Nebraska


ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅  (2014年2月)

ウディ (ブルース・ダーン) は呆けの症状が出かかった老齢で、今日も一人ハイウェイを歩いているところを警察に保護される。曰く100万ドルの懸賞に当たったので、金をもらいに行くつもりだったというのだ。妻のケイト (ジューン・スキップ) はいい加減愛想が尽きてうんざりだし、息子のデイヴィッド (ウィル・フォルテ) は何かある度ごとに呼び出され、落ち着く暇がない。あまりに頑強にウディが懸賞のことを言い張るので、デイヴィッドは会社を休み、ウディに好きなようにやらせて懸賞の換金に同道し、それが詐欺まがいの釣り広告であることを納得させれば気が済むのではと考える。そのついでに父の生まれた実家に寄ったり、疎遠だった親戚連中にも会える。二人は懸賞換金の小旅行に繰り出すが‥‥


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アレグザンダー・ペインの新作は、痴呆の気がある老人と息子の旅行きを描く半ロード・ムーヴィだ。「半」と言ったのは全編にわたって彼らが移動しているわけでもなく、その移動先も半分は自分が生まれ育った土地で、親戚縁者と旧交を暖めるというものだったりするからだ。


とはいえヴィム・ヴェンダースの諸作やジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス(Stranger Than Paradise)」等で、ロード・ムーヴィはモノクロ撮影という概念が刷り込まれている身としては、冒頭、ロングで撮影されたウディがフリー・ウェイ上を歩いていてシェリフに保護されるシーンだけで、これはもうロード・ムーヴィであるのだなと思わされてしまう。 イメージがブラック・アンド・ホワイトで、寒い土地で季節は冬で背景に雪があってクルマが出てきてバーで飲んでモーテルに泊まるとならば、これはやはり印象はロード・ムーヴィ以外の何ものでもないのだった。


先頃見たばかりということもあり、「ネブラスカ」はかなりコーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイヴィス (Inside Llewyn Davis)」を思い出させる。寒そうな背景、雪、クルマといった状況や小道具のせいだ。一方、方やモノクロ、方やカラーというイメージの違いから来る印象の差も大きい。1960年代を舞台としている「ルーウィン・デイヴィス」がカラー撮影で、現在が舞台の「ネブラスカ」がモノクロ撮影だったりする。


また、もう一本思い出した作品として、トム・マッカーシーの「ウィン・ウィン (Win Win)」がある。これはストーリーではなく、ウディの息子デイヴィッドが乗っているクルマが、スバルのハッチバック型の四駆車であることと関係がある。「ウィン・ウィン」で主人公を演じるポール・ジアマッティが乗っていたクルマが、やはりスバルの四駆だった。


アメリカの特に北の方の郊外の都市部では、スバルの四駆はそこそこ人気がある。わりと雪が降るため四駆は必需で、女性にも扱いやすい車高や大きさでもあり、クルマ自体の価格もそれほど高くない。これでもうちょっと燃費がよければとは、スバルのオーナーのほとんどの者が口にするセリフだ。とまあ、そういうことを知ってたり気づいたりするのも、今でこそトヨタのRav4に乗ってはいるが、それまではわりと長い間私自身もスバルに乗っていたからであった。特に「ネブラスカ」はロード・ムーヴィであり、主人公たちは多くの間そのスバルに乗っている。気づかないでいらいでか。


とはいうものの、映画ではそのスバルは、もちろん最後には四輪駆動のトラックに代らなければならない。放送70年を超えるアメリカで最長寿のソープ・オペラの「ガイディング・ライト (Guiding Light)」が最終回を迎えた時、金を持ってないわけではないはずの登場人物が最後に運転していたのはメルセデスでもレクサスでもフェラーリでもなく、やはり四輪駆動のフォードのピックアップ・トラックであったことを思い出した。ここはネブラスカなのだ。これはアメリカ映画なのだ。


ロード・ムーヴィは、道路が単調なところにこそ意味がある。その単調さから色を奪って、とことんまで単調にして、退屈さを引き受けた向こうにあるものが、ロード・ムーヴィが描こうとしているものに他ならない。だからロード・ムーヴィを撮ろうとすると、どうしてもモノクロで撮りたくなる。登場人物がクルマに乗って絶えず移動しているのに周囲は何も変わらないという矛盾、拮抗こそがロード・ムーヴィの魅力だ。


そしてこのような道路を持っているのは、世界でアメリカしかない。アメリカ中西部をドライヴした者ならわかるが、何日間もドライヴしているのにまったく周りの景色が変わらないという、広大な世界の逼塞した空気こそ、ロード・ムーヴィがとらえようとしているものであり、この退屈さと緊迫さの振幅は癖になる。だからロード・ムーヴィはすべからくアメリカ映画にならざるを得ない。ヴェンダースがわざわざドイツからアメリカに来て映画を撮ったのは、アメリカでなければロード・ムーヴィを撮れないことの証明だ。


一方、ヴェンダースのロード・ムーヴィは一人旅になりやすく、ジャームッシュのロード・ムーヴィは仲間同士で騒ぎながら旅をする。「ルーウィン・デイヴィス」は行きも帰りもまったく赤の他人との同乗であるなど、クルマによる旅という共通項以外は、その道行きは多種多様だ。「ネブラスカ」の場合は、父と成長した息子による旅行きだ。


さらにはその視覚的性質上、ロード・ムーヴィは西部劇とも共通点が多い。基本的に馬がクルマに変わっただけなのがロード・ムーヴィと言いたい誘惑に駆られる。むろんどちらかというと勧善懲悪タイプの話が多い西部劇とロード・ムーヴィは細部において多々異なっている部分はある。しかし「ネブラスカ」がやはり西部劇を想起させるのは、ウディ/デイヴィッドの兄弟親戚が男ばかりであることも理由の一つだ。要するに滅法男臭い。一方、登場する紅一点的な女性の登場人物の、ウディの妻ケイトが悪者的なキャラクターになっていたり、あるいはペグのように部外者のマドンナ的存在だったりする。結局映画は男の尊厳を、父と息子の関係を描いているのだ。セダンじゃない、トラックなのだ。


上でロード・ムーヴィはアメリカの専売みたいなことを言ったが、だだっ広い土地を貫いて走る道路という点に関する限り、ロシアとかブラジル、オーストラリアとかにもそういう道路はなくはないだろう。中国はまだそこまで道路網は整備されてないと思う。しかしロード・ムーヴィが西部劇から連綿と連なる旅の記憶を内包するものである時、西部劇が生まれたのがハリウッドで、フォードがクルマを発売したのがアメリカである時、やはりロード・ムーヴィはアメリカで撮られて然るべきと思うのだった。










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