放送局: ABC

放送日: 11/22/2005 (Tue) 23:35-0:05

プレミア放送日: March 1980

ホスト: テッド・コッペル (-11/22/05)

ホスト: マーティン・バシア、シンシア・マクファデン、テリー・モラン (11/28/05-)


内容: 25年間の放送に終止符を打ったテッド・コッペルがホストの「ナイトライン」と、新生「ナイトライン」。


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1979年11月、イラン人質危機はアメリカ中の目をニューズ報道に向けさせるのに充分なニューズ・ヴァリュウがあった。ABCはテッド・コッペルをこの問題の報道に専任させ、毎夜、当時としては異例の夜11時半から事件を報道/解説させた。


この番組は深夜でも硬派番組を見ることに吝かではない視聴者にアピールし、固定視聴者を獲得したABCは、イラン危機にかかわらず時事ネタを報道する新番組を、翌年3月から同時間帯で放送開始した。それが「ナイトライン」である。つまり、そもそもの最初から、「ナイトライン」は硬派の番組であった。


「ナイトライン」でコッペルという個人が前面に出てニューズを報道/解説するというスタイルは、ネットワークでは夕方放送されるワールド・ニューズ番組に体裁が近い。それらの番組では、コッペル同様、トム・ブロコウ、ピーター・ジェニングス、ダン・ラザーという各ネットワークの顔とでも言うべきアンカーがいて、それぞれしのぎを削っていた。


ところがコッペルの「ナイトライン」は深夜放送であり、ニューズのような日替わりの新鮮なネタだけには焦点を絞らず、一つのテーマを絞り込んでいくというスタイルをとっている。そういう題材の処理の仕方だけを見ると、今度は「ナイトライン」は、どちらかと言うと「60ミニッツ」や「20/20」等のニューズ・マガジンの方に感じが近い。そういう独特の地位を占める唯一の番組が、「ナイトライン」であった。


「ナイトライン」がどれだけ独特かということの好例として挙げられるのが、昨年のイラク戦没者の氏名読み上げであろう。この時の「ナイトライン」は、時間を延長して延々とイラク戦争において没したアメリカ兵の名前をその写真と共に読み上げることに終始し、コッペルはそれ以外になんのコメントも挟まなかった。


このことは、いたずらに保守的な反動を煽り、中立であるはずのニューズ・アンカーにあるまじき行為として、ABC系列局ではこの時の「ナイトライン」の放送を見合わせるところもあった。そのこと自体の是非はともかく、こういったコッペルの独断による自由な編成が組めるところが、「ナイトライン」最大の特色であった。ワールド・ニューズでブロコウやジェニングスやラザーがこんな冒険をするところなんか想像もできない。


そういうコアの視聴者を持っていた「ナイトライン」であるが、近年のどのネットワークのどの番組もそうであるように、一時ほどの視聴者は獲得できていなかった。そういう時に降って湧いたように起きたのが、全ネットワーク・キャスターの心胆を寒からしめた2002年の番組キャンセル騒動である。この時、当の本人のあずかり知らぬところで、ABCは番組をキャンセルし、代わりにCBSのデイヴィッド・レターマンを引き抜いてきて深夜トーク・ショウを編成しようと画策、打診を重ねていた。これがマスコミに漏れたことから、上を下への大騒動になった。コッペルのみならず、たとえネットワーク・アンカーといえども、将来にわたって仕事は保証されているわけではないということを知らしめ、業界中に大きな動揺を巻き起こした事件である。これでコッペルがかなり嫌気が差したのは間違いないだろう。


そして昨年から今年にかけ、上記ブロコウ、ジェニングス、ラザーといったネットワークの大御所アンカーが続け様にリタイアするか鬼籍に入るなどして、長らく続いてきたワールド・ニューズ報道に終止符を打った。そしてコッペルも、当然のことながら今秋の契約の更新にサインせず、コッペルによる「ナイトライン」も最終回を迎えることになった。3年前にあれだけないがしろに扱われたのである、今回はコッペルは意地でも番組を降りるだろうというのは最初から業界の一致した見解であり、当然ABCですらそう思っており、辞めるというコッペルを引き止める素振りすら見せなかったようだ。


そんなこんなで、コッペルがホストの「ナイトライン」はこの11月22日に最後の回の放送を迎えた。この回のゲストには、ベストセラー「モリー先生との火曜日 (Tuesdays with Morrie)」の作者として知られるミッチ・オルボムが呼ばれた。「モリー先生」は、ALS (Amyotrophic Lateral Sclerosis: 筋萎縮性側策硬化症。別名ルー・ゲーリック病とも呼ばれる) に侵されたオルボムの恩師である元ブランダイス大学社会学教授のモリー・シュワーツを訪れたオルボムとシュワーツとの交流を描くもので、死に際しても前向きな気持ちを失わないシュワーツの、死に (生に) 対する姿勢が全米の共感を呼んだ。後にオプラ・ウィンフリーがプロデュースしてTV映画を製作、ジャック・レモンがシュワーツに、ハンク・アゼリアがオルボムに扮して共にエミー賞に輝いている。


