Maria by Callas


私は、マリア・カラス  (2020年3月)

コロナウイルス蔓延の余波を受けて、ニューヨークと、隣接するニュージャージー州を含むアメリカの主要都市において、不要不急のビジネスは、自治体・政府から営業の自粛を求められた。もちろんその中には映画館も含まれる。 

 

おかげで毎週末の映画館通いを常にしていた私のエンタテインメント体験が、大打撃を受けた。生活そのものの基盤が揺らいだ人たちも多いから、映画を映画館で見られなくなったから何、家でストリーミングでも見れんだろ、というお叱りを受けそうだが、しかし、がっかりはがっかりだ。 

 

そういうわけで映画館で映画を見るということが叶わぬものとなった。確かにステュディオはヴィデオ・オン・デマンドやストリーミングで一部の新作を提供しているが、例えば「透明人間 (The Invisible Man)」も「ザ・ハント (The Hunt)」も、$19.99する。映画館でマチネーのチケット二人分だ。それで映画館の大きなスクリーンではなく、家の42インチのTVスクリーンかと思うと、その料金で新作をTVで見る気がしない。 

 

一方、新作でさえなければ、過去に見逃した作品を、Netflixやhuluの ストリーミングやヴィデオ・オン・デマンドで、それこそ無料で見れたりする。考えると、それも悪くない。見逃して機会があればと思っていた作品は、それこそ山のようにある。それらの気になっていた作品を片付ける絶好の機会とすら言える。 

 

それらの作品の中からケーブルのFIOSのオン・デマンドで探し出した一昨年公開のドキュメンタリー「私は、マリア・カラス」をまず見ることにしたのは、いくつか理由がある。まず、私の女房が歌好きで、この作品が公開された時、ぜひ見ると宣言していたのを、私が他に見たいのがあったので後回しにしていたら公開が終わって見れなかったというのがある。 

 

次に、ヴィデオカメラで撮られることの多いドキュメンタリーは、画面の小さなTVでも画質を気にせず見れる。昨年、映画館で「パヴァロッティ (Pavarotti)」を見て、近年のドキュメンタリー作品は画質もそうそう悪くないことを改めて発見したこともある。 

 

というわけで「マリア・カラス」にしたわけだが、個人的には、私がカラスについて知っていたことはほとんどなかった。不世出のソプラノ歌手だったということくらいは知っているが、だからといって特に聴いたことがあるわけではない。パヴァロッティはまだ同時代人と言えないこともなかったが、カラスは、名を聞いた時には既に故人だった。 

 

そのカラス、美貌と美声の両方で有名なわけだが、実は1950年台初頭、デビューしたての頃は大デブとは言わないまでもかなりふくよかだった。そのためオペラで主要な役に抜擢されにくく、一念発起したカラスは、1年で40kg近く体重を落としてシャープな印象へと変貌した。当時は胃切除なんて減量の施術はなかったろうから、食事療法で痩せたものだと思うが、しかし、以来その体重をキープできたわけだから、並外れた意志力だったのは確かだろう。サナダムシをお腹の中で飼って痩せたというまことしやかな噂もあったということだ。 

 

一方で、体重の増減が声の質に影響したのも確かだ。うちの女房の声楽の先生によると、カラスの声は痩せる前と後では別人だそうだ。実はソプラノ歌手はふくよかなタイプが多い。あるいは、だんだんふくよかになる場合が多い。その方が安定した高い音を出しやすいからだ。近年のアンナ・ネトレブコを見てると、さもありなんと思う。 

 

美貌と美声の両方を手に入れたカラスは、その後瞬く間に斯界のスターとして君臨する。一時、演出や企画に口を出し過ぎて、NYのメトロポリタン・オペラ (MET) から嫌われてクビを宣告されたこともある。思わず同様にMETをクビになった、現在たぶん世界で最も著名なソプラノ歌手、キャスリーン・バトルを思い出した。ただし、バトルの場合は遅刻魔でクビになったから、カラスとはクビになった理由は違うが。それでも、カラスの歌を聴いていると、特にピアニッシモの部分で、バトルを思い出す。聞こえるか聞こえないかくらいの音で歌われる時が、最も流麗かつ技巧の巧さを際立たせる。本当に惚れ惚れする。 

 

カラスは、本当は普通の女性のように結婚して子供を産みたかったとインタヴュウで答えているが、彼女の歌の才能が、それを許さなかった。そのため私生活は特に恵まれたものではなく、最初の結婚は早くに破綻し、その後、ギリシアの造船王、アリスト・オナシスと浮き名を流す。 

 

最初オナシスが画面に出て来た時は、あれ、オナシスって確かJFK暗殺後に未亡人となったジャッキーが付き合った相手がオナシスじゃなかったっけ、オナシス家ってプレイボーイの家系のようだなと思っていたら、カラスと付き合っていたアリストが、ジャッキーと電撃結婚する。おわ、血縁の誰かではない同じオナシス本人だったのか。カラスは結局捨てられたことが判明する。 

 

その後カラスは映画界進出を企てるも実らなかった。カラスが出演したピエル・パオロ・パゾリーニの「王女メデア (Medea)」を見た瞬間、おお、知ってる、これ、見てる、なんだ、そうか、カラス、オレ知ってんじゃないかと思った。この時は確かカラスは歌ってなかったはずで、だから、そういえば確かにオペラのスーパースターの映画初出演みたいな感じで宣伝されていたはずだが、カラス本人よりもギリシアのごつごつとした、どちらかというと荒涼とした印象のある背景やパゾリーニの美学の方しか覚えていない。カラスは、一言で言うと鬼気迫るおばさんという記憶しかない。オペラ歌手としてのカラスをまるで知らなかったから無理もない。 

 

カラスが1977年にパリで死去した時、まだ53歳でしかなかった。しかし、既に普通の人間がゆうに3回生き死にした分くらいのドラマを体験している。昨年ジュディ・ガーランドのドキュドラマ「ジュディ 虹の彼方に (Judy)」を見た時、あれだけ波乱万丈の人生を生きたかのように見えるガーランドが、まだたったの47歳でしかなかったことを知って驚いたものだが、カラスも同様だ。こういう才能に溢れ、選ばれた者たちは、薄命であることを運命づけられているらしい。自分は凡才でよかったと、素直に感謝する。 












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不世出のソプラノ歌手マリア・カラスのキャリアを回顧するドキュメンタリー。 


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