部屋になったアイが壁越しにジョアンナの気配を感じるシーンとかは、もちろん屈折した愛のドラマとしてそういうシーンを描きたかった監督の意図はわかるが、ドラマの蓋然性という部分から見ると、まったくもって不用意としか言い様がない。007シリーズを見てるんじゃないんだからさ、何事もそう巧く運んじゃうと逆に興醒めしちゃうよ。


また、作品そのものとはあまり関係ないのだが、ジョアンナが移動する場所の説明をするのに、アイがいつも娘に買ってやる記念のその土地の置物のクロース・アップからディゾルヴで次のシーンに移るという、凝ったというか、通常ではあまり見ない演出をしている。ただ単に字幕を入れるとか、その土地の名所を映して納得させるとかいうありきたりの演出をどうしてもしたくなかった監督の思い入れはよくわかる。その効果はともかく、印象的だったので一言。


ストーリーを追えば、多少の違いがあるとはいえ、ある一人の女性に偏執的に固執するという男という設定から、誰もがヒッチコックの「めまい」を思い出すのは確実。しかも逃避行を続けるジョアンナを追って、二人は「めまい」の舞台となったサンフランシスコにも現われる。あの金門橋まで現われ、たとえ原作通りに撮っていようとも、監督も「めまい」を意識しているのは間違いない。それなのに、「めまい」であれほど観客を陶酔させた、あのサンフランシスコの坂を何度も何度も上下する車の追跡シーンのような演出が、「氷の接吻」にはない。もし原作になければ、何かエピソードを付け足せよ。そのために自分で脚色してるんだろ (実は1シーンだけ、この坂が重要なシーンで使われるのだが、それをばらしてしまうと著しく興を削ぐことになるのでここには書きません)。室内劇でもないし、外のシーンがあれほどあって、それなのにあれだけ映画的にそそる街並みを活用できなければ、失敗作の烙印を押されてもしょうがないなあ。


マグレガーは「スターウォーズ: ファントム・メナス」を例外として、ハリウッドではいまだに名前を確立しているとは言い難い。この間の「ナイトウォッチ」も、公開したと思ったらすぐ消えていたし。他にもイギリスで出演した作品でアメリカでは公開されてない作品が幾つもある。「ローグ・トレイダー」なんて劇場公開されなくていきなりTVで放映されたし、まだまだ彼の名前だけでは客を呼べないようだ。いまだに本拠をイギリスに置いているのは正解だろう。出世作の「トレインスポッティング」にしても、どちらかというと根暗っぽい役だったし、西海岸の陽光とは相性がよくないのでは。一昨年だかに「E.R.」にゲスト出演した時は、アメリカの生活に馴染めなくて犯罪に走る青年という役で、そちらの方がずっと役にはまっており、出来もよかった。まあ、「氷の接吻」も根暗の役だし、役柄に合ってないということではなかったんだが、彼は「スターウォーズ」を例外として、インディ映画の方がずっと似合っていると思う。


アシュリー・ジャッドを見るのは、純粋に楽しみである (残念ながら「ダブル・ジョパディ」は見逃したが)。彼女は作品の中でヌードになることも厭わない、ハリウッドでも肝の据わった女優の一人である。以前「ノーマ・ジーンとマリリン」でヌードを披露した時も、その思い切りのいい脱ぎっぷりに喝采を送ったものだが、名前が売れるとすぐ脱がなくなったシャロン・ストーンはジャッドを見習うべきだ。「カフス!」に出演した時、ヌード・シーンを嫌がって揉めたそうだが、一体何が彼女を変えたのか。いずれにしてもこのまま頑張って欲しい。


「氷の接吻」では豪華系から眼鏡を半分ずり落として相手を見るおばさん系まで、変幻自在のジャッドを堪能できる。数年前のアカデミー賞で、ほとんど腰までスリットの入ったチャイナ・ドレスのような衣装で現われ男性諸氏を圧倒したが、そのようなモデル紛いのような容姿を誇るジャッドが、おばさん臭い役に扮するのを見るのはたまりません。名前が売れるきっかけとなったインディ映画の「ルビー・イン・パラダイス」でも、普通のお姉さん然としたところが逆に光っていたし、「ヒート」でも「評決のとき」でも、ごく普通の家庭の主婦という脇役なのに非常に強い印象を残した。


「レ・ミゼラブル」でのウマ・サーマンもそうだったが、美人であればあるほど、貧乏だとか、品性卑しいとか、落ちぶれた役をさせると逆に色気を発散させるタイプがいる。ジャッドもその系列であるのは間違いない。シャロン・ストーンが落ちぶれた役をしても、彼女は贅沢な生まれであることを隠しようがないだろうが、ジャッドは美しいのに下品な魅力を発揮できる数少ない女優の一人である。これは持って生まれたものであって演技力云々でどうにかなるものではない。これからもこの路線で頑張ってもらいたいものだ。


ところでこの作品にはなぜだか、ポップ・シンガーのk. d. ラングがアイと諜報部の連絡係という役で出ている。最初、あれ、と思ったものだが、レズビアンで知られる彼女の、連絡係としての中性的(男性的?)な部分が巧く役柄にマッチしており、このキャスティングは納得できた。また、私としてはデイヴィッド・クローネンバーグの「戦慄の絆」以来となるジュヌヴィエーヴ・ビジョルドが、ジャッドが幼い時にいた矯正所の所長役として出ており、この人、昔から若いのか老けてるのか、美人なのかそうでないのかよくわからなかったが、今回もそういうキャラクターを巧く使った演出があり、にやりとさせられた。そういう巧い部分も随所に発揮しているのに、全体として見ると失敗していると言わざるを得ないのはまったく残念。しかしジャッドは遺憾なく魅力を発散しており、ジャッド・ファンを中心にカルト作品となるのは必至と見た。






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