そのシュワーツをそもそも最初に全米に紹介したのが「ナイトライン」だ。ボストン・グローブ紙で死に行くシュワーツのことを知った番組プロデューサーのリチャード・ハリスは、コッペルと相談、シュワーツに番組で死について語らせることを決める。ところが、当時のABC社長ルーン・アーリッジがこの企画に反対する。いったい誰がわざわざ死がテーマのTV番組なんかに興味を持つのかというわけだ。しかしコッペルらはアーリッジを説得してシュワーツをTVに出演させる。


結局95年冬に死去するまで、シュワーツは都合3回「ナイトライン」に登場し、この特集は「ナイトライン」で最も反響を巻き起こしたテーマとなった。オルボムは、この「ナイトライン」を見て恩師に再会したのである。そしてコッペル版「ナイトライン」の最終回が、シュワーツを再度テーマにしたのもまた当然であった。この日は火曜日であったこともあり、この回のタイトルは「ア・チューズデイ・ウィズ・モリー (A Tuesday with Morrie)」と、オルボムの本のタイトルをひねって借用している。いずれにしてもこういった企画を通した「ナイトライン」は、他の番組と一線を画した唯一無二の番組であることを証明している。


一つの番組の最終回のテーマが死であったわけだが、「ナイトライン」はいつも同様淡々と話を進めた。最初から知っていなかったら、これがコッペル版「ナイトライン」の最終回だとは気づかなかったかもしれない。とはいえコッペルは、番組の最後に、自分が辞めた後の「『ナイトライン』のアンカーたちを暖かい目で迎えてください、さもなければネットワークはまたコメディ・ショウを編成しようとするかもしれませんよ」と、自分自身の体験を例にとって、いつも通りのコッペルらしいしれっとした顔で痛烈な皮肉を飛ばしていた。ここでABCがたぶん苦い顔をしながらも、手を入れないでそのまま番組を放送するところが、また大人という気がする。


この最終回が放送された週は、アメリカでは感謝祭の週であり、週の後半の「ナイトライン」は時々コッペルの代わりを務めるクリス・ビューリーが出てきて感謝祭テーマでお茶を濁し、翌週から、今度はマーティン・バシア、シンシア・マクファデン、テリー・モランの3人アンカーによる新体制となった新生「ナイトライン」の放送が始まった。


最近のワールド・ニューズ番組は複数アンカー体制が主流であり、ジェニングス後のABCの「ワールド・ニューズ・トゥナイト」も、エリザベス・ヴァーガスとボブ・ウッドラフの共同アンカーが決まっている。最初複数アンカーにすると言っておきながら、なぜだかいまだにボブ・シファーが一人でやっているラザーなき後のCBSの「イヴニング・ニューズ」はさておき、本当に名目共にまだ一人でアンカーをやっているのは、これでブロコウの跡を継いだNBCの「ナイトリー・ニューズ」のブライアン・ウィリアムズだけになってしまった。ウィリアムズは寂しいだろうか、それとも一人だけ意気軒昂としているのだろうか。


さて、新生「ナイトライン」だが、最初の週はモランはイラク入りしており、現地からの生中継、バシアは西海岸を転々とし、マクファデン一人がスタジオに残ってその他のニューズをまとめるというような体裁をとっていた。三者三様の場所とテーマであるため、コッペルが一人でやっていた時に較べ忙しない印象を与えるのは、これはもうどうしようもない。一つのテーマを掘り下げるというスタイルよりも、広く浅くを最初から目指しているのだから、そのことを云々してみても始まらないだろう。


とはいえ、やはり私はバシアの起用だけは納得し難い。バシアは私の印象では、2年半前の「リヴィング・ウィズ・マイケル・ジャクソン」で、マイケル・ジャクソンの信用を得ながらそれを利用してジャクソンの恥部を暴きまくった、ジャーナリストの風上にも置けない似非ジャーナリストという印象が濃厚である。はっきり言って私はこの男をまったく信用していない。そういうわけで、私は現在、新「ナイトライン」からは訣別している。別にモランとマクファデンに含むところがあるわけではないのだが、バシアの顔だけは金輪際見たかない。


ABCとしては、こういうヘラルド・リベラのような突撃話題生産型のアンカーを誰か一人得たかったのだろうということはわかるのだが、そもそもコッペルが徹底して避けていたことがそれだったのではないか。だったら、それこそコッペル言うところのコメディ番組、あるいは裏番組の「レイト・ショウ」や「トゥナイト」等の深夜トーク番組を見ていた方がましだ。私が今後も「ナイトライン」にチャンネルを合わせる機会は、今のところそれほどありそうもない。 






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Nightline

ナイトライン   ★★★ (コッペル版)   ★★ (新体制版)

 
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