Angela's Ashes

アンジェラの灰  (2000年1月)

ハード・カヴァーで数年にわたってニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストで上位をキープした後、さらにペイパー・バックになっても30週以上にわたってベストセラー・リスト入りを続ける、現ニューヨーク在住の教師フランク・マッコート著の同名のノン・フィクションの映像化である。アイルランドの極貧の家庭に生まれ、夢を託して一家でアメリカに渡ってきたがそこでも貧困から這い上がることができずまたアイルランドに逆戻りするという、苦渋に満ちた生活を強いられたフランク。そのフランクの幼い頃から、青年になってまた単身アメリカに向けて旅立つまでを描く。主人公フランク(フランキー)を幼い頃、少年時代、青年と3人の役者が演じており、私は一番幼い時のフランクが最もいいと感じたが、まあ、これは人それぞれだろう。皆、好演している。


プライドは高いがアルコールに目がなく、飢えている家族を抱えながら酔っては馘首になるということを繰り返す、どうしようもない父にはロバート・カーライルが扮しており、情けなさが素晴らしく板についている好演。酔って階段の小便壷をひっくり返し、自分の小便にまみれながら寝てしまうという恐ろしい役柄にはまっているというのは、喜んでいいのか悲しんでいいのか。この間「007ワールド・イズ・ノット・イナフ」であんまりしっくりこないなあと思っていた矢先だけに、そうそう、あなたはこうでなくちゃとほっとした。その妻アンジェラにエミリー・ワトソン。「奇跡の海」以来注目している私としては今回も興味津々だったが、やはりいいなあ。美人とは言い難いのに目を逸らさせない魅力がある。ヨーロッパのメリル・ストリープとでも申しましょうか。


しかし何といっても今回の最大の関心は、果たしてアラン・パーカーがどのような演出をしたかにあった。自身イギリスの低層階級に生まれ、「ザ・コミットメンツ」でも見せたように「貧乏」を描かせたら右に出るもののいないパーカーは、新作が出たらとにかく見に行く監督の一人である。前回のマドンナの「エビータ」が話題性のわりには特に出来がよかったとかヒットしたということもなく、何となく尻すぼみに終わってしまったこともあり、今回は古巣に帰って思う存分勝手知ったるものを演出したいところ。


でも、何というかなあ、貧乏は確かによく描けていたとは思うのだが、原作の忠実な映像化に終始し過ぎたような気がする。色んな印象的なエピソードが出てくるのは認めるが、何か、全部原作の中のエピソードを映像化して、それを繋げただけで2時間20分が経ってしまったという感じで、えらく忙しなかった。私は「フェーム」や「ミシシッピー・バーニング」のような、一つ一つのエピソードがクライマックスに向かって収斂していくような作品がもう一度見たい!


先週見た「ヒマラヤ杉に降る雪」といい、今回の「アンジェラの灰」といい、両作品ともベストセラーの映像化であり、話題性充分なのだが、両方とも批評家受けがもう一つで、観客動員数ももう一歩といった状況である。やはり原作つきはなあ、ベストセラーであればあるほど余程出来がよくない限り人は見に行かないようだ。大概文芸作品の映像化はオリジナルに及ばないというのがあるし、原作を既に読んでいる者はイメージが固まっているし。「シンプル・プラン」のような隠れた名作的な作品だと、皆オリジナルを知らないから批評家も誉めるんだが。


ところで今気づいたのだが、「ヒマラヤ杉に降る雪」は、パーカーが自分自身「最高傑作だが、総すかんを食って黙殺されてしまった」と言った「愛と哀しみの旅路」に状況設定がそっくりではないか。あれも日系二世の収容所ものだった。と見てきたふうな物言いをするが、実は私はこの作品は見逃している。だって劇場にかかって次の週にはもう消えていたのだ。あっと思った時はもう遅かった。それ以来絶対見逃せないと思う作品は必ず公開した週に見に行くことにしている。ヴィデオはなあ、まあそれしか手段がなければ考えるが、私はたとえ傑作でもヴィデオで見るよりは今公開したばかりの作品を劇場で見たいと思う方なので、まあ、いつかは見る機会があるだろうと思っている。


閑話休題。日系二世の収容所ものの話だったが、多分、マジョリティはマイノリティのことは気にしてないんだろうということに落ち着きそうだ。アメリカでは今、黒人映画が結構ヒットしてきているが、やはり観客のほとんどは黒人である。例外はエディ・マーフィのコメディくらいで、「ため息つかせて」がヒットしたのは、とりもなおさず「普段は映画を見に行かない黒人層」を取り込むことに成功したからと言われている。日系人が主人公の映画なら、アメリカに住む日系人が少なければヒットは見込めないということだろう。


「アンジェラの灰」が今一つ興行成績を伸ばせないでいるのは、アメリカにいるアイリッシュがマジョリティでないのとやはり関係があるか。そういえばアメリカの劇場では普通、上映が最後のクレジットに差し掛かるとほとんどの者は席を立って出て行ってしまうが、この映画では多くの者が最後の最後まで残っていた。場内が明るくなって見てみると、これが皆多分アイリッシュと思われるじじばばばっかりなんだなあ。若い頃を思い出して懐かしくなっていたのだろうか。






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