Solaris

ソラリス  (2002年12月)

スタニスラフ・レム著のクラシックSFの再映像化と言うべきか、それともアンドレイ・タルコフスキー作品の再映像化と言うべきか、いずれにせよ、スティーヴン・ソダーバーグが「ソラリス」を撮った。それにしてもこの2年半で5本目の監督作の公開である。さすがにこのペースでは身体が持たないようで、少し休むとインタヴュウで答えてたが、いずれにしてもハリウッド娯楽大作からインディ系の実験作まで、これほど幅広い芸幅を持っている監督は他にいまい。


実はタルコフスキー版「ソラリス」で一番記憶に残っているのは、話そのものよりも、未来都市として提供される東京の首都高の映像だったりする。この映画を見た時は私は田舎から上京してすぐだったこともあり、多分タルコフスキーが首都高を見てワクワクだかドキドキだかしたのと同じような感覚で首都高を見ていたというシンパシーを強く感じたのだ。さて、ソダーバーグはどういう「ソラリス」を見せてくれるのか。


精神科医のクリス (ジョージ・クルーニー) は政府のエージェントからの訪問を受ける。惑星ソラリスに向かった宇宙船乗組員がクリス宛てに奇妙なメッセージを送った後、交信を絶ったのだ。クリスはソラリスの上空に静止する衛星に送り込まれ、そこで乗組員のスノウ (ジェレミー・デイヴィース) とヘレン (ヴィオラ・デイヴィス) に出会う。実はソラリスは乗組員の思考を読み、その人物が最も大事に思っている者を眼前に現出せしめるのだった。そのため、それらは本物ではないことを知ってはいても、乗組員はやがて精神の平衡を失うようになる。そしてクリスの目の前に、自殺した妻、レヤ (ナターシャ・マッケルホーン) が現れる‥‥


基本的にソダーバーグの作品はオリジナル作品が多いが、原作つきも結構ある。既に一度映像化されている作品の再映像化という点でも、考えたら「ソラリス」だけでなく、「トラフィック」もそうだった。しかも、どちらもわりと新しめの作品である。しかし、誉められているわりにはあまり見た人がいない作品を選んでいるため、あまりリメイクということが話題になることはない。日本ならかつてタルコフスキーがブームになったこともあるため、タルコフスキーの「ソラリス」を見たことがある者 (大半は寝たと思うので、見に行ったことがある者、と言い直した方がいいかも知れない) は結構いるかもしれない。それにしても、大きなブームだったとは言えないかもしれないが、それでもタルコフスキーがブームになるという国は、考えてみると大したものだ。


それにしても、見ている間中は面白かったとはいえ見た後はすかっとすっぱり忘れ去ってしまえる「オーシャンズ11」のような作品だけでなく、見た後の方がじわじわ来る「ソラリス」のような内省的な作品も撮れるソダーバーグの芸幅は、本当に広い。今回は最近のハリウッド大作路線とは異なり、傾向から言えば前回の「フル・フロンタル」路線に近いと言えないこともない。しかし、本当に手触りが似ているのは、出世作の「セックスと嘘とビデオテープ」だろう。実際、「ソラリス」はSFの体裁を借りた愛のドラマであり、「セックスと嘘とビデオテープ」に似てても何の不思議もない。


主演のジョージ・クルーニーも、これまでのアクション路線からはがらりと変わり、なかなか渋いところを見せる。こうやって見ると、彼は本当にハンサムだ。クルーニーは今回、ベッド・シーンでケツ丸出しのシーンがあり、それが結構話題になっているのだが、インタヴュウを読むと、こういうベッド・シーンはヴェテランでもやはり難しいらしく、撮り終えた後、誰も声をかけてくれないし、視線を合わせないようにしているそうで、フィールド・キックのゴールを失敗したアメフトの選手になったような気がすると言っていた。


クルーニーの相方を勤めるナターシャ・マッケルホーンは、どうしてもアクション・スターっぽい印象を与えるクルーニーと、いいバランスをとっている。ヨーロッパ系の役者は、作品に知的な雰囲気を与えたい時に欠かせない。スノウ役のジェレミー・デイヴィースの役は、多分「12モンキーズ」のブラッド・ピットを意識してやっているんだろう。どちらかと言うと単なるバカにしか見えなかったピットよりは、こちらの方がオリジナルでないとはいえ、まだ私にはしっくり来る。科学者へレン・ゴードンに扮するヴィオラ・デイヴィスは、実は「アウト・オブ・サイト」、「トラフィック」と、同じく「アウト・オブ・サイト」と「オーシャンズ11」に出ているクルーニー同様、ソダーバーグ作品の常連である。


「ソラリス」は映像が印象的な作品でもあるのだが、その撮影を担当しているのはまたまたソダーバーグ自身である。構図といいカラー・バランスといい、彼は撮影監督でも一流だ。「フル・フロンタル」はやっぱり遊びというか、実験精神が過ぎたんだろう。それと、今回はこれまでのソダーバーグの作品の中で最も音楽が印象的だ。それを担当しているのは、ソダーバーグのインディ系の作品のほとんどに音楽をつけているクリフ・マルティネス。


内省的な作品だとはいえ、タルコフスキー作品と較べるとやはりハリウッド作品、こちらの方が物語に起伏があり、ドラマティックである。ソダーバーグ版ではタルコフスキー版ではほとんどあったように記憶していないクライマックスがあり、ちゃんとオチがついている。実はこの辺、幾つかの伏線を理解していないと、結構こんぐらがる。私も見た後で女房と、あのシーンにはああいう意味があった、このシーンは実はこういうことだったんだと、かなり意見が食い違った。作品の本質に関係するようなプロットでもかなり違うとらえ方をしていたのだが、それでも見た後で二人共面白かったと満足していたのだから、この種の作品は幾通りもの味わい方があるのだと考えることにする。


それでもアクション満載の作品ではなく、登場人物が走り出したりするようなシーンもほとんどないため、やや単調とも言えるカメラ・ムーヴメントだけでは観客の注意を維持できなくなる嫌いはあり、私が見た時も斜め後ろでいびきをかきながら眠りこけていたおばさんがいた。しかし、あのおばさん、少なくとも私たちと似たような30代以降のカップルか、クルーニー目当てのギャルたちしかいない場内で、たった一人でやってきて寝て帰るなんて、最初から休息するつもりで来てたんだろうか。


しかし、こういうゆっくりとしたリズムというのは、作品のできにはかかわらず眠くなってしまうものだ。私も前の晩にたっぷり寝ていなかったら、眠気と闘いながら見ることになったかもしれない。それでも多少の眠気を我慢して最後まで見ると、最後はかなり感動的な結末が待っている。久し振りに愛のドラマで心を揺さぶられるような体験をしてしまった。ああ、「フル・フロンタル」を見た後でもソダーバーグのバカタレと思わないで「ソラリス」を期待して待っていてよかった。







